毎年春になると、新入社員に自衛隊研修を受けさせる企業が話題になる。

新社会人になったばかりの若者に、団体生活や規律ある生活の重要さを教え、また組織に対して貢献する心構えを学ばせたいというのが、概ねその理由のようだ。

 

しかしこの自衛隊研修。

敢えて刺激的な言葉を使わせて頂くと、私はこのような企画を考える企業の人事担当者は、よほど仕事ができない人なのではないかと思っている。

なぜなら、そもそもの目的がデタラメだからだ。

まったくもって、新入社員の新人教育として、このような時間の使い方には賛成できない。

 

ではなぜ私が、新入社員に自衛隊研修を受けさせる目的がデタラメだと考えているのか。

そのお話を始める前に、一人の勇気ある自衛官の決断をご紹介したい。

 

1等陸佐・黒川雄三の決断

話は1995年、阪神淡路地方を中心に発生した、阪神大震災の時の話だ。

この直下型地震は117日の早朝、546分に発生し、最大震度7を記録。

6400名を越える方の尊い命が失われ、自然災害で亡くなった人の数として当時の戦後最悪を記録している。

 

このような未曾有の大災害にも関わらず、当時、自衛隊に対し地元自治体から災害派遣要請「らしきもの」が出されたのは午前10時前後。実に、震災発生後4時間以上経過した後だ。

しかもこの震災では、亡くなった人の9割が、建物が倒壊したことなどによる圧死であった。

つまり、1時間でも2時間でも早く自衛隊が投入されていれば、これほどまでに多くの人が亡くなることはなかったのではないか。

なぜ、当時の兵庫県知事である貝原俊民はもっと早く、自衛隊に対して災害派遣要請を出さなかったのか。

更には、「なぜ自衛隊はもっと早く出動しなかったのか」という批判まで巻き起こり、爾後の責任論は非常に加熱することになったが、本論ではないのでそれは割愛したい。

 

このような中、実は震災発生からおよそ1時間40分後。

午前730分には、指揮官の独断で救助活動を開始した陸上自衛隊の部隊がある。

それは、兵庫県の伊丹に所在する第36普通科連隊であり、その連隊長は黒川雄三・1等陸佐(当時。以下敬称略)。

1等陸佐は、戦前の呼称で言うところの大佐であり、6001200名程度の部隊を率いる指揮官だ。

 

言うまでもなく自衛隊は、政府や地元自治体の要請がない限り、どのような大災害の場合でも勝手に部隊を動かす事はできない。

それは、目の前で多くの人が死んでいくような悲惨な現場でも同様の話だ。

 

しかしその例外的な扱いとして、自衛隊法第833項に、「近傍派遣」という項目がある。

この近傍派遣とは、簡単に言うと、駐屯地や基地の近傍で発生した事案に対しては、ご近所づきあいの範囲で、指揮官の独断で部隊を動かしても良いというものだ。

 

黒川は震災が発生すると、直ちに部隊を整え政府や地元自治体からの災害派遣要請が来るのを待つが、その命令は降りてこない。

やむを得ず、被害規模の大きさに鑑みて午前730分、この近傍派遣の条項を援用して独断で部隊を動かし、直ちに人命救助に出動したというのが話の流れである。

 

ただ、簡単に書いているが、この決断は非常に難しいものであったはずだ。

 

なぜか。まず1つには当時の世相だ。

時の総理大臣は、自衛隊の存在を認めないことを党是としていた、日本社会党の村山富市。

政権を執って一時的に現実路線に切り替えていたものの、自衛官の独断を嫌う最高指揮官であることは明らかだ。

40代以下の人にはピンとこないかも知れないが、当時は自衛隊と自衛官に対する理不尽な扱いは、非常なものがあった。

 

2つめに、国や政府すら自分を守ってくれないのではないか、という現実的な問題だ。

話は更にさかのぼり、197696日に発生したベレンコ中尉亡命事件。

この事件は、冷戦がもっとも激しかった1976年に、旧ソ連の戦闘機パイロットであったベレンコ中尉が、当時としては最新鋭の戦闘機MiG-25に乗ったまま日本の防空警戒網を突破。

そのまま函館空港に強行着陸し、亡命を申請するという世界を震撼させた事件であった。

 

この事件の際には、最新鋭戦闘機の機密を守るため、ソ連軍が直ちに日本に攻め込んでくる可能性があったことから、陸上自衛隊は直ちに部隊を召集し、いつでも出動できる準備を整え命令を待つ。

しかし、独断で部隊を待機状態にしたこの指揮官の判断に、時の総理大臣・三木武夫は激怒。

有事に際しての部隊展開の教訓などを含め、事件に関する全ての記録を廃棄するよう陸上自衛隊に命令するという、今から考えれば少し信じがたい命令を下す。

そしてこの理不尽な命令に、時の陸上幕僚長(陸上自衛隊トップ)は抗議の辞任をするなど、事件の混乱はその後も尾を引くことになった。

 

つまり黒川は、いくら近傍派遣という自衛隊法上の規定があるとはいえ、独断で部隊を動かせば最高指揮官である村山富市の不興を買うことは明らかであったということだ。

さらに、独断で部隊を動かす準備をした陸自に対する過去の理不尽な扱いは、当時の黒川も当然良く知っていただろう。

最悪の場合、理由をつけてクビになるか、良くても更迭される可能性が非常に高い客観情勢ということである。

 

にも関わらず黒川は、阪神大震災発生直後に迷うこと無く独断で、隷下部隊を被災地に直ちに投入した。

当時の世相や自身の保身を考えれば、なぜこのような選択肢を取れたのか。

私は長年非常に不思議に思っていた。

 

「当たり前としか言えないですね・・・」

そんな長年の疑問を先日、親交のある陸上自衛隊の元2等陸佐(中佐に相当)に直接お聞きする機会があった。

 

投げた疑問はそのままだ。

なぜ黒川1等陸佐は、保身も世相も考えずに独断で部隊を動かせたのか。

幹部自衛官であればみな、そのような教育を受けており、さらに実践するものなのか。

そのように自律的に動くことができる組織と幹部は、どのような教育で作れるものなのか、というような内容だ。

 

私の疑問に元2佐は、少し考えてから「法規や前例に囚われるのは、どんな組織でも必ずあります」と切り出し、以下のような話をしてくれた。

 

元2等陸佐「有事に際して動くのは当たり前としか言えませんね・・・それが自衛官というものです。」

私 「しかしビジネスマンであれば、緊急事態に際し、保身も考えず組織や部下のために体を張れる幹部社員はそう多くありません。独断で動いたことで処罰される可能性が高ければ尚更でしょう。なぜ自衛隊幹部にはそれができるのでしょうか。」

元2等陸佐 「そうですねぇ・・・一つご紹介すると、幹部自衛官には2つの精神鍛錬の教育があります。それは『使命』と『徳操』です。為すべきことと、持つべき道徳心です。」

私 「はい。」

元2等陸佐 「それらの教育でさらに重視されるのは『実践陶冶(とうや)』です。単なる頭の中での知識としての理解でなく、実践行動を通じての心の鍛練と申しましょうか。」

私 「具体的にどう形にするのですか。」

元2等陸佐 「永遠のテーマですので、私が語るのはおこがましくてとても申し上げられません。ただ一つ言えるのは、最悪のリーダーシップは威圧統御。人徳をもってなす納得の統御こそ至上のものと思いますね。心から心酔させる心の統御と言いますか。そう思えば、有事に際して指揮官の採るべき行動は明らかです。」

私 「人として恥ずかしくないリーダーであれ、ということですか?」

元2等陸佐「禅問答のようなもので、その答えはそれぞれが出すものと思います。ただ仰るように、尊敬されるリーダーであれば、使命を前にして上司の顔色を伺い、あるいは自分の保身を考えるようなことは無いでしょうね。ですから、黒川連隊長の行動は、自衛官であれば当たり前としか言えないのです。」

 

こんな感じであっただろうか。

 

ビジネスマンパーソンに例えてみれば、例えば「使命」の一つは顧客満足であろうか。

顧客満足を達成するために優先すべきは、決して保身ではなく、まして上司の顔色や組織の都合に配慮することではない、と言えるかも知れない。

そして実際に、その動機が純粋に顧客満足の追求にあったのであれば、よほどの失敗やよほどのブラック企業でない限り、その行動は評価されるものだ。

 

しかし多くの企業幹部は、自分自身の評価に傷がつくことを恐れ、あるいは組織の慣例を優先して、最も優先するべき「使命」である顧客満足の優先順位を著しく下げる。

そして、そんなつまらない幹部を上司に持ってしまった社員であれば、上司を尊敬できずに組織を愛することもできなくなり、そして会社と組織はやがて脆弱になる。

全ては幹部に「使命」や「徳操」という概念や教育が欠如しているからだ。

 

しかしそれも無理はない。

そんな幹部教育を実施している企業など、ほとんど存在しないからだ。

  

自衛隊研修が必要なのは幹部社員の方ではないのか

話を最初に戻したい。

新入社員を自衛隊に体験入隊させる会社の目的は、概して

「団体生活や規律ある生活の重要さを教え、また組織に対して貢献する心構えを学ばせたい」

ということのようだ。

 

しかしながら、よほどひねくれた新入社員で無い限り、会社に入ったばかりは、素直に教育を受ける心構えはできているものだ。

組織に貢献しようという思いも、おそらく保身しか頭にないくたびれた課長よりも純粋であろう。

つまり、新入社員が高いレベルで既に持ち合わせているものを、さらに自衛隊に補強してもらおうというのが、この新入社員の自衛隊研修に思えてならない。

 

一方で、幹部社員の方だ。

自らの使命を自覚し、徳操を持ち合わせ、どのように部下を「統御」しようかと意識している幹部社員が、どの程度存在するだろう。

 

仮にその考え方を持ち合わせていても、人によっては「威圧統御」が当たり前という幹部もいれば、勘違いしたコミュニケーションで様々なハラスメントを無意識におかしている幹部もいるだろう。

つまり、日本の多くの企業には一貫した幹部教育の仕組みがないか、あっても形ばかりの機能しないものばかりだということだ。

 

であれば、自衛隊に教えを乞うのは新入社員ではなく、むしろ幹部社員の方ではないのか。

にも関わらず毎年春になると、多くの幹部社員が新入社員に対し、「自衛隊で教育をしてもらってこい」と、背中を押して送り出す。

どこか1社くらい、幹部社員の自衛隊研修始めましたとニュースにならないか。

毎年楽しみにしているが、残念ながら未だ聞いたことがない。

もしそんな受け入れ制度があれば喜んで参加し、自衛隊幹部の教育をぜひ受けてみたいと思うのだが。

 

なお余談だが、黒川連隊長の後日談だ。

近傍派遣を利用し独断で部隊を動かした黒川連隊長は、その責任を一切問われること無く、後職では香川地方連絡部長という要職に転じ、その後も誇りある自衛官生活を全うした。

ただ、後職で香川に赴任した際には、

「もっと多くの人の命を救うことができたはずだし、救いたかった。」

という痛惜の念を拭うことができず、四国八十八ヶ所霊場を周り静かに手を合わせ、犠牲者の霊を供養し続けた。

 

一方で、当時の兵庫県知事である貝原氏だ。

20115月に発売された雑誌プレジデントで、「出動要請が遅かったというのは、自衛隊の責任逃れ」と発言するなど、後年も各所で、物議を醸し続けている。

 震災で混乱する現場のことであり、貝原氏が語っていることの真偽は、私には判断のしようがない。

 

しかし、尊敬されるリーダー像が黒川連隊長であるのか貝原氏であるのか。

そのサンプルとしてはとても対照的であり、ひとつ考えるきっかけとして、こちらも併せてご提供したい。

 

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(2019/12/9更新)

 

【著者】

氏名:桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。

中堅メーカーなどでCFOを歴任し、独立。会社経営時々フリーライター。複数のペンネームでメディアに寄稿し、経営者層を中心に10数万人の読者を持つ。

(Photo:Carlos Donderis