ちょっと、ごくごく私的な話をさせてください。

単なる思い出話の類であって、特に建設的な話には着地しません。

 

40も近くなってくると、昔の知人の訃報を聞くこともぽつぽつと出てきます。

私は学生時代、かなり長いこと名古屋に住んでいたので、名古屋の頃の知人が亡くなった、あるいは少し前に亡くなっていた、という話を聞くことも、時折あります。

といいますか、「便りがないのは良い便り」とはよくいったもので、「ふと聞こえてくる話」というのは大抵訃報です。以前、お世話になっていたバーのマスターの訃報に接したのもそんなパターンでした。

 

それと同じような話で、少し前のことなんですが、「かつてのゲーセン友達」の訃報を聞きました。

聞いたのは全くの別ルートからで、亡くなった人の話を聞いて「あれ、もしかして…」と思い、色々とルートを辿って確認してみたら当人だった、という感じです。

亡くなったこと自体もう数年前のようで、私は随分なタイムラグを経て訃報に接したことになります。

 

 

 

私がその友人と出会ったのは、20年以上前の話。名古屋に住んでいた頃近所にあった、個人経営の小さなゲーセンでのことでした。

私は当時、金があろうがなかろうが、暇さえあればそのゲーセンに通い詰めていました。

お金がない時は他人のプレイをひたすら観察していましたし、お金がある時は財布が空っぽになるまでゲームにつぎ込んでいました。

 

私は、そのゲーセンで19XXに出会いました。ストZEROを遊びましたし、真サムやヴァンパイアセイヴァーやKOFにハマりましたし、体を壊しそうになるくらいダライアス外伝をやり込みました。

一時期は本当に、「そのゲーセンにいる時間の方が家にいる時間よりも長い」という有様でしたし、私の人生の何パーセントかは、確かにそのゲーセンに積もっています。

 

「街のゲーセン」というのは、不思議な空間でした。

置いてあるゲーム、店員や店長のスタンス次第で、その空間はガラッと変わりました。

ひどく柄の悪いゲーセンもあれば、常連グループが出来て内輪で固まっているゲーセンも、個々に一言の会話もないゲーセンもありました。勿論、いつ行っても誰も客がいないゲーセンもありました。

 

私が通い詰めていたゲーセンは、頭に頭髪というものが存在しない壮年のおっちゃんが一人で切り盛りしていました。

彼はボタンの配線を直してくれましたし、駄菓子を売ってくれましたし、ダライアス外伝のスコアをゲーメストに送ってもくれました。

客があまりいない時は、サービススイッチで一人脱衣麻雀を遊んでもいました。

 

おっちゃんは面倒みがいい方で、彼の人徳なのか、そこは比較的治安がいいゲーセンになっていました。

ただ、それでも時には柄の悪い客に怖い思いをさせられることもありました。

 

「街のゲーセン」というのは、不思議な空間でした。

お互い話をしたことがないどころか、うっかりすると顔も知らない相手と、「ハイスコア」を通じてコミュニケーションが成立することがありました。

特にSTGでは、ハイスコアが出た時自分のスコアネームを残す文化が一般的でした。

私と違う時間帯にゲーセンに来ていた人が残したスコア、そのスコアネーム3文字に、主観的に熾烈な戦いを仕掛けていたことがありました。

何度やってもそのスコアを追い抜けないことがありましたし、ひたすらゲームをやり込んだ末、ついに1位を書き換えることが出来て快哉を叫んだこともありました。

勿論、自分が残したスコアが知らない内に抜かれていて、敗北感に苛まれたこともありました。

 

「街のゲーセン」というのは、不思議な空間でした。

対戦格ゲーが普及した以降は、知らない者同士で勝負を争うということが増えました。

結果、ゲームの勝ち負けでトラブルが起きることも増えましたし、変わった経緯で友人が出来ることもありました。

対戦に勝利をした後、対戦相手に絡まれることもありましたし、思いっきり台バンをした相手が店長のおっちゃんによって店の外に連れていかれ、その後二度と見かけなくなったということもありました。

 

その友人を最初に認識したのは、KOF’95の対戦台でのことだったように記憶しています。

純正サイコソルジャーチームを使っていた私に対し、友人は庵・紅丸・チョイボンゲという、コンセプトがよくわからないチームで乱入してきました。

しばらく後にチーム編成の理由を聞いてみると、「語呂がよかったから」という答えが返ってきました。変わったヤツでした。

 

斬紅郎無双剣をプレイしていた時のことだったと思います。

ある時、普段は対戦後、何度も粘って並んでは乱入してきていたその人が、対戦台のこちらに歩いてきたことがありました。

対戦後のトラブルにぽつぽつ接していた私は正直ちょっと緊張しましたが、その人は少しの間をおいてから、意を決したようにこう話しかけてきました。

 

「あの、今の連続技、どうやってやるの?」

 

それから私は、相も変わらず対戦ゲーをやりながら、その友人とぽつぽつ喋るようになりました。

会話はもっぱら格ゲーについてでした。

当時、アーケードゲームについての情報源というものは極めて限られており、ゲーメストかベーマガか、限定されたルートながら、パソコン通信の格闘ゲームについてのBBSくらいでした。

当時草の根ネットに触れていた私の情報は、その友人にとって貴重な情報源だったようでした。

 

ゲーセンでしか知らず、ゲーセンでしか顔を合わさず、ゲーセンでしか会話しない、それだけの関係でした。

街で偶然出会ったとしても会話をしなかったかも知れません。ゲーセンの対戦台だけが、私たちの間の媒介でした。

 

知り合ってから数年が経った頃でした。

私は何かの間違いで大学に受かり、東京に行くことになりました。その友人にも話しました。

東京かー、いいなー、行きたいなーと言われました。

 

その時、ひとかけらの実現性もない約束をしました。

 

「いつか東京のゲーセンで会ったら、また対戦しようか」

という約束です。

 

今から考えると笑ってしまうような話です。当時私は携帯電話ももっておらず、相手の連絡先など知りもしませんでした。

いつか、どこかのゲーセンで、ふらっと向こう側を覗いた時、そこにその友人が座っている。そんな状況が実現する可能性が、一体どれだけあるのでしょう。

 

約束は実現しないまま20年あまりが過ぎ、そして私は、友人の訃報を名古屋から聞きました。

 

つまり私は、友人との約束を実現する機会を、永遠に失いました。

ただでさえゼロに近かった可能性は、完全にゼロになりました。こうして、色んな約束の実現性を失っていくことが、イコール生きるということなのかも知れないなあ、とも思います。

 

***

 

先日、こんな記事を書きました。

格ゲーの話が散らかっている気がしたからちょっと整理したくなった

 

ここで私は、こう書きました。

これについては、「ゲーセンの対戦台は、既に格ゲーのメインシーンとはいえない」ということは指摘しておいてもいいのではないかと思っていまして。

今現在、既に多くの格ゲータイトルが「通信対戦、及びそのインフラ」を整備していまして、対人戦が一番盛り上がっているシーンは多分そちらです。

これ自体は多分事実だと思うのです。今、格ゲー自体は、ゲーセンに行かなくても十分な環境で、快適に対戦することが出来ます。とてもいい時代だと思うのです。

 

ただ、私は、かつての「対戦台とワンセットの格ゲー」というものも、それはそれなりに好きでした。

時には絡まれ、時には台バンされ、けれど時には思いもよらないところで知人が出来た、かつてのゲーセンも好きでした。「ゲームセンター」が好きでした。

 

私は、東京に来てからもしぶとくゲーセンに通い続けていましたし、時折対戦台に座っては、思い出したように対戦台の向こうを覗いていました。

 

とはいえ私一人で落とせるお金などたかが知れており、近所の「街のゲーセン」は一つ消え二つ消え、今では大手系列のゲーセンだけになってしまいました。

私がかつて通い詰めた名古屋のあのゲーセンも、今ではもうありません。今でも頑張っている「街のゲーセン」もきっとあるのだと思いますが、少なくとも私の周辺ではゼロになってしまいました。

 

私にとって、友人の訃報は、私自身のゲーセン通いの日々に対する訃報でもあったように思うのです。

私だけの話ではなく、かつての「街のゲーセン」には、きっと色々な物語が降り積もっていたのでしょう。ゲームプレイヤーごとに物語があったのでしょう。

 

「街のゲーセン」が少しずつ消えつつある中、そんな物語のひとかけらを、どこかに書き残しておきたい。ふとそんな風に思って、こんな思い出話を書き起こした次第です。

 

かつての「ゲームセンター」でこんなことも起きていたんだ、という程度のことを、誰かの心に残しておいていただけるなら、これ以上幸いなことはありません。

 

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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

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