わたしはもともと、『自己責任論者』だった。
テストの点が悪い? 試合で負けた?
自分が悪いんじゃん。もっと努力すれば結果は出せたんじゃないの? やってもできないのなら、やり方が悪いんだよ。ちゃんとやれば結果はついてくるんだから。結果が出ないのは、自分に落ち度があったからでしょ。
そう思っていたのだ。
それが傲慢な勘違いであると悟ったのは、高校3年生、16歳のときだった。
「自己責任」が「自業自得」と同じ意味で使われる
『自己責任』を調べてみると、辞書にはこうある。
1自分の行動の責任は自分にあること。「投資は自己責任で行うのが原則だ」
2 自己の過失についてのみ責任を負うこと。
出典:https://kotobank.jp/word/自己責任-518705
「自分の行動の責任は自分にある」
「自分の過失に責任を負う」
このふたつの意味が組み合わさって、最近では
「自分の行動によって結果を変えることができるのだから、望まない結果が出たらそれは自分の責任である。他人に助けを求めず自分でなんとかしろ」
という意味で『自己責任』という言葉が使われている気がする。
貧乏で子どもが育てられない? じゃあ産むなよ、自己責任。
ブラック企業勤めで病気になった? 辞めればよかっただろ、自己責任。
性犯罪の被害者になった? 一緒に酒を飲んだくせに何を言うんだ、自己責任。
とまぁこんな具合である。
ちなみにここでいう「自己責任」はすべて、「自業自得」に言い換えられる。
「がんばれば報われるのになんでやらないの?」
この『自己責任論』の厄介なところは、「がんばれば報われる」という美しい言葉と表裏一体なところだ。
出発点は「努力すればいい結果を出せるはず」。
だから「報われないのはがんばっていない証拠」。
そしてそれは「お前がいけないんだ。自己責任」。
こういう論法なものだから、『自己責任』という言葉を使えば、「がんばれば報われたはずなのになぜ何もしないんだ、自分が悪いんだろう」とかんたんに人を責めることができる。
「貧乏でもがんばって子どもを育てている人がいるのに、なんでお前はできないんだ」
「ブラック企業で働き続けたのは自分の意思なんだから文句を言うな。俺はもっと働いている」
「自衛していたら避けられた性犯罪なんだから自分が注意すべきだった」
この論法の出発点はあくまで「自分の行動を変えればいい結果になるはず」というポジティブなものだから、なんだかそれっぽく聞こえてしまう。
実際、わたしは高校3年生くらいまで、この『自己責任論』を、なんの疑いもなく信じていた。
なにかしらうまくいかないのはその人がダメだからでしょ? 努力すればある程度の結果は出るはずじゃない?
そう思っていたのだ。
全員が同じ土俵で戦っているのではないと気づいた日
そんな考えが明確に「まちがっている」と気づいたのは、高校3年生のころだ。
受験生として毎日塾に通い、模試の結果に一喜一憂し、自分の進路について考える時期。
友だちとの会話も、しぜんと将来の話になる。
わたしは「勉強すれば大学に受かる」と思っていたし、実際、ちゃんとまじめに勉強して、着々と成績を伸ばしていた。
親からは「やりたいことをやりなさい」と言われていたから、やりたいことを一生懸命考え、いろんな大学を調べた。
そこにはなんの制限もなく、わたしはただ勉強して、将来の夢を描いていればよかった。
だから、「希望の進路に進めないのは本人の努力不足以外ありえない」と、なんの疑いもなく思えていたのだ。
でもそれは、まちがっていた。
「受験料が高いから、国公立1校と滑り止めの私立1校しか受けられない」
「夏休みの集中講義のために日雇いバイトに何回か行かなきゃ」
友だちからそんなことを聞いたのだ。
わたしは、心の底から驚いた。
同じ制服を着て、いつも机を並べていっしょに勉強している友だちが、そんな事情を抱えていたなんて!
合格発表の時期になったときも、それぞれの環境のちがいは、そのまま人生の選択肢のちがいに直結した。
「早稲田に受かったけど、特待生で授業料免除になる下位ランクの大学に行くしかない。就職が心配だ」
「これ以上親に迷惑をかけられないから、宅浪かな。気晴らしでたまにバイトすれば模試代くらいは自分で払えるし」
そんな声を聞いた。
驚いた。純粋に、驚いた。
みんなが平等に、同じ土俵で戦っていたわけではなかったのだ。
塾も行けて、好きな大学を受験して、受かった大学にいける。それが恵まれた環境であることすら知らなかった。
だから平気な顔をして、「結果がでないのは自分の努力不足」だなんて思えていたのだ。
なんて傲慢だったんだろう。
「どうにかできたはず」は恵まれた人の理論
就活の時期になっても、それは同じだ。
就活をやめてのんきに海外移住を考えているわたしのとなりで、
「両親が高齢だし長男だから地元に帰らないと。東京の企業は受けられない」
「就活のために広島と東京を往復してホテル暮らし。奨学金を使い切ってしまったから、就活とバイトで授業に行けない」
と言う友だちがいるのだ。
わたしはただ、偶然、運良く、両親のおかげで恵まれた環境にいられただけ。
それに気づいてからは、他人に対して「どうにかできるはずでしょ」だなんていえなくなった。
だってわたしも、「向こう側」だったかもしれないんだから。
「努力すればいいだけじゃん」というのは、可能性を見出す希望の光でもあり、無邪気に相手を追い詰める言葉でもあるのだ。
努力で変えられる範囲は、人によってちがう
準備運動をせずに運動して怪我した。
医者に止められてるのに暴飲暴食を続けて体を壊した。
勉強しなかったから留年した。
それだけ聞けば、だれだって「自己責任だ」と思うだろう。
そこで救済を求める人がいれば、「甘え」だと批判されるかもしれない。
でも、問題ある教師が準備運動をさせずに生徒に運動を強制して怪我したとしたら?
長時間労働とパワハラで精神的に追い詰められて暴飲暴食に走っていたら?
病気の親に変わって新聞配達で生計を立てていたがゆえに留年したとしたら?
そういう事情がないって、本当に言い切れるんだろうか?
人にはそれぞれ事情がある。言える事情も、言えない事情も。
そう思うと、「結果が出ないなら自分のせいじゃん」「もっとがんばればよかったじゃん」なんて言えない。
自分が逆の立場だったとして、それを言われたら、「じゃあどうすればよかったんだよ! 助けてくれなかったくせに!」と思うだろう。「なにも知らないくせに!」と。
もちろん、「さすがに自業自得」と思うこともある。
バイトテロをして損害賠償請求されたとか、ネットで匿名で悪口を書きまくって訴えられたとか。
こういう明らかに常識を逸脱した行為によるしっぺ返しなら話は別だが、人生の分岐点や決断において、たいていの場合は「環境」が大きく影響する。
だから、他人に対して「自分が悪いんでしょ」と言うのは、やっぱりちょっとちがうんじゃないかと思うのだ。
だって、「自分でどうにかできる範囲」は、人によって大きく異なるのだから。
自己責任論より「逆の立場だったら」という想像を
自分自身の行動の責任を自分で負う。それ自体はごくふつうの考えだ。
でも事情をよく知りもしない他人が、「お前の言動で結果を変えられたはずだからお前が悪い」と自己責任論を振りかざすのは、ちょっとちがうというか、冷たいというか、偉そうだ。
最近よく『自己責任論』を聞くけど、それはだれかを追い詰めるだけで、なんの解決にもならない。
本人が悪ければ反省すべきだが、だからといって外野が過剰に責めるのではなく、「同じようなことが起こらないためになにができるか」「自分が逆の立場だったらどうしただろう」と想像することのほうが、よっぽど大事じゃないだろうか。
昔のわたしのように、「努力すればどうにかなるんだから、望まぬ結果が出たらそれは自分が悪い」と言うのは、恵まれた人の上から目線理論にすぎない。
人にはいろんな事情があり、どうにもできないことだってたくさんある。だから助け合いが必要なのだ。
『自己責任論』を唱える前に、「本当に本人の努力だけでどうにかなったのか」「逆の立場でそれを言われたらどう思うか」を考えていきたい。
人手不足 × 業務の属人化 × 非効率──生成AIとDXでどう解決する?
今回は、バックオフィスDXのプロ「TOKIUM」と、生成AIの実務活用支援に特化した「ワークワンダース」が共催。
“現場で本当に使える”AI活用と業務改革の要点を、実例ベースで徹底解説します。
営業・マーケ・経理まで、幅広い領域に役立つ60分。ぜひご参加ください!

こんな方におすすめ
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<2025年5月16日実施予定>
人手不足は怖くない。AIもDXも、生産性向上のカギは「ワークフローの整理」にあり
現場のAI・DX導入がうまくいかないのは、ワークフローの“ほつれ”が原因かもしれません。成功のカギを事例とともに解説します。【内容】
◯ 株式会社TOKIUMより(登壇者:取締役 松原亮 氏)
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・「いま」AIの利用に対してどう向き合うか
・生成AIに可能な業務の種類と自動化の可能性
・導入における選択肢と、導入後のワークフロー像
登壇者紹介:
松原 亮 氏(株式会社TOKIUM 取締役)
東京大学経済学部卒業後、ドイツ証券に入社し投資銀行業務に従事。
2020年に株式会社TOKIUMに参画し、当時新規事業だった請求書受領クラウド「TOKIUMインボイス」の立ち上げを担当。
2021年にはビジネス本部長、2022年より取締役に就任し、経費精算・請求書処理といったバックオフィスDX領域を牽引。
業務効率化・ペーパーレス化の分野で多くの企業の課題解決に携わってきた実績を持つ。
安達 裕哉 氏(ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO)
Deloitteで大手企業向けの業務改善コンサルティングに従事した後、監査法人トーマツにて中小企業向け支援部門を立ち上げ、
大阪・東京両支社で支社長を歴任。2013年にティネクト株式会社を設立し、ビジネスメディア「Books&Apps」を運営。
2023年には生成AIに特化した新会社「ワークワンダース株式会社」を設立。生成AI導入支援・生成AI活用研修・AIメディア制作などを展開。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計71万部を突破し、2023年・2024年と2年連続でビジネス書年間1位(トーハン/日販調べ)を記録。
日時:
2025/5/16(金) 15:00-16:00
参加費:無料 定員:50名
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
こちらウェビナーお申込みページをご覧ください
(2025/5/8更新)
【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
Twitter:amamiya9901
(Photo:Nik Shuliahin)