この前新年号が発表されたばかりだと思っていたのに、あっという間にもう9月。

夏休みが明ける9月1日は、18歳以下の自殺者数が急増するらしい。

今年もそういったニュースを何度か目にして悲しい気持ちになったのは、わたしだけじゃないはずだ。

 

そこで、わたしが常々思っていたことをあらためて書いてみたい。

「学生にも、有給休暇のような自主休講制度を導入しよう!!」

 

ズル休みして不登校回避した3日間

わたしは中学生2年生のとき、3日間学校をズル休みした。

たしか、仲良しの子に陰で悪口を言われていたことを知って、席替えで好きな人と離れてしまって、テストの点が悪くて、部活が楽しくなくて……そんな感じだったと思う。

 

とにかく、わたしはそのとき、どうしても学校に行きたくなかった。

だから、適当な理由をつけて学校を休んだ。翌日も行きたくなくて休んだ。そして、その翌日も。

 

休んでいるあいだじゅう、わたしは罪悪感を感じていた。

みんなが学校に行っているのに、自分は家でマンガを読んでるのだ。

悪いことをしているようで、どうにも落ち着かない。

 

それでも、持て余した時間をつかって自分と向き合い、こころの整理をつけることができた。

問題がすべて解決したわけじゃないけど、このズル休みのおかげで、「学校がイヤでしょうがない」という状況からは脱した。

あれ以上無理していたら、わたしは不登校になっていたと思う。

 

もしかしたらそのときのわたしはちょっと疲れていて、休みが必要だっただけなのかもしれない。

いま思い返せば、土日の部活も含め、朝から晩まで学校に閉じ込められていたから。

 

そういえば、突然部活を休み、1週間来なかった子がいたのも覚えている。

まわりからは「学校に来て部活に来ないなんて最低」「サボっててずるい」なんて悪口を言われたけど、結局彼女は戻ってきた。

「辞めようかとも思ったけど、いろいろ考えて続けることにした」と笑う彼女は、以前より熱心に練習に取り組んでいた気がする。

 

休み方を知らずに大人になった人間は、当然うまく休めない

頭がいっぱいいっぱいなとき、体がだるくてゆううつなとき、なにかやりたいことがあるとき。

何歳だろうが関係ない。学生だろうが社会人だろうが、「ちょっと休んで回復すること」は大事なのだ。

 

それなのに、わたしたちは小さいころから、「病気や冠婚葬祭のようなやむをえない場合をのぞいて休んではいけない」と教え込まれる。

「休まないことが偉いこと」とでもいうように。

 

そりゃもちろん、(心身ともに健康であることを前提に)学校を休まないのは立派なことだ。そこを否定するつもりはない。

でも、やむをえない理由がなくとも単純に休息が必要なことは、どんな人間にでもある。

 

そんなときでも正々堂々休めないから、学生はズル休みするしかない。

正攻法じゃないから、休むことに罪悪感を覚えてしまう。それがどうにもモヤモヤするのだ。

 

しんどくてもやり続けろ、諦めるな。毎日の積み重ねが大切。

そういう「続ける練習」はひたすらやらせるくせに、なんで「自分の時間を充実させる練習」「なにかを中断して気持ちを切り替える練習」「適切なタイミングで休息をとる練習」はさせないんだろう?

 

そのくせ、大人になってからは「成功者はオンとオフがしっかりしてる」だの、「日本人は休み下手」だの、「休みの時間を有効活用しろ」だのと言われる。

いままで一度も休み方を学んでいないんだから、大人になったからといって急に上手に休めるわけがないだろ!?

 

皆勤賞なんてクソ食らえだ。

ちょっとお腹が痛くて、ケンカしたあの子と顔を合わせたくないのなら、1日や2日くらい休んだっていいじゃないか。

 

それでお腹が痛くなくなって、ケンカした子と向き合う勇気が湧いてきたのなら、それは立派に価値のある休みだ。

休むことに罪悪感なんて覚えなくていい。

だって、だれでも疲れてる時、休みたい時はあるんだから。

 

……というのを、学生のうちから教えてあげたい。知ってほしい。

だから、学生にも「自主休講制度」を使えるようにしたらいいんじゃないかと思うのだ。

 

自分の意思で休息をとる練習をするべきだ

わたしがぼんやりと想像する「自主休講制度」は、かんたんにいえば有給休暇の学校版。

1学期のあいだに、たとえば3日間の「自主休講日」を取得できるようにする。

1週間以上前に担任の教師に伝え、「公休」として休む。

テスト期間や学校行事における自主休講に関しては各校の規則による。……という感じだ。

 

ただ、共働き家庭も多いのでひとりで留守番できるであろう学年からにしたり、親が悪用しないように気を配ることも必要はあるけど。

学校側が休む理由を聞くことは原則禁止、親ではなく自分自身が学校に休むことを伝え、休むタイミングも自分で決める。

休んでいるあいだなにをするかも自分で考える。

 

仲良くなった子がちがう部活に入っていて遊べない。恋人との1ヶ月記念日、いっしょにカラオケに行きたい。誕生日は家族で旅行したい。部活をサボりたい。職業体験をしたい。ボランティアをしたい。英検前の3日間、英会話学校で特訓したい。新作ゲームをやりこみたい。

 

理由はなんだっていい。

自分の時間をどう使うか自分で考え、子どものころから自分の意思で休む経験をしておく。それが大事なのだ。

 

そうしないと、大人になって、「いつどうやって休めばいいのかわからない」「仕事が休みだとなにをしたらいいかわからない」「休んで申し訳ない」状態になってしまうから。

 

「休んでも大丈夫だった」という経験は、未来を少し明るくなる

もちろん、休んだぶん、授業から遅れることになる。

でもそれなら、友人同士で役割分担をしたり、交代でノートをとったりすればいい。

実際、病気で休んだときはそうするわけだし。

 

事前申請制だから、「予習をして授業についていこう」と自分の勉強の進度をマネージメントするようにもなるだろうし、教師に質問をしに行く生徒も増えるかもしれない。授業内容をオンラインで共有する学校も現れるだろう。

 

係の仕事なんかも、うまいこと引き継いだり、ほかの人が分担したり、先生に交渉して一次免除してもらったりすればいい。

そういう工夫を通じて、「休む人がいても問題なくまわるんだよ」「お互い支えあえば大丈夫」という経験をしてほしいのだ。

大人になったとき「自分が休んだらみんなに迷惑をかけてしまう……」と思い詰めなくてすむように。

 

学校は休めないもの、休んじゃいけないもの。

そうやって刷り込まれ続けてきたから、「学校に行くくらいなら……」と思い詰める子たちが増えてしまうし、大人になっても「仕事を休むことは悪なんだ」と苦しんでしまう。

 

だったらもう、小さい頃から、「自分の都合や状況を考えて適切に休もうぜ!」という方向にしてしまおう。というか、そうしてください。お願いします。

 

休む権利を行使する「自主休講制度」を提案したい

「そんなことしたらイヤな授業を休む子が増えるのでは?」「根性なしになるのでは?」という心配もあるかもしれない。

でも、面倒な会議があるからって社員がこぞって有給休暇をとるわけじゃない。

こんな制度がなくともズル休みは可能なのだから、そこらへんは無用な心配だ。

 

100歩譲って欠席者が続出する授業があれば、教師や授業内容に問題がないかを精査し、改善に努めればいいだけだし。

大事なのは、子どもたちに「休む権利があり、それを自分の意志で行使していい」と教えてあげること。知ってもらうこと。

経験してもらうこと。

 

もちろん、制度として実現するハードルの高さは理解しているつもりだ。

いまのご時世ですら黒髪強制がまかりとおっている学校が、すぐに変わるとは思わない。

 

でも「教育」とは、「幸せで豊かな人生を送ってほしい」という願いのもと行われるもの(と信じている)。

それなら、「必要に応じて休むことで自分の人生をより豊かにする」ことは、絶対に必要じゃないか?

学校での経験は、良くも悪くも、その後の人生観や生き方に大きく影響する。

 

だからこそ、学生のうちから、休む訓練をしていくべきだ。大人になって、社会の波に溺れないように。

そのため改めて、わたしは「自主休講日」というものを提案したい。みなさんは、どう思うだろうか。

 

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【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

ブログ:『雨宮の迷走ニュース』

Twitter:amamiya9901

(Photo:Andre Hunter )