日曜日の昼下がり。11月下旬ともなれば、ドイツはもう完全なる冬モード。
毎日どんよりとした天気でお天道様は長期休暇中、日中でもたったの5℃しかない。寒い。
そんななか、自宅の窓からもうずいぶん葉っぱが落ちた落葉樹を眺めつつ、さてどんな記事を書こうかと考えていたときのこと。
夫が、「今日のお昼ご飯なににする?」と話しかけてきた。
「いま仕事中だからちょっと待って」と答えれば、「え、ボーっとしてるだけじゃん」と言われてしまった。
ボーっとしてたんじゃなくて考えてたんだよ!
たとえ頭の中で仕事をしていても、他人からすればただなにもしていないようにしか見えない。
「頭の中でできる仕事」が増えているのに、「手を動かしていないと働いていることにならない」という認識は、いまだ根強いらしい。
「頭を使って働いている時間」が認められない現実
最初に断っておくと、わたしの夫は、わたしの仕事をよく理解してくれている。
とはいえ、ボーっと窓を眺めている人が「いま仕事中です」と言ったらどうだろう。
「いやいやなんもしとらんやんけ」と思う気持ちもわかる。逆の立場だったら、わたしだってそう言うかもしれない。
でも、頭の中でする仕事、いわゆる知的労働の範囲はどんどん広くなっているし、それに従事する人も増えている。
「どういう方法がいいかな」
「どっちの案がいいかな」
「なんて伝えようかな」。
手を動かす作業時間ももちろん大事だけど、手よりも頭を使って働いている人は、このご時勢、たくさんいるのだ。
でもその人が頭の中でどんな仕事をしているかを、他人は判断できない。
だから世の中は、「成果主義」を求める。
「手を動かした回数」で判断しようとすると、時間をかけて手間を増やしたほうが高評価を得やすい。
だから必然的に長時間労働になり、非効率なやり方がまかりとおる。
でもそれは、頭の中でする仕事とは相性が悪い。
知的労働では、作業数自体の優先度は低いのだ。
だから、「労働時間が長いことを評価せず、成果で判断しよう」という主張が支持されるようになったのだろう。
でも、現実はどうだ。
「手を動かさずに頭を動かしている時間」や「頭を働かせるために行う気分転換や休息」は、ちゃんと評価され、認められているんだろうか?
タバコ休憩はズルイ=作業していない人はサボり
そこで思い出すのは、定期的に持ち上がる「タバコ休憩は不公平」論だ。
「タバコ休憩で1日合計30分くらい席を離れているやつがいる。なんでそれが許されるんだ」。
こんな怒りコメントからはじまり、喫煙者へのバッシングが続くのは、ツイッターやらネット記事なんかで定期的に見る光景である。
でもわたしは毎回、ふしぎに思うのだ。
「ちょっと気分転換することすら許されないの?」と。
2時間に1回、5分や10分席を離れただけで「不公平だ」と言われる職場って、どんだけ窮屈なんだろう。
タバコの健康被害やら臭いやらは別として「席を離れてリフレッシュする」ことに関していえば、そんなに責めることでもないじゃないか。
非喫煙者だって、堂々と近くのカフェにコーヒーを買いに行ったり、軽くストレッチしたり、窓から道行く人をボーっと眺めたりすればいいのに。
タバコ休憩を叩くのは、「喫煙」のような大義名分がないと、少し離席して気分転換するのすら遠慮する職場だということだ。
そうでなければ、「自分はタバコを理由に休めないのに喫煙者はズルイ」という認識になんてならない。
でもそれって結局、「実際に手を動かしていないとダメ」「長い時間働いているほうがえらい」という、長時間労働や非効率的作業につながる考えと同じじゃないか?
「手を動かしていなければサボり」とタバコ休憩を叩きまくってる人が「成果主義」を叫ぶのは、なんだかなぁ~という気持ちになる。
「手を動かしていないからダメ」は、知的労働の世界ではもう古い
念押ししておくと、わたしはタバコ休憩を普及させたいわけではない。
むしろ喫煙はやめたほうがいいと思う。
ただ、
「頭の中でできる仕事が増えている現在、手を動かす作業をしていない=サボりってわけじゃないよね」
「っていうか100歩譲って休憩してても、それで頭がすっきりして集中できるならそれでいいんじゃないの」
というだけだ。
わたしのようなしがないライターだけでなく、なにやら優秀そうな人もそう書いている。
僕は、これまでモルガン・スタンレーやグーグルなどのグローバル企業で働いてきました。
なかでも、シリコンバレーにあるグーグル本社社員の働き方は非常に印象的でした。
真昼間から、大の大人たちが会社でバレーボールをして遊んでいたり、近くをランニングしていたりする。
グーグルの人たちはなんて気楽で恵まれているんだろう。超大企業で儲かっているから、あんなふうに遊んでいられるに違いない――。
そう思う人もいるかもしれません。
けれど、そうではないんです。
労働生産性は、時間当たりにどれだけの付加価値を生み出せたかを示す値だと述べました。
つまり、仕事で重要なのは、付加価値、アウトプットがいかに大きいかであって、どれだけ長時間職場にいたかではありません。
グーグルの社員たちは、何もしなくても給料がもらえるから遊んでいるのではなく、最大限のアウトプットを出せるよう、心と体の状態を整えるために休息しているのです。
つまり、バレーボールをすることも、実は仕事に直結しているのです。
労働時間ではなく成果で評価される環境では、ぶっちゃけ昼寝してようがマンガを読んでようが、どうでもいい。
タバコ休憩でパフォーマンスが向上するのであれば、なんら問題ない。それが「成果主義」であり、「知的労働」の世界なのだ。
むしろ、「パソコンの前で手を動かしていないと仕事をしていない」と認識している人は、長時間労働を推進する邪魔者でしかない。
実際に手を動かすことを軽んじるわけではないけど、「手を動かしていないからダメ」はもう古いのだ。
オフィスワークを中心とする多くの職場において。
頭の中でできる仕事が増えた以上、成果で評価されるのが健全である
長時間労働主義に嫌気が差し、成果主義を渇望する人は多い。
その一方で、「手を止めるのは許さん。なにか作業していない人はサボり」という人もまた、たくさんいる。
というか、「長く働いている方がえらいという風潮があるから長時間労働になるんだ」と批判した同じ口で、「タバコ休憩で10分席を外しているなんてズルイ」と言う人の多いことよ。
「長く働くことがいいこと」という価値観に反対するなら、(就業規則に抵触しないかぎり)他人がどう働いていようが口を出すべきじゃない。だって、成果を出せばいいんだから。
いやまぁ、わかる。わかるよ。気持ちはわかる。
喫煙者が働いていない30分、早く家に帰らせてほしいよね。
いつもぺちゃくちゃおしゃべりしてるやつのほうが給料もらってるとテンション下がるよね。
自分が一生懸命パワポで資料つくってるとなりで、コーヒー片手に音楽聞いてる後輩が斬新なアイディアでさくっと契約とってきたりしたらさ。なんだよちくしょうってなるよね。
わかるよ。わかるともさ。
でも、しょうがないのだ。「じゃあ長時間働けば評価される職場がいいのか」と聞けば、そういうわけじゃないのだから。
頭の中でできる仕事が増えた以上、実質労働時間よりも成果を評価されるのは、むしろ健全だ。
それでもわたしたちの頭の中には、「手を動かしている人間が働いている」という認識が、思っている以上に強く刷り込まれている。
喫煙者の10分やそこらの離席で目くじらを立てる人が多いのが、その証拠だ。
そこから脱却しなければ、「成果で判断してほしい」だなんて言う資格はない。
だから、あえて言おう。
「タバコ休憩はズルイ、だなんて言わせない職場が、いい職場である」と。
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(2024/12/6更新)
【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
Twitter:amamiya9901
(Photo:Vaping360)