ひと雨降るごと、秋が深まってゆく。
道端で、咲き誇る彼岸花や蝉の死骸を見るたび、私は少し憂鬱になる。
つまり夏が終わって冬の足音が聞こえ始めたのだ。
コオロギやスズムシは今が最盛期だが、やがてそれらも絶えてゆくだろう。
死の横溢する冬の到来はどうにも避けられない。
人気ビジュアルノベルゲーム『月姫』には、”直死の魔眼“というものが登場する。
主人公・遠野志貴の目には万物の死、それも概念としての死が見えてしまうという。
その目を駆使して遠野志貴は危機を切り抜けてゆくのだが、そんなものが四六時中見えてしまっては正気ではいられない。
『月姫』は、そのさまもよく描いていた。
しかし平凡な私たちでも、秋から冬にはさまざまな死が見える。
芽吹きの季節や盛期があるだけでなく、秋の衰えと冬の死がやってくることを、四季は私たちに示唆してやまない。
思秋期、という言葉がその最たるものだが、洋の東西を問わず、人生を季節に喩えた表現は多い。
思春期が上り坂の季節なのに対し、思秋期は下り坂が始まる季節だ。
私は、動かなくなった蝉やトンボの死骸に自分の運命を見ずにいられない。
この季節の、まだ勢いはあるけれども死の気配が漂い始める景色が、自分の人生のフェーズにだぶってみえる。
50代の人生、人それぞれ
少し前に、50代の人生について幾つかの文章を見かけた。
歳をとると、自分に失望しなくなる。石野卓球(電気グルーヴ)インタビュー
50代の「偉くなれなかった人」は、何を考えて働き、生きているのか?
それぞれのリンク先をお読みいただければわかるが、50代の境遇は各人各様だ。
だから50代の最適解も人によって必ず違っていて、そのひとつひとつに妥当性があるのだと思う。
では、自分の場合はどうなのか。
拾った蝉の死骸を見つめながら考えてみる。
世の中には、人生のなかで今が一番若い時だからと、今までどおりに人生を操縦する50代もいる。
これはこれで一理ある。この考えのもと、9月の終わりに鳴くアブラゼミやミンミンゼミのように、鳴けなくなるまで夏を鳴くのもひとつの最適解かもしれない。
けれども私は、夏のように人生を操縦し続けようとは思っていないし、実際、それができない兆候が出てきてしまっている。
たとえば20~30代のような言動は今の自分にはもう無理だし、やったとしても似合わないだろう。
自分の可能性に絶望しているふりをしながら希望するような身振りもだいぶ下手になった。
だからといって悲観しているわけでもない。
人生の夏が終わり秋が来たなら、秋らしい発展可能性や楽しみを探せばいいのだと思う。
少なくとも、うつむいて過ごす理由は見つからない。
たとえば『生涯発達とライフサイクル』という書籍には、加齢による能力低下を世代別に追跡調査した研究が記されている。
これによれば、加齢によって能力が低下するといっても、その低下の度合いは時代によって異なり、たとえば戦後間もなくに生まれた世代と、それよりずっと環境の良くなった頃に生まれた世代では、加齢による能力低下は大きく異なるという。
加えて、個人レベルの発達の可塑性もあり得る。同書には
コホートという集団レベルでの発達の可塑性があるのであれば、個人の中でも加齢のしかたそのもののが変容し得るはずである。
訓練という知的環境に身を置くことで、ふだんできなかった学習が進み、高齢になっても認知能力が向上することが予測される。
実際、バルテスらが中心となった高齢者への訓練研究では、一時間程度の訓練を数回繰り返すことで、知能の得点が大きく伸びることが示された。
……と記されている。
これらを読む限り、加齢に際しての環境や態度によって、50代以降のコンディションもかなり変わってくるようにみえる。
それなら、人生の秋が来たからといって悲観しすぎることはないし、生きることにまだまだ執着し、最善を尽くしたくもなる。
「それなら夏をひたすら続ける生き方でもいいじゃないか」、と改めておっしゃる人もいるかもしれない。
いやいや、できるものならそうしますよ。
でも私なんかの場合、それはきっと無理なんです。
そう考え、実践する理由はいくつもある。
ひとつは、いつまでも夏が続くように行動しようと思っても身体がついてこないから、たとえば30代の頃のように生きようとしても劣化コピーを免れないからだ。
今でも30代の頃のように生きることはある程度可能だし、50代になってもできなくはないだろう。
けれどもそれが30代の頃の指針やライフスタイルに基づいている限り、年齢が遠ざかって身体が衰えているぶん、30代の劣化コピーに甘んじることにならないだろうか。
ちょうど、9月下旬の蝉の声がどんなに頑張っても8月上旬の蝉の声にかなわないのと同じように。
もうひとつは、人生の夏の良さに囚われるあまり人生の秋の良さに鈍感になり、秋ならではの良さを見逃してしまうのはもったいないと思うからだ。
確かに人生の夏は良い。少なくとも私の場合は良かったと思う。
私はオンラインでもオフラインでも、アブラゼミやミンミンゼミのように鳴いて過ごした。
すごく暑くて、すごく好奇心が満たされた。
だからといって人生の秋に新発見が無いわけでも、人生の秋に良さがないわけでもないだろう。
たとえば経験やノウハウや知識が蓄積した状態で色々なことができる点では、40代の時点でも以前よりもずっとアドバンテージがある。
加えて人生の秋には、「自分より年下の人たちが人生の夏の真っ盛りである様子を眺めていられる」という、今まで見えなかった景色が待っていた。これもいい。
人生の秋の良さは、総合的には人生の夏の良さに比べて翳りを含むものではある。
ちょうど、夏の森に対して秋の森のような。
だからといって、秋の森を散策する時にあれも足りないこれも足りないとこぼすのは、四季おりおりの森の景観を楽しんでいるとは言えない。
私はそういうのは避けたい。秋ならではの景観に目を向け、旬の楽しみを見出すほうが、人生を踏破している感が得られるんじゃないかと思ったりしている。
私が見た、50代のロールモデルたち
なにより、自分に生きる道筋を与えてくれた諸先輩が、人生の秋を夏としてではなく、秋として生きてらっしゃったからだ。
実は、私は上司運にはすごく恵まれている。
そうした上司たちは私よりも10~20年早く50代や60代に突入したのだけど、彼らの50代や60代を見るに、汗ばんだ夏を全力疾走するような感じではなかった。
幾人かの上司は責任ある地位に就き、後進の指導や組織の重要な役割をこなしている。
精力的に活動し、そうした地位や役割をとおして社会や地域に貢献している。
では、その活動が夏の全力疾走かといったら、私にはそう見えない。
たとえば彼らの活動からは、自分自身の成長という要素より、自分以外の成長や自分以外への貢献といった要素が色濃く感じられる。
裏方に回り、若い世代が主役を張るのを支援している雰囲気もある。
私はそういう年上をロールモデルとして敬愛してきた。
また別の幾人かの上司は、駆け抜けるような研究人生や臨床人生を30~40代に過ごし、そのアフターとして50代を迎えていた。
とりわけ恩師と言いたくなる一人は、同窓との会話のなかでこんなことをよく言っていた──「いやぁ先生、私はもういいんです。50まで精一杯やりましたから。自分のやることは全部やったんです。」
その恩師は海外で活躍し、たくさんの論文を書いていた。
けれども50代になって帰国し、当時の私の勤め先病院で働き始めた。
その後も彼は論文に目を通すのをやめなかったし、後輩である私にさまざまなことを教えてくれたけれども、どこか肩の力が抜けているというか、それまでとはチャンネルを切り替えている様子だった。
シド・マイヤーの人気シミュレーションゲーム『シヴィライゼーション』シリーズが好きで医局のPCでよく遊んでおられたし、イタリアワインの何某が美味い・ドイツワインなら何某を買いなさいと教えてもくれた。
じゃあ、その肩の力の抜けた恩師がネガティブな生き方をしているように見えたかといったら、全くそう見えず、いつも楽しそうだった。
彼はいつもブルックスブラザーズのシャツを少しだらしなく着ていたが、そうしたありようも含めて、このような50代に自分がなれるなら本望だと思わせる何かがあった。
彼らのようになれるかわからないけれど
こうした諸先輩の背中を見てきた私も、あと数年でその50代を迎える。
これから、諸先輩のように私がなれるかはわからない。
わからないのだけど、彼らの後ろ姿が「ほら、人生の秋だってそう悪くないだろう?」と告げていたから、彼らにあやかりたいものだ。
死が見え隠れする季節だし、案外、蝉のように早く逝くのは自分自身かもしれない。
だとしても、死の気配にとらわれ過ぎず、秋ならではの楽しみや出来事を追いかけていきたい。

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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
Photo by Kristian Seedorff