もうずいぶんと昔の話だが、友人が起業し、順調に事業を成長させているという噂を耳にしたことがあった。
懐かしさもあり久しぶりに連絡を取ると、さっそく一杯飲もうということになり、仕事終わりに彼の会社を訪れる。
彼のオフィスに着いたのは、迷惑にならない時間を選んだつもりで21時頃だっただろうか。
しかしまだ、多くの社員が残業の真っ只中ということで、入れ替わり社長室に入ってくる社員に次々と指示を出し続けていた。
その勢いがひとしきり落ち着くと、彼はカバンから財布だけ取り出し、「近くにいい店があるんで行こう」と言う。
きっと飲んだ後に、もう一度オフィスに戻ってくるつもりなのだろう。
そんな様子が気になり、ビールで乾杯すると開口一番、彼に問いかけた。
「お前が帰らないと、社員も帰れないだろ。いつもこんな感じなのか?」
「あぁ。大手メーカーとの取り引きが決まって、今が勝負どころだからな」
「気持ちはわからんでもないけど、経営に勝負どころじゃない日なんかないだろう」
「そうかも知れんけど、俺は今、桶狭間に突撃する前の織田信長の心境だ。あれこそがリーダーのあるべき姿だ。ムチャは承知だよ」
「…そうか」
その後、彼とは適当に話をして一時間ばかり過ごし散会したが、気持ちは晴れなかった。
彼はあらゆる意味で、リーダーの役割も経営者の仕事をも勘違いしていることが理解できたからだ。
きっとこのままでは、社員はもとより彼自身も、良い結果にならないだろう。
「日本人は舐められているんです」
話は変わるが2000年代の中頃、私は台湾の証券取引所に上場を準備していた企業で、CFOをしていたことがある。
令和の今では想像もつかないかもしれないが、当時は台湾の取引所関係者がこぞって来日し、日本のテック系企業を誘致しようと多くのセミナーなどを開催していた頃合いだ。
そんなある日、台湾の証券会社の招きで私は台北から高雄まで、文字通り北端から南端まで3泊4日の強行軍で周ったことがあった。
私をアテンドしてくれたのは、現地証券会社の中堅社員でRobinという若い男性だ。
なおRobinという名前ではあるが、彼は台湾生まれの台湾育ちで、生粋の台湾人である。
日本人にはなかなか理解できない感覚かも知れないが、台湾で働く多くのビジネスパーソンは、西洋風の名前を名乗り仕事をする。
欧米人に覚えてもらいやすい、呼んでもらいやすい名前を名乗る習慣を持っていることも、あるいは台湾の強みの一つなのかもしれない。
4日間も強行軍を共にすると、やはりお互いに親近感も湧きいろいろな会話をした。
中でも印象的であったのは、Robinの日本語の堪能さだ。
彼の日本語は全く違和感がないほどに会話が成立し、ビジネス用語ですらも流暢に使いこなした。
「Robinの日本語はすごいですね。日本に留学をして学んだのですか?」
「いえ、留学どころか日本に行ったこともありません。いつか行くのが、私の夢です」
「本当ですか、一体どこでそれだけの日本語を学んだのですか?」
「日本語は全て、アニメから学びました。日本語オリジナルの原版を個人輸入し、日本語のニュアンスから勉強したんです」
そして日本をどれだけ愛してくれているか、アニメの舞台になった街への思い、今回の取り引きを通じて日本企業との縁ができることへの期待感を、大いに語ってくれた。
そんなRobinと私はすっかりと仲良しになり、帰国の際には少し涙ぐんでしまったほど、名残惜しい別れになった。
そして帰国後、いよいよ縁があった台湾企業と取り引きを検討する段階になった時のことだ。
仲介役はRobinの証券会社で、条件に応じて取引額の何%かを支払う条件である。
しかし国境を越えた取り引きの実務は、想像以上に難しい。
準拠法は台湾法で行くのか日本法で行くのか。
納品成立の定義と支払いの発生をどう解釈するのかなど、顧問弁護士だけでなく台湾の弁護士にも代理人になってもらい、お互いにベストな落とし所を探りながら契約を模索する。
しかしこの際、意外なことに最大の「敵」になったのは社内、とりわけ経営トップだった。
「桃野さん、3%で合意をした仲介手数料ですが、2%に引き下げるよう再交渉してください」
「社長、その数字は社長の名前で合意をして、既に交渉が終わっている部分です。相手を再交渉のテーブルに着かせるには相当な理論武装が必要ですが、翻意の理由を聞かせて下さい」
「それは桃野さんが考えて下さい。いいですか、私は台湾を足掛かりに中国本土にも進出します。彼らは必ず騙してきます。だから、タフな交渉をして舐められないようにしないとダメなんです」
「・・・」
その後も彼は、まとまりかけた交渉を敢えてひっくり返すことを繰り返し、その理由を要旨、以下のように説明した。
「台湾人や中国人はしたたかなので、その上をいかなければならない」
「クロスボーダーの取り引きでは、リスクを限りなく0にする必要がある」
「日本人は舐められているので、ムチャな交渉をするくらいでちょうどいい」
そのようにして出来上がった契約書は、確かに自社に一方的に有利なものであった。ほぼノーリスクであり、自社にのみ利益を誘導する趣旨に溢れていたといっても良い。
しかしそのような内容で、実際に取り引きが動くことなど、あるはずがない。契約は結ばれたものの、結局先方は1件たりとも実務を進めることなく、そのまま更新期限を迎え契約は打ち切られた。
当然の結果であった。
最後に、調印事務や条文の最終調整のために台湾を再訪した時の、Robinの失望に満ちた顔は今も忘れられない。
初めて会った時は駅まで迎えに来て、駅まで送ってくれた彼とは対照的に、会議室の外まですら見送ってくれず、一度も目を合わせてくれなかった。
私は、拙い仕事で日本を大好きでいてくれた台湾の青年を、日本嫌いにしてしまった。
本当に申し訳なく、いつか謝罪したい思いを、胸の痛みとともに今も抱え続けている。
奇跡は学ぶべき教訓ではない
話は冒頭の、友人が経営する会社についてだ。
毎日が桶狭間の心構えだとムチャをする彼の会社を、なぜ良い結果にならないと考えたのか。
21時過ぎに訪れた際、社長室に入れ替わり入ってくる社員はみな、疲れ切っていた。
そしてただ怒られないよう、おどおどしながら友人である社長に報告を上げている様子は痛々しいほどだった。
そんな状態で「桶狭間に突撃」などしても、誰もついてこないだろう。
そもそも論だが、織田信長の凄さを桶狭間の勝利に感じている時点で既に、リーダーや経営者としての素養に欠けている。
当の信長自身、その生涯において「敗色濃厚のムチャな戦い」に打って出たのはこの時だけである。
そして若き日のこの「失敗」から、それ以降は
・相手を上回る軍勢
・政治環境
・兵站
などといった勝利条件が整わない限り、容易に武力を行使することはなかった。
そしてそれこそが信長の、本当の凄さだ。
すなわち、勝利という結果ではなく本質から学ぶセンスである。
にもかかわらず、日本のリーダーや経営者はなぜか、
・織田信長の桶狭間の戦い
・楠木正成の千早城の戦い
・源義経の鵯越の逆落とし
といった創作話を真に受け、あるいは過剰に学習し、
「ムチャをしてすごい成果を挙げることこそ、魅力的なリーダーの条件」
であると勘違いする。
無理をすること無く、仕組みや環境を整えて目的を達成するリーダーの方が優れているに決まっているのに、なぜここまで頭が悪い経営者ばかりなのか。
そしてその一方で、旧日本軍の精神論を笑うという価値観が同居しているのだから、なかなかにカオスである。
結局彼の会社はその後、ムチャな働かせ方が問題になり行政指導を受けるなど問題が多発し、程なくして廃業に追い込まれた。
当然の結果である。
誤解を恐れずにいうが、経営者であれば死ぬまでムチャをしても当然である。
しかし自分と同様に、役職員にもムチャをさせて当然と考えているような経営者は、いい加減に片っ端から捕まえて刑事罰を与えるべきだ。
そこまでしないと、日本の経営者はいつまでも「どうやって効率的に数字を上げるか」に発想が切り替わらず、「ムチャな頑張り」を当然の前提と考えて、いつまでも生産性が上がらないだろう。
そして話は、台湾企業相手に不毛な交渉を求め続けた元経営トップについてだ。
クロスボーダーの取り引きで騙されるのが怖いのであれば、採るべき選択は間に商社を入れるなどして、リスクをコストで負担することである。
そうすれば、ムチャクチャな要求をすること無く、お互いに気持ちよく取引をすることができるのだから当然ではないか。
騙されることも織り込み済みなのだから、大したダメージにもならないだろう。
にもかかわらず、彼は「世界的企業に成長するためには、最初から直取引をすべきだ」という謎のこだわりを主張し続けた。
そして関係者全員を疲弊させ、誰もやる気のない契約を満足そうに結び、個別の話をすべて断られるという壮大なムダをやらかしてみせた。
これもやはり、「ムチャをして成果を挙げることにこそ、価値がある」という、日本人的な謎のリーダーシップがもたらす害悪である。
汗水垂らして働くことが尊いことであることは、論を待たない。
しかし「緊急事態に際して、ムチャをする覚悟」と、「普段からムチャな仕事を常態化すること」は全く別の話だ。
経営者やリーダーは、平常時においては「汗水垂らさずに金を稼ぐ仕組みづくり」を目指さなければならない。
そんな環境を用意する事ができない者は経営者ではなく、中抜きしかできない無能な手配師である。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
穏やかな性格で知られる癒やし系のカピバラさんですが、スイカを与えられた時は凄い勢いでケンカをし、奪い合うのをご存知でしょうか。
カピバラさんですらそうなのです。
食べ物の恨みを買った覚えがある人は、人生の早いウチに詫びを入れましょう。
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