”ユーニス・パーチマンがカヴァデイル一家を殺したのは、読み書きができなかったためである”

という一文から始まる「ロウフィールド館の惨劇」というミステリ小説がある。

 

「読み書きができない家政婦」がその劣等感をこじらせ、一家惨殺に及ぶまでを追いかける話で、映画化もされている。

 

3年ほど前に知人のすすめで読んだのだが、倒叙ものや、変わった話が好きな方は読んでみても良いと思う。

 

 

ただ、ストーリーの強烈さより私が覚えているのは、文盲までいかずとも「文章が正確に読めない人」は、今でもかなりいるな、と思ったことである。

 

例えば、リーダーが部下に、こんなメールを送ったとする。250文字だから、ツイート2つ分弱だ。

明日の朝10時までに、私をCCに入れて、Yさんにメールを送っておいてください。内容は次回の定例までの宿題事項と、現在までに積み残している課題の一覧の二つです。積み残しの課題については、期限を必ず課題ごとに書いてください。

また別件ですが、B部長から依頼された報告書を仕上げて、私の机の上に置いておいてください。これも期限は明日の朝10時です。

注意事項として、書いたら必ずOさんのレビューを受けてください。前回の報告書はB部長からかなり指摘が出たので、同じミスをしないためです。

よろしくお願いいたします。

しかし、翌日の10時になってもメールが届かず、報告書も提出されない。

リーダーは「困ったやつだな」と思いながら、直接Uさんに聞きにいく。

 

「Yさんにメール送った?」

「はい、送りました。」

 

「私をCCに入れた?届いてないんだけど」

「あ、すいません、入れてないかもしれません。」

 

「ちゃんと送ってよ、あと、B部長から依頼された報告書は?」

「……何の話でしたっけ?」

 

「メール読んでないの?」

「えーと、あ、思い出しました。すでに部長に提出しています。」

 

「ちょっと待って、Oさんのレビューを受けて、私に出せ、と書いたじゃないか。」

「え、Oさんのレビューは受けましたけど……」

 

「もういいや、ひとまずYさんに送ったメールを見せて。」

「は、はいこれです……」

 

「積み残しの課題に、期限が書いてないじゃない。メールちゃんと読んだ?」

「えーと、件名に書いてますが……」

 

「課題ごとに書いてくれ、とメールにあるでしょう」

「すいません、ちゃんと読んでませんでした……」

 

 

ツイート2つ分の指示すら正確に読めず遂行できない。

「こんなひどい人はいませんよ」と、思う方も多いかもしれない。

 

が、これはほぼ実話で、メールでの依頼は、少し情報量が多くなると、たちまち処理できない人が増える。

 

そうなると「メールを送る側が、わかりやすくなるように配慮せよ」と熱弁をふるう人が出てくる。

例えば下のように、メール1件につき1つの依頼にしたり、箇条書きにしたりする工夫だ。

明日の午前10時までにYさんにメールを送ること

内容は、

・次回の定例までの宿題事項

・現在までに積み残している課題の一覧

の二つ。

 

メールを送る際の注意事項は、

1.CCを私宛に入れること

2.積み残しの課題一覧には、課題ごとに期限を入れること

しかし、現実はこれでも間違う人がいる。

 

さらに「文章が読めない人」はたいてい、「文章が書けない人」と重なる。

そしてそもそも、世の中には様々な人がいるので、わかりにくいメールが届くという状況は、撲滅できない

 

実際、文章での指示は、実はかなり難しい。

社員の多くがこのような状況でテレワークを採用したとしたら、結果は悲惨である。

未だにテレワークを採用していない会社の中には、「読み書きが苦手」という社員が数多くいる可能性もある。

 

 

しかしなぜ、「読めない人」は、文章が正確に読めないのだろうか。

 

原因としては、「読み飛ばし」と「都合のいい解釈」の可能性がある。

自分の理解しやすいところだけを拾って読んで、わからないところは自分の都合の良いように解釈する、という読み方だ。

 

例えば、慶応大の今井むつみ著「算数文章題が解けない子供たち」によれば、以下のように、問題文にある数字に、思いついた演算を機械的に適用する、と言う子供がいる。

同書によれば「文の意味を深く考えず問題文にある数字を全部使って式を立て、計算をしてなんでも良いから答えを出そうという文章題解決に対する考え方を子供が持っている可能性が高い」としている。

 

また、国立情報学研究所の新井紀子著「AI vs 教科書が読めない子供たち」でも同様の指摘がある。

Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

Alexandraの愛称は()である。

①Alex

②Alexander

③男性

④女性

上の問題において、中学生の正答率は、たったの38%。

誤答の原因を「知らない単語が出てくると、それを飛ばして読むという読みの習性があるためです。」と著者は推測している。

 

宮城教育大の西林克彦は、人間は文脈に依存して細かい部分を読むので「間違ったわかかったつもり」の状態が発生し、その状態では部分が読み飛ばされてしまうと述べる。

例えば、下の文章である。

小景異情(その二)室生犀星

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや

ひとり都のゆふぐれに

ふるさとおもひ涙ぐむ

そのこころもて

遠きみやこにかえらばや

遠きみやこにかえらばや

西林は授業で、「この詩の話者」はいったいどこにいるのか、と生徒たちに問うという。

すると大学生でもほとんどの人が「都にいる」と答えるのだそうだ。

 

ただ、それは間違っている。

 

それは、冒頭の「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」の印象が強すぎるからである。

一番最後に「遠きみやこにかえらばや(かえろう)」という矛盾した情報が出てきているにもかかわらず、解釈が修正されないのだ。

 

上の研究は子供を対象にしたものだが、冒頭のメールへの対処を見ていると、大人も子供と同様に、「読み飛ばし」と「勝手に解釈」が散見される。

 

こうして、「いつも通り」の文脈でメールを見ている部下は、CCを入れろ、とか部長に提出する前に、私に見せろ、とかの指示をよく読まずに無視してしまう。

 

 

こうした「読めない(読まない)」人への対処はどうすればよいのだろう。

 

基本的には読解力はすぐには上がらないので、シンプルに考えれば「声で伝達し、確認をする」というほかはない。

 

例えば、私の子供の幼稚園での話だ。

妻から聞いたのだが、行事の説明などで、保護者向けに何かしらの指示が出されるときには、まずプリントが配布される。

 

ところが、プリントを配布しておしまい、という事にはならない。

幼稚園の先生方はかならず、プリントを親御さんたちの目の前で読み上げるという。

 

妻は「プリントで配布しているのだから、わざわざ読まなくていいのでは」と思い、先生方に聞いたところ

「プリントだけだと、きちんと伝わらない人もいるので、読み上げます」

と言ったそうだ。

 

軍では命令を復唱させる。

メールで送った内容を、改めて口頭で伝える会社も少なくない。

 

ピーター・ドラッカーは、世の中には「聞く人」と「読む人」がいると述べた。

読む人に対しては口で話しても時間の無駄である。彼らは、読んだあとでなければ聞くことができない。逆に、聞く人に分厚い報告書を渡しても紙の無駄である。耳で聞かなければ何のことか理解できない。

 

これらは能力と言うより、得意不得意の話だとすると、相手によって「メール」と「電話/対話」を使い分ける、という配慮のほうが、実効性が高いかもしれない。

 

 

 

 

【著者プロフィール】

安達裕哉

元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。

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