この記事で書きたいことは、大体以下のようなことです。
・夫婦間の家事分担でのトラブルや不平不満の話をよく聞きます
・家事はとても大変なタスク群であって、「やれて当然」などというハードルが低いものではない、という前提の共有はまず重要です
・大変なタスク群をプロジェクト内で分担する際は、ある程度システマチックにやらないと大体トラブルに発展しますよね
・私の観測範囲内では、「タスクの粒度/難易度認識」と「目標設定」「達成度評価」の三点に関して、言語化に基づく認識合わせが足りていないご家庭が多いように思います
・家事が出来ているのはとても偉いので、皆自慢しまくるといいしお互い褒めまくるといいと思います
以上です。よろしくお願いします。
さて、書きたいことは最初に全部書いてしまいましたので、あとはざっくばらんに行きましょう。
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家事、大変ですよね。私、高校の頃から一人暮らしを経験しまして、適当に生活していたら生活水準が壮絶に下がって部屋をゴミ部屋にしてしまったことがありまして、以来25年間、「家事ちゃんと出来てる人ほんとすげえ」とリスペクトしつつ生きています。
それはそうと、しんざきは結婚して20年程になります。おかげさまで、今のところいい感じの家庭運営が出来ているのではないかと思っています。
家庭内での私の家事の守備範囲は、以前は掃除・衛生系に偏っていたんですが、仕事がほぼフルリモートになって家にいる時間が長くなった関係もありまして、最近は炊事もかなり担当するようになりました。
冷蔵庫にある食材をちょうどよく使い切って炒め物にするスキルも身についてきました。つい三年前には火の使用が出来なかったんですよ。かなり成長したと思いませんか?
(40歳で料理を始めてみたら「パソコンを起動できないおじさん」の気持ちがわかった件。)
家事って、一つ一つのタスクにスコープを絞ってみるとそこまで難易度高くないように思えるんですが、実際には「相互に関連し合った細かいタスクが不断に連なっている」「しかもそのタスクをそれぞれ平行で進めないといけない」という、実はマルチタスク処理能力を高水準で要求される行為なんですよね。
洗濯機回してから布団干してゴミ集めてゴミ捨てして排水溝の始末して子どもたちのご飯作って掃除機かけて棚の拭き掃除して、本来は洗濯が終った頃に洗濯物を干さないといけないのに途中で完全に洗濯機を回したことを忘れている、なんてことはしょっちゅうでして、これを完璧にこなすとか無理ゲー過ぎるだろと個人的には思います。
そうでなくても、炊事掃除洗濯、どれもこれも「手を付けるとなると面倒」なものばかりでして、ある程度気合を入れないとそもそも実行フェーズに移ることすら出来ません。
それに対して、これは個人的な印象なんですが、どうも家事に対しては「出来て当然」というように認識している人が多いように思えるんですよね。
実際タスクを回そうとすると「これが出来て当然とか、世間の人達は一体どんな脳みそをしてるんだ……??」と感じることがしばしばあるんですよ。家事回せるってそれだけですごくないですか?
私は「夫婦というのは、「人生」というプロジェクトを共同運営しているプロジェクトチームだ」と思っているので、「家事」なんて困難なタスク群に対応するならがっつりシステマチックにやらないと無理だろ、と考えまして、プロジェクト運営のタスク分担と同じような考え方で整理しているんですが、世間の人たちはそういうの必要ないのかなーと思ってちょっと不思議だったんですよ。
さて、最近、夫婦間での家事の分担についての話を観測する機会が、web上でもオフラインでも何度かありました。
しんざきは何故か愚痴を聞かされやすい方で、会社でも町内会でも家庭の愚痴を聞かされる頻度が高いのですが、「家事に非協力的な配偶者」ないし「ちゃんと協力しているのに何故かまるで満足してくれない配偶者」というテーマは愚痴カテゴリーの中でもトップクラスの頻度を誇っています。
直近で言うと、Books&Appsでも雨宮紫苑さんが以下の記事を書かれています。
家事を手伝っているはずなのに、なぜか怒られる人は、何が問題なのか。
ただ家事分担でよくモメるなら、家事を流れとして意識していないことが原因の可能性があるので、ちょっと考え方を変えてみるといいんじゃないかなーという話だ。
家事分担に伴う夫婦間の意識のすれ違いという話をメインテーマに、家事を一連の作業の流れとして認識することの重要さについて書かれている内容だと思います。
これについてはおっしゃる通りとしか言いようがなく、反論などは全くないのですが、ちょっと自分の言葉でも「家事の分担」について整理してみたくなりました。
一つ前提として、書くまでもないことではありますが、「家庭の状況は人それぞれであって、「これが正解」という普遍的な解があるわけではない」ということは確認させてください。
家族構成によっても、家の作りによっても、就いている職業によっても、必要な家事の条件は全く変わります。子どもがいるかどうかで家事の量と性格はがらっと変わりますし、仕事がフルリモートのご夫婦とフル出勤のご夫婦では家事に費やせるリソースがまるで違うでしょう。
誰かの家庭における最適解が、他の家庭でも最適解である保証は、何をどうやったって不可能な道理です。
その辺、私がやりたいことは飽くまで家事分担についての認識の整理であって、「最適解」を求めることが目的ではない、ということはご認識ください。
***
さて。
夫婦間の家事の分担にまつわるトラブルについて掘り下げていくと、観測している限り大体下記三点の認識のすれ違いに帰結するなあ、と感じています。
・タスクの粒度/難易度認識
・目標設定
・達成度評価
順番にいきましょう。
まず一つ目、家事の粒度と難易度の認識についての食い違い。
上でも書きましたが、家事って本来「非常に細かいタスクの集合体」であって、いわゆる「家事」っていうのはそれを総体として表現した言葉に過ぎないんですよね。
たとえば「掃除」という家事があります。
一言で「掃除」と表現してしまうと非常に漠然としていますが、実際に掃除という家事をタスク分解してみると、
・床に落ちているものを集積・避難させて掃除機をかけられるようにする
・床に掃除機をかけて細かい埃やゴミをとる
・掃除機でとれないゴミについては水ぶきなどで対応する
・床に落ちていたものの要/不要を判断してゴミとそうでないものにより分ける
・ゴミをまとめてダストボックスに放り込む、ダストボックスが一杯になっていた場合それを処理する
・水回りの処理をする
・壁や天井のほこりを拭いて、新しい落書きを発見した場合それをどうにかする
などなどなどなど、滅茶苦茶バリエーション豊富なタスク群がその中に含まれていて、しかもそれぞれ難易度も違えばかかる労力も違うんですよ。
これが洗濯であれば、「洗濯機に洗濯ものと洗剤を放り込んでスイッチを押す」以外にも、「まず洗濯ものを裏返しにする」とか、「ポケットの中を確認する」とか「洗濯物を干す」「取り込んだ洗濯物をたたむ」「それぞれの部屋に洗濯物を持っていく」といった、うんざりする程大量のタスクが控えているわけです。育児だって買い出しだって同じことでしょう。
もちろん、これらは必ずしも「全てをやらなくてはいけない」タスクではありません。壁や天井は大掃除の時にやればいいという考え方だってあるし、洗濯物畳んで回収するのは子どもたちにやらせよう、という家庭だってあるでしょう。
ただこれ、「自分の守備範囲ではないタスク」について、ちゃんとタスクの粒度を把握してますか」って凄く重要な話だと思うんですよ。
どんな仕事、プロジェクトでもそういうものだと思うのですが、タスクというのは「粒度を理解していないと、タスク分担も難易度評価もできない」ものなんですよね。
単に「掃除」とか「料理」というカテゴライズは、実際に家事でやらなくてはいけないタスク群の工数を評価するにはちょっとおおざっぱ過ぎるんです。
これを理解しないで、例えば「掃除」というカテゴリー群の中で「床に掃除機をかける」だけを遂行して「今日は俺が掃除をした!」と言われたらそりゃ腹も立つでしょうし、一方「洗濯なんてそんなに手間かかる?」といった、工数感が明確になっていないが故のすれ違いが発生したりもするでしょう。
相手の担当家事を「手伝う」にせよ、こういうことを理解していないと、「全体の家事タスク群の中で、どこを受け取れば相手が楽になるか」というのも判断出来ないし、それに対する評価にも不満をもってしまうわけです。雨宮さんが、上述した記事で書かれていたこともこの話かと思います。
まずは、「分担するなら、家事の粒度については細かく整理して、担当分けをどうするにせよ、「どれだけのタスク群が存在するのか」というのは明確に共有しておいた方がいい」というのが一つ目の結論になります。
第二に目標設定について。
これは、要は「何のために家事をするのか」「その為にはどこまでのクオリティを求めなくてはいけないのか」という認識をきちんと共有しておくべき、という話です。
家事というのは、「快適で健全な生活を維持する為」にやるものです。
では、その「快適で健全」のラインはどこなのでしょう?どの程度の清潔さが保たれていれば快適で、またその為にどれくらいのコストをかけるべきなのでしょう?お金はいくらかけることが出来て、時間はどれくらい費やすことが出来るのでしょう?
仕事でも同じ話ですが、「ゴールはどこか」ということを明示しておかないと、タスク分担なんて出来るわけがないんですよね。
「どこまでやればいいかは指示出来ないけどこのタスクは君のね」というPMがいたら2発くらいは殴りたくなるじゃないですか。
家事のゴールというのは人によって違いまして、「服なんて畳まなくたってタンスに突っ込んどけばいいじゃん」という人だっているし、一方「床にほこりの一つでも落ちていれば許せない」という人だっています。
それをどこまで許容するか、どこまで求めるかは人それぞれです。一方、「子どもが産まれて大変だから一時的に掃除は適当に」みたいな、状況次第で求められるクオリティが変わる場合もあるでしょう。
ところが、「それぞれの家事に、現在はどういうクオリティを求めるか」という指標についてきちんと棚卸しているご家庭、私が観測している限りではホント少ないんですよ。「このタスクとこのタスクについてはクオリティを求めないようにしよう」という合意がとられていない。
結果、求めるゴール像がバラバラである為にプロジェクト内で炎上が発生すると。これもよく聞く話ですよね。
「どこまで求めるのか」について、夫婦間のすり合わせをきちんと行って、タスクごとに合意をとっておいた方がいいよね、と、二つ目の結論はそうなります。
三つ目、達成度評価。
要は、「タスクを遂行出来た時にはちゃんと評価しましょう」という話です。
これも先日拝読した記事でして、
これ自体は「どちらがより大変な一日を過ごしたか」というイメージを家庭内でのブランディングに利用している夫に対する腹立たしさ、という話だったと思いまして、それはそれで筆者さんの思いはもっともだとは思ったのですが、ただ私自身は
「いや、一方的な家事やったよアピールが不快ならば、自分もがんがん家事やったよアピールをしていくべきなんじゃない?」
と思ったんですよ。むしろ、夫婦それぞれが互いに自分の家事出来てる具合を自慢しあう世界がいい。
モチベ―ション管理ってどんなプロジェクトでも重要ですが、上記のような「タスク粒度」「ゴールライン」をきちんと把握した上でのことならば、「ちゃんとプロジェクトに貢献出来たんだから褒めて欲しい」ってなるのは当然のことだと思います。
それは別に、夫婦どちらかという話ではなく、家族の構成員全員が褒められていい。
チームメンバーがどんな貢献をしたかってやっぱり把握するべきことですし、そこは認め合うべきだと私は思うんですよ。
ここでポイントになってくるのが、「家庭運営に「責任者」はいない」、ということですよね。
誰かが明確なプロジェクトの責任者であるなら、モチベの管理はその人の責任ですけれど、家庭運営というプロジェクトで「主従」があるべきではない。モチベーションを一方的に管理してくれる人はいない、だからこそ「互いにアピールするし互いに褒め合う」というのが最適解なんじゃないか、と。
少なくとも私はそう考えるわけなんです。
ということで、「家庭運営」をプロジェクトとして捉えた上で、三点のポイントごとに整理してみました。
私は怠惰な人間なので、もちろん家事が完璧に出来ているかというと全くそういうわけではないんですが、とはいえお互いに何をやっているか、何をするべきなのかというのはきちんと把握した上で、お互い認め合って人生送っていけるような、そういう夫婦関係を今後も築いていきたいなーと考える次第なのです。
今日書きたいことはそれくらいです。
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【著者プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
Photo:Tomohiro Nishimura