「桃野さん私、あの人のことは嫌いですが、とても仲が良いんです」
先日、陸上自衛隊の元最高幹部と話していた時のこと。とても印象に残る、そんな不思議な言葉を聞くことがあった。
一体何を言っているんだ…?
仕事上の付き合いやしがらみなどで、表面的にだけ付き合っているというようなニュアンスではない。
“利用価値がある”というような、下卑な話でもない。
本当に仲良さそうにされているのでお聞きしてみた時に、返ってきた言葉である。
元最高幹部は、人の悪口など一切言わない人だ。
それどころか、明らかに前任者のために苦労したであろう任務についてメディアから質問された時ですら、このように返した。
「とても優れた指揮官の後を(力不足の私が)継いだので、大変でした」
つい最近まで、そのような立ち居振る舞いは“武士の矜持”というような精神論なのだろうと思っていた。
リーダーとしての美学であり、あるいは軍人としてそうすべきという価値観なのだろうと。
しかしそれは大変な誤解だったことをつい最近、理解する。
「なぜその程度のこともできないのですか?」
誤解に気がついたのは、それからだいぶ経ったある日のこと。一杯ご一緒させて頂きながら、こんな会話をしている時のことだった。
「大部隊を率いる指揮官にとって必要な人心掌握術とは、どのようなものでしょう」
「こうすれば成功する、というような魔法はないと思います。しかし高い確率で人心掌握に失敗する指揮官の特徴なら、あると思います」
「ぜひ教えて下さい」
「そうですね…具体的な事例でお話ししましょう」
そう言うと元最高幹部は、師団長時代のある出来事を話し始める。
「例えば通信科という職種は、演習場にファーストイン、ラストアウトします」
北海道の広大な演習場で、長期に渡って行われる演習は過酷だ。
その中でも、通信を担う部隊は最初に演習場に入り、撤収も最後というもっとも大変な職種の一つであると説明する。
「そんな通信をはじめとした後方部隊にこそ、演習終了の最後に必ず顔を出すことにしていました。皆のおかげで良い訓練ができたと、ねぎらうためです」
「師団長が突然現場に顔を出し、若い隊員に直接お声掛けをするのですか!? それは喜ぶというよりもビビる気がします…」
「はい、驚きますがしかし皆が喜んでくれました。士気の高揚とは、実はこの程度のことなのかもしれません」
納得がいくような、しかし余りにも単純で“自己満足じゃないの?”と言いたくなるような話だ。
訝しむ私の顔を見透かしたかのようにニコリと笑うと、元最高幹部は続ける。
「そんな師団長時代から10年以上も経った、ある日の話です」
元最高幹部は、自衛隊OBとしてある駐屯地の記念行事に招かれた時のことに話を転じる。
「師団長、お久しぶりです!」
突然の声に振り向けば、そこに立っていたのは30代なかばになる陸曹(現場の中核となる自衛官)の女性。
師団長時代の隷下部隊の隊員であることに気がつき、昔話が弾む。
「私、正直に申し上げますと他の師団長のことは名前も顔も覚えていません。しかし、師団長のことだけは今も記憶に残っているんです」
「ありがとうございます、嬉しいですね!」
「演習が終わったら、歴代の偉い人たちは皆、すぐ帰っちゃいました。しかし師団長は、必ず全員のところを回ってご苦労さんとお声がけをしてくれたんです。本当に嬉しかったです」
「そんなこともありましたね」
「はい、現場の私たちにまで親しく声を掛けて下さったのは、師団長だけでした!」
(いやいやいや、俺はそんな美談なんかに納得しねえぞ…)
ますます出来すぎたスキの無い話に逆に反発を覚え、酒の勢いもありこんなツッコミを入れる。
「とても良いお話だと思いますが、しかし疑問があります。師団長や方面総監に昇るような最高幹部であれば誰でも、そのような心遣いはするし、できるものではないのですか?」
「どうでしょう、できる人もいれば、できない人もいると思います」
「できない人は、なぜできないのですか?というよりも、その程度のことすら、なぜできないのでしょう」
「桃野さんは、どう思いますか?」
「“地位が人を狂わせる”のですか?それくらいしか、理由を思いつきません」
「それもあると思います」
そして、役職そのものが偉いのに、自分が偉いと勘違いする人が一定数いること。
自分が偉いと思ってしまうと、これくらいの気遣いすら難しくなる人もまた少なくないと話し、こう締めくくった。
「役職が偉いのです。私など、何一つ偉くありません。そこを勘違いするとリーダーとして、人心掌握に失敗する可能性が高まるのではないでしょうか」
「お言葉ですが、それは間違っています」
話は冒頭の、「大変な誤解」についてだ。
“あの人のことは嫌いですが、とても仲が良いんです”
この言葉は決して精神論などではないと、なぜ思えたのか。
「役職が偉いのです。私など、何一つ偉くありません」
(…この人は、自分に与えられた役割と任務の最適解で行動している)
その役割とは決して、自衛官・元自衛官としての立場だけではない。
まして師団長や方面総監と言った巨大組織のリーダーという、時限的な立場での“あるべき姿”の話でもない。
生まれ持った個性や身体的・知的能力、特性などから、自分は何を成すべきか(為すべきか)という意味での、人生における“必成目標”の話だ。
言うまでもなくチームや組織は、さまざまな個性や能力の組み合わせで強くなる。
同じようなタレント、価値観、感性の人しかいない組織は、環境や前提条件の変化に極めて脆弱だ。
だからこそたった2名のチームですら、「嫌いだからこそ頼りになる」はあり得る。
自分に与えられた役割から立ち居振る舞いを導く人にとって、「嫌い」はむしろ、魅力ですらあるということだ。
リーダーシップに溢れる人は、“必成目標”を為すために、好きな人、同じような能力の人、同じ感性の人で周囲を囲むようなことなど決してない。
冒頭で、元最高幹部は人の悪口など一切言わない人とご紹介したが、「嫌い」すら魅力なのだから、「悪口」を言う必要もなく、そもそもそんな発想すら無いのだろう。
とはいえ、このような解釈は筋が通り過ぎており、キレイすぎる。
そんなこともあり、どうしても元最高幹部のボロを引き出したい私は、さらに意地悪な質問を重ねた。
「まだ納得できません!ではなぜ、そのような境地に至ることができ、“俺はエライ”という勘違いを免れることができたのでしょう。勘違いしても当然のようなポストを歴任されています」
「桃野さん、白状しますと実は私、若い頃に素晴らしい上司に恵まれたんです。大隊長時代の師団長がまさに、現場に顔を出し若い隊員をねぎらう人でした。現場の士気も大いに高揚しました。私はその背中をみて学んだのです。運が良かっただけです」
(…よっしゃ、ボロを引き出したぞ。これでドヤ顔できる!)
「お言葉ですが、それは間違っています」
「嬉しいですね、ぜひお聞かせ下さい!」
「私が敬愛する、ある大学教授から教えてもらった言葉があります。『人は、その人の器で学べることしか学べない』です」
そして、若き日の上司が素晴らしい人であったことに疑いの余地はないと思うこと。
しかし、その上司の部下であった人が皆、その人の背中から学べたわけでは無いこと。
学びの取捨選択の中からその価値観を選び学んだこその結果であり、“運が良かっただけ”というのは謙遜が過ぎると“批判”した。
「…なるほど、これはやられました。一理ありますね」
「ですよね、過度な謙遜は誤解の元です。おやめ下さい(ドヤッ!)」
「しかし桃野さんも、間違えています」
(…どこが?)
「おっちゃんは、ただ嬉しかったんです。師団長という“偉いポスト”時代の現場の自衛官が退役後にも、気軽に声を掛けてくれたんです。そのことが、素直に嬉しかったんです(笑)」
クッソ…やられた。
やっぱりこの人はどこまでいってもチャーミングで、リーダーとして人として雲の上の人だ(泣)
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
言語化すると、改めて泣けてきます。
すげえ人って、やっぱり本当にすげえ。
X(旧Twitter) :@ momod1997
facebook :桃野泰徳
Photo:Red Shuheart













