先日、ある経営者との話だ。

最近採用したマネジャーが、「人事育成」について独特の見解を持っているという。

「具体的に、どんなことを言っていたのですか?」

「「人が学ぶこと」と「人に教えること」とは、全く異なる、と言っています。」

 

何やら難しい話である。

「それはつまり、もうすこしわかりやすく言うとどういうことでしょう?」

「例えばですね……。昔から我が社の大きな課題の1つは、「人材育成」でした。」

「はい。」

その経営者は昨年の目標を見せてくれた。

「我々は毎年「人材育成計画」を作っていたのですが、その計画の中心は「研修のカリキュラム」と「OJT」となっています。要するに「何を社員に教えるか」の計画です。」

「普通だとおもいますが……?」

「そう、普通だと思っていたのですが、そのマネジャーは「間違っている」と言うんですよ。」

「面白いですね。なぜそう言っているんでしょう?研修が嫌いとか?」

「いえ、そういう事ではないようです。彼が言っていたのは「教えることは、育成に必須ではない」です。」

「教えることは、育成上、やらなくても良いと?」

「そうです」

 

わかるような、わからないような、といったところだろうか。

「どのような意図なのでしょう?」

 

「つまり、教えないと、相手が学ばない、という前提が間違っているということです。例えば赤ん坊は、日本語を教えなくても、勝手に学びますよね。」

「まあ、そりゃそうです。」

「マーケティングと一緒です。自分たちではなく相手から考える。「教える」ではなく「学ぶ」を中心に置くことで、育成が可能になるということです。」

「ほうほう」

何やら面白くなってきた。

 

「つまり、大事なのは、「どうしたら相手は学ぶか?」です。「どうやって教えようか?」ではないということです。」

「それは、大きくちがうのでしょうか?」

「そこなんですよ。例えば社員に「ロジカルシンキング」を身に付けてもらいたい、と考える時、普通の発想なら「研修」とか「本を読め」とか、そんな感じではないですか?」

「よく聞きます。」

「でもね、実際にはそんなことをしても、ロジカルシンキングはなかなか身につかない。教えただけで学ばないから。」

「ありがちですね。」

 

経営者は頷いた。

「そうではなく、例えばディベートをすることができる環境を用意するのはとても良いです。相手に勝とうとしますからね。彼らはそこで初めて「ロジカルシンキング」を学ぶことの必要性を感じるかもしれません。」

「なるほど。」

「他にも、上司への話の通し方を学ぶことで、ロジカルシンキングを学ぶ人がいたり、提案書を書くことを通じて学ぶ人もいるわけです。」

「仕事の中で学ぶ、ということでしょうか。」

「というより本質は、「相手がどこで学ぶのか、こちらでコントロールができない」ということかもしれません。確かに研修のアンケートを取ってみても、全く同じ講義を聞いても学んでいることは個人によって全く異なる。」

「なるほど」

「とすると一体「教える」とは何なのか、ということが議論になるわけです。」

「ふーむ。」

「これを見てください。弊社の人材育成の基本方針です。」

 

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1.教えたことを学ぶわけではない。こちらが「提案型営業」を教えたつもりでも、部下は「ゴリ押し営業」と認識しているかもしれない。

2.教えることは誰でも簡単にできるが、教えても、相手が学びたくなければ、何も起きない。「相手が学びたくなる」状況を作ることが育成のカギである。

3.育成の効果はランダムで、予想がつかない。教える側は相手に「学ぶチャンス」を提供し続けること。

——————————-

 

その時、脳科学者の池谷裕二氏の著作※1を思い出した。

そこで紹介されていたことの一つに、「記憶はあいまいで、脳は物事をゆっくり学習する」というものがある。

ある体験をしたとしても、それにもとづいてどのような記憶や学習がもたらされるかは予測できない。人は、教えてもらったことをそのまま記憶するのではなく「解釈して」「曖昧にして」記憶する。

※1

 

上司はよく

「教えたのに、なぜ出来ないんだ」

「教えてもできないのは、やる気が無いからだ」

といった愚痴をこぼす。

気持ちはわかるのだが、上の話からすると、これは上司に非がある。なぜなら「教えても、何を学ぶかはその相手にすらわからない」からだ。教えた相手は、それをそのまま受け取らず、「解釈」して受け取るからだ。

 

 

遠藤周作の著作に、イエス・キリストについてかかれた著作※2がある。

この著作のテーマは「なぜ卑怯者だった弟子たちが、イエスの死をきっかけに、迫害にもくじけない、信じられないほどの勇気を発揮する人々となったのか?」だ。

 

生前、イエスは弟子たちに必死に教えを説くのだが、弟子たちはイエスの真意を一向に理解できない。

イエスは「なぜ彼らはわかってくれないのか」と嘆く。

そして、結果として弟子たちはイエスを裏切り、彼を敵に差し出した。弟子たちは皆、奇跡ばかりを期待し、権力に容易に屈する、卑屈で利己的な「普通の人」であったのだ。結果、イエスは処刑され、死んだ。

 

だがイエスの死こそ、弟子たちを変える真のきっかけであった。

「教えられても」決してイエスの言うことを理解できなかった者たちは、この一時で、イエスが生前語っていたことの全てを「解釈し学んだ」

 

つまり、かつてイエスを裏切った弟子たちは、「教え」ではなく「イエスが死んだこと」で逆にイエスの教えを真に体現し、厳しい迫害に耐える程の勇気を身につけたと、遠藤周作は分析している。

※2

 

 

おそらく、人材育成のウマい上司は「どのような環境を与えれば相手が学ぶか」を経験的に体得している人なのだろう。つまり「教えず、学ばせる」ことに長けている人だ。

裏を返せば、相手が学ぶ環境を読み、それをつくること、これが育成にほかならない。

 

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(2024/1/22更新)

 

 

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