最近はブログに関する相談をよく受ける。

といっても、「書き方」とか「稼ぎ方」といった相談はごく一部だ。

 

実際に多いのは個人からは「コメントに傷ついた」と言うもの。

企業からは「批判的な意見をどう扱っていいか」というシビアな話である。

 

webは「好き」が可視化される一方、「嫌い」も可視化される。何かを発信して「好き」をいただくことは、同じくらい「嫌い」をもらうことでもある。

だから、発信をすれば、本質的にとんでもない量の「嫌い」が集まってくる。

 

考えてみれば、現実世界では「嫌い」を人から面と向かってもらうことは殆どない。

いわゆる「いい人」たちは特に、「嫌い」をもらうことに慣れていないため、それに面食らってしまい、オロオロしてしまう人が多い、ということなのだろう。

 

そんな時、最も良い処方箋は

「気にしない」であり、「まあ、どうでもいい」である。

 

例えば、作家の村上春樹氏は人気がある一方でアンチも多いが、彼は「べつにいいんですが」と、殆どそれについて気にもとめていないようだ。

村上春樹さん、大好きです。村上さんの作品はほぼ読んでいるつもりです。(中略)

ところで、こんなに素晴らしい作家なのに、世の中の評判はあまりよろしくない?気がします。やれ、リアリティーがないやら、感情が欠落しているやら、まわりくどいやら。きっと、嫉妬されてるだけなんでしょうけど、とても残念です。

村上さんは、周りの批評は気にしないとおっしゃっていますが、ファンの方はやきもきしてしまいます。村上作品が理解できない方々に言いたいです。「説明しなくてはそれがわからんというのは、つまり、どれだけ説明してもわからんということだ。」

(きたさん、男性、55歳、教師)

 

なぜかあまり評判はよろしくないみたいですね(笑)。でも世間的に見てみれば、そういう反応がむしろ普通じゃないかな、という気もしないではありません。

僕の書く小説はなんだか変な話だし、リアリティーがないと言われたら、たしかにそのとおりかもしれません。登場人物はだいたいにおいて普通じゃない感じ方をしますし、結論はもうひとつはっきりしていません。

そんな小説がある程度売れること自体が不思議なのかもしれない。でもまあ、現実にはある程度売れています。おかげさまで僕は30年以上、専業作家としてわりにのんびりと飯を食っています。

というか年を追うごとに、世界中で着実に読者を増やしているみたいです。どうしてでしょうね?という風に、逆の視点からものごとを見てみると、わりに気楽にかまえていられるられるんじゃないかな。

しかしこんなことを言っていると、ますます反感を買いそうですね。べつにいいんですが。

村上春樹拝

批判的な意見は、常に目立つ。

したがって、批判された側はあたかもそれが「代表的な意見である」かのごとく感じてしまうのであるが、それは事実と異なる場合も多い。

 

心理学者のダニエル・ギルバートは、「メンタルシステムはどのように信じるのか」という論文の中で、次のように主張する。

ある言明の理解は、必ず信じようとするところから始まる。もしその言明が真実なら何を意味するのかを、まず知ろうとする。

そこで初めて、あなたは信じないかどうかを決められるようになる。(中略)

実際、疲れているときやうんざりしているときは、人間は根拠のない説得的なメッセージ(例えばコマーシャル)に影響されやすくなる、というデータもある。

システムⅠ(著者注:≒直観)に備わった信じたがりのバイアスは、ありそうもない異常な出来事が起きる可能性を示唆されたり、誇張的に示されたりすると、無批判に受け入れやすい。

人間の認識は「自分が見たものが全て」となりやすく、ネットで見かけた批判的なコメントを、「それが世の中の意見の全て」と捉えがちだ。

実際には「嫌い」という意見については、全体の中のごく一部であり、大半の人は無関心で、かつ、同じくらい「好き」という人もいるのである。

 

逆に、百戦錬磨の経営者である、知人の一人である「悪い人」は、

「まあ、人間なんてこんなもんだよ。お金が絡んだり、自分のコンプレックスに踏み込まれたりすれば人は豹変するし、差別意識を持っている人は多いからね。ネットはそれが見えちゃうだけだよ。まあ、経営者はそういう人に直面することも多いからね。ネットなんてかわいいもんだよ。」

と言う。

 

 

ただ「気にしない」と言われても「そうは言っても、やはり批判的なコメントは気になる」という人もいるだろう。

私の知人のマネジャーも、人事評価の時期になると、いつも成績の低い部下から「嫌い」を突きつけられ、心を病んでいた。

 

「成果を出していない人が、それを棚に上げて、「あなたのことが嫌いだから、あなたの評価は受け入れられない」といった趣旨のことを言ってくるんだよね。それが疲れるんだよ。」

「そうなんだ。」

「だけど、最近ちょっとやり方を変えて、それがすごく減った。」

「なんで?」

「簡単なことでさ、こちらが意見をあまり言わないようにしたんだ。」

「評価できないじゃないか。」

「いや、データを見せて、相手に評価させるんだよ。例えば「このデータから言うと、あなたの評価は「AからD」の間のどこがふさわしいか」って聞く。」

「なるほど」

「そうすると、素直に相対評価できて「自分はCくらいです」って言える人が増えた。人に言われるのは腹が立つけど、自分で評価するなら、それほど気にならないみたいだね。」

「自己評価が高すぎる人には通用しないんじゃない?」

「まあ、100人に1,2名は話の通じない人がいるけど、そういう人は、データを見せても見せなくても変わらないから。」

 

 

結局は「意見」を発信するから、ネガティブなコメントや反論に疲れるのだ。

「事実」を見せて、相手に判断を委ねること。そうすれば、「コメントに傷ついた」も減るだろう。

 

残念ながら、記事は面白くなくなってしまうかもしれないが。

 

 

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(Photo:Ivan)