大手製造業に勤める、もうそろそろ四十一歳になる知人がいる。
彼は営業としてその会社に新卒入社し、異動しながら二〇年近く会社に貢献してきた。
ときには僻地での勤務もあったが、持ち前の明るさと、人懐っこさが、どんな場所でもそれなりの成果を彼にあげさせた。
ところが最近は、彼の元気がない。
「仕事はそこそこで、家族との時間を大切にしているよ」
と明るく言うのだが、たまに「多分、出世は無理」とポツリと漏らす。
彼の現在の地位は「課長補佐」だ。
課長補佐は、社内における平社員のキャリアの終着点であり、「課長」つまり管理職になれなかった人たちが大量に滞留しているポジションである。
実際、社内には五十代の課長補佐が溢れており、彼らはそのまま定年を迎えることになる。
彼の会社においては、統計的に「課長」になることができる最終の年齢は四十二歳、それ以降課長になる人はほぼゼロだ。
つまり、彼は来年が「課長になれる最後のチャンス」ということになる。
だが、見通しはあまり良くない。
今の上司にあまり力がなく、自分を課長にねじ込んでくれるとはとても思えないからだ。
自分より年下の人物が毎年抜擢されて行くのを見ると、嫉妬とも諦めともつかぬ「なんとも言えない気持ちになる」と彼は言う。
とは言え、現在の待遇は悪くない。
まず、学生時代の同期と比べれば遥かに良い給料をもらっている。また、住宅手当や各種の企業年金など、手厚い保護が社員には与えられている。
さらに、この会社は今までリストラを行ったことがない。
「このまま会社にしがみついて生きよう」と、望めばそれは叶ってしまうかもしれない。
だが、最近は、心が妙にざわつくことが相次ぐ。
「原因は、今の二〇代、三〇代だよ。」
彼ら、最近の若手は自分がしてきたように、上司や先輩に敬意を払い、一歩一歩着実に上がっていこう、とは考えているようには見えない。
仕事はそれなりにやるものの、「評価に関係あるんですかね」と不満を漏らすこともしばしば。
「きちんと仕事をやれば、誰か絶対に見てくれている人がいるよ」と諭したくなるが、自分も出世できていない身であるから、強くは言えない。
上司は「若い時はそんなもんだろ」と呑気に構えている。
だが、ついに1人の若手が、辞めます、といってきた。
「外資系に転職するらしいよ。ウチが、外資の草刈り場になっている、という話は本当だったんだな。」
転職先は某有名外資系メーカーの営業だった。
給料もかなりいい。
同期と話すと、他部署でも同じようなことがあったらしい。
「結果出せなければクビ」というのが外資系だと聞くが、心の中は穏やかではない。
「若い、ということが心底羨ましい。チャレンジできる時間と、やり直せる機会がある。」と彼は言う。
*****
後日、彼から連絡があり、「転職サービスに登録し、面談を受けてみた」と聞いた。
だが、彼より一回りも若いと思われる担当のエージェントは「今の待遇だと、転職は勧めない」と言ったそうだ。
彼はエージェントに言った。
「なぜですか。」
エージェントは遠回しに、専門性に乏しく、希望の年収、ポジションと企業側のニーズが合わない、と彼に告げた。
「自社で出世競争に負けたのもつらいけど、いつの間にか世の中全部から、「使えないやつ」扱いされたような気持ちだった」と彼は言った。
そこで私は聞いてみた。
「仮に転職するとどの程度、年収が下がる?」
「二五%くらい下がる。あとは手当類が減るから、実質はもっと厳しいかもしれない。」
「二五%は許容範囲?」
「んー……。正直に言うと厳しい。」
「今の会社に残ることは、リスキーだとは思わない?」
「うちは安泰だよ。」
「いや、会社の業績ではなく、会社の方針に翻弄される自分がだよ。これからどんどん待遇が切り下げられる可能性もあるだろう。」
「うちの会社は、そういうことはしない、と思うけど……。」
私は彼の会社のIR資料を見ていたので、そこまで楽観的になってしまうのは、ちょっと危険だと個人的には思っていた。
「でも、業績あまり良くないよね。」
「他の会社も同じだろう?」
確かに彼の言うとおり、結局はどこにいても「自分次第」ではある。
私も彼にあとで恨まれたくはない。無責任に転職を薦める訳にはいかない。
「そうか。まあ、好きにするといい。」
といって、私は彼と別れた。
*****
よくドラマや漫画などで「行動しないと、大きな後悔をする」という言説を見るが、それはウソで、むしろ逆だ。
ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンによれば、心理学的には「デフォルトから外れた決定」をした後に失敗すると、人間はより後悔が深まる。
行動して生み出された結果に対しては、行動せずに同じ結果になった場合よりも、強い感情反応が生まれるということである。この感情反応の中には後悔も含まれる。(中略)
じつはここで重要なのは、行動するかしないかのかのちがいではない。デフォルト(既定)の選択肢と、デフォルトから乖離した行動とのちがいである。
デフォルトから離れると、デフォルトが容易にイメージされる。そこでデフォルトから離れた行動をとって悪い結果が出た場合には、ひどく苦痛を味わうことになる。(中略)
このように後悔をするリスクが非対称であるため、人々は保守的なリスク回避的選択をしがちである。このようなバイアスは多くの場面で見られる。
仮に私が強引に転職を勧め、その後彼が失敗した場合、彼の後悔は恐ろしく大きいものになる。
転職のエージェントも、それをよく知っていたのだろう。
知人のように、大手企業に勤め、自分の能力をあまり客観的に知る機会のなかった人物が保守的な傾向を示すのは、特に不思議な事ではない。
成功は失敗より当たり前と考える人物にとって、転職は凄まじくハードルが高い。
たとえば、ショッピングで後悔したくないという気持ちが強いと、無名の商品よりブランド品を選ぶなど、保守的な選択に走りやすい。
またファンドマネジャーは、年度末が近づくと実績評価を見越して行動し、ポートフォリオに型破りな銘柄や物議をかもすような銘柄が組み込まれていると、それらを処分しようとする。
生死が懸かった決断でさえ、そうしたバイアスがかかりやすい。たとえば深刻な病状の患者を抱えた医師を想像してほしい。ある治療法は標準的だが、もう一つの革新的な治療法はあまり行われていないとする。
医師はいくつかの理由から、革新的な治療法のほうが患者には効くと考えているのだが、決定的な証拠があるわけではない。すると、それを選んでうまくいかなかった場合には、深く後悔するだろうし、非難され、悪くすれば訴えられるかもしれない、と考える。
結果論では標準的な治療法を選ぶことのほうが想像しやすく、標準的でないほうは「選ばなければよかったのに」ということになりやすいからだ。
たしかに、あえて革新的な治療法を選んでうまくいけば、高い評判が得られる。だがそのメリットは、失敗したときの代償と比べれば小さい。
一般に、成功は失敗より当たり前と考えられているからである。
だが本当は、ビジネスは「失敗」がデフォルトなのである。
彼の出世できない原因も、そこにある。彼はずっと、四一歳になるまで「失敗」をしてこなかった。それはすなわち「チャレンジ」をしてこなかったと言うことと同義である。
逆に彼が羨む二〇代、三〇代は若いうちからチャレンジをしている。彼らは結果的に転職先で失敗するかもしれないが、その経験は生涯に渡って生きるに違いない。
では、四一歳の彼は結局どうすればよいのだろう。
もちろん、平凡なサラリーマンで終わるのも悪くはない。
プライベートを重視し、軸足を仕事ではなく、趣味やボランティアなどに移す。それは悪くはない選択肢だ。
だが「自分に誇りを持ちたい」と願うなら、仕事にせよ、何にせよチャレンジは不可避だ。というより「本当の自信」は困難を乗り越えることでしか身につかない。
安定を取るか、それともチャレンジか。
結局は価値観の問題であり、生き様の問題である。
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最近、彼からまた連絡があった。
「もう少し今の会社で頑張ってみるよ」
とのこと。
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