かつて私が任された、ターンアラウンド(事業再生)の現場でのことだ。
経営は危機的状況で、何もしなければ半年ももたずに現預金が枯渇する。
すぐに出血を止めることが最優先事項だったので、最初に取り組んだ仕事は業務の標準化と属人性の排除だった。
なぜ私が無償で業務ノウハウを人に教え、協力する必要があるのですか?
大きな組織では、
「この仕事は、○○さんでないとできません」
などという仕事が少しでもあると、そこがボトルネックになり様々な業務が停滞する。
そして、非常に大きな無駄とコストが発生するだけでなく、維持すべきコストと削減に取り組むべきコストを判断することすらできなくなる。
しかし当時、社内では人員不足もあり、あらゆる業務が
「○○さんでないとできません」
という状態に陥って、可視化と定量化の大きな妨げになっていた。
私は困って製造現場のベテラン社員の一人に相談を持ちかけた。
彼女がいないと製造ラインが止まりかねないというほどに、大きな職責を一人で担っていた女性である。
「設計の仕事は、あなたがほぼ一人で担当していると聞きました。宜しければ仕事を標準化し、組織化したいと思っています。協力してもらえませんか?」
「私のメリットはなんですか?」
「……メリットですか?」
「そうです。この仕事はずっと私が担当してきて、私が確立したノウハウで回しています。なぜ私が無償でそれを人に教え、協力する必要があるのですか?」
「……」
「それに、この仕事を手放したら、会社は私をお役御免にするのですよね?」
「いえ、そんなことは絶対にしませんし、させません。私は組織力を発揮し成果を出せる人を評価します。」
「申し訳ありませんが、そんなキレイ事は信用できません。実際に経営トップはこれまで、給与の高い人から順番にクビにしてきましたよね?」
私はそれ以上、何も言うことができなかった。
確かにその時、経営トップは、
「いつも忙しそうにしているか」
「その人でなければできない仕事があるか」
と、付加価値そのものではないモノサシで人を評価する企業文化を作り上げてしまっていたからだ。
いつも正確な数字をすぐに出してくれる若手の経理社員を、
「あいつはいつも定時に帰るし、暇そうだから必要ないんじゃない?」
と、言い出したこともあった。
しかし彼は、無駄な入力作業はシステムからマクロで自動入力する仕組みを自前で作るなど、単純作業は全て自動化するセンスを持ち合わせている社員だった。
だからいつも、すぐに正確なデータを出してくれて「暇そうに定時に帰っていた」わけだが、そんな彼の仕事を、
「部下の女性社員だけでいいんじゃない?」
と経営トップが評価すればどうなるか。
誰だって「自分にしかできない仕事」を作って抱え込み、「いつも忙しそうにすること」が仕事のスタイルになって当然ではないか。
「自分にしかできない仕事」を確立できたなら、会社も簡単にクビにできないとわかっているので、意識のベクトルはそうなるに決まっている。
しかしこれは、この会社に限った話でもないだろう。
おそらく多くの人が、仕事の本質を見ない上司や経営トップのこのような価値観に悩まされているはずだ。
だからいつも無駄に忙しさを演出し、眉間にシワを寄せ考え事をしているフリをし、難しい仕事を演じることになる。
本来、付加価値の低い仕事はさっさと片付けて暇そうにしている人こそ評価されるべきにも関わらず。
余りにもバカバカしいのだが、ターンアラウンドの現場では
「業務の標準化と属人性の排除」
のためにまず、この程度の信頼から取り戻さなければならなかった。
目的を外してはプロにはなれない
しかし「仕事を複雑そう/忙しそうに見せかけたほうが得」という思考は、実は経営者だけでなく私たち一人ひとりにも根深く備わっている価値観だ。
現在私は、Webメディアの編集者をしている。
毎日多くのライターさんの原稿を拝読しているが、残念ながら仕事のお願いに至らない人は、大きく2つのタイプに分かれる。
一つは、メディアの目的にそぐわない人。
もう一つが、冗長で複雑な文章を書く人だ。
前者は「読者とメディアのための文章を書いていない」ライターさん、「自分語り」「自己陶酔」の原稿を書いてしまう方だ。
後者は「簡単なことを複雑に書く」ライターさんだ。
例えば、彼らは以下のように読みにくい文章を書く。
“本コラムでは増資(主として第三者割当増資)という手法について、そのような方法が存在しているということをほとんど知らないという経営者から、既に第三者割当増資を実施したことがあるがより深く知見を得たいという経営者までを対象に、初心者から専門家レベルまで理解を深めてもらうことを目的に筆を進めていく。”
シンプルに
“本コラムでは、増資経験者から初学者までを広く対象とし、主として第三者割当増資について解説する。”
と書けば良いのに、いたずらに冗長な文章を書く。
一体なぜ、少なくない数のライターさんがメディアの目的を外すような記事や、冗長な文章を書いてしまうのだろうか。
純粋なスキル不足の場合もあるが、それとは別に垣間見える理由の一つに、「自分語り」を書く動機と同様の、ライター自身の「やっている仕事を複雑そうに見せたい」との承認欲求がある。
具体的には、
「非常に専門的で、充実した内容ですね。」
「すごいご経験をされてきたんですね。」
といった称賛を得たいとの欲求だ。
だが皮肉なことに、複雑な文章を書いても、誰からも称賛は得られない。
ライターさんが受けとる最大の称賛は、
「メディアニーズに合致し、シンプルでおもしろい原稿でしたね。」
だからだ。
プロは「目的」のため仕事をする。
自分のために書いてしまっては、評価されるものも評価されない。
本質を外すような会社・経営者は、こちらから見限らないと手遅れになる
冒頭の、仕事の本質を評価しようとしない経営者や上司について話を戻そう。
令和の時代にもなって、
「いつも忙しそうに頑張っている」
「複雑そうに見える仕事をしている」
などという理由で社員や成果を評価している経営者や上司は、本気で引退を考えた方が良い。
また、社員もその状況に流されて、仕事を抱え見込むことで「頑張っているアピール」をし始めると、ビジネスパーソンとしての成長が止まってしまう。
また、それが習慣化してしまえば、目的を外し「プロ失格」となってしまいかねない。
苦悶の表情でアイスダンスを踊るスケーター、不安そうな顔でジャグリングをする大道芸パフォーマー、シンプルに書けないプロライターなどいない。
本物のプロは熟練の技を簡単にみせるのだ。
その本質を理解せず、「いつも忙しそうにしてれば評価される」組織で仕事をしていては、やがて自分まで腐ってしまう。
躊躇せず、こちらから早々に見切りをつけようではないか。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
「毟(むし)る」という漢字は少ない毛と書きますが、これが言葉の暴力でなく何だというのでしょうか(怒)。
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