こんなまとめを読みました。
ケンタッキーの骨でキングギドラやスカイツリーを作る人にテレビ番組の製作依頼が…「全部込みで1万円で作って」(Togetter)
ざっと内容をまとめると、
・ケンタッキーの骨で高度な造形をする方がいらっしゃる
・それに対してテレビの取材依頼がきて、1万円で当該造形を作って欲しいと言われた
・自分の表現に1万円の価値しかつかないのか…とツイート主さん激しく落胆
という流れの話だと思います。
色々な意見がありますが、大筋テレビ側スタッフに批判的、ツイート主さんに同情的な意見が多いように見受けられます。
とはいえ、中には、
「価格に不満があるなら、ちゃんと見積もりを返すべき」とか
「落胆するくらいなら、費用の交渉をして自分の価値を認めさせるべき」
という意見の人もいるようです。
ただ、これについては私、二つポイントがあると思っていまして。
まずひとつ。
「費用の相場が定まらないのであれば、(予算の問題は当然あるとしても)「取り敢えず〇万円」みたいにあてずっぽうの値段を提示するのではなく、大体どの程度の費用がかかるのかまず依頼者側が確認するのが儀礼上当然」ではないかと私は思うんですが、その辺どうなんでしょうか。
普通、仕事を頼む時にはまず「見積もり依頼」であって、「金ないから〇〇円でやってー。それが無理なら見積もり出してね」なんて随分失礼な話ですよね。
つまり、「出演を依頼する側のスタンスについて」という問題がひとつ、あると思います。
もうひとつ。「費用の交渉や見積もりをするにしても、それ相応の負荷や手間がかかるのであって、最初から「予算がなくて」などと言っている相手にそんな手間をかけるメリットはあるのか」ということ。
「テレビに出られる」ということが十分なリターンになるのならまだしも、今は既にそういう時代じゃないように思うんですね。
つまり、「出演依頼を受ける側のリスク・リターンについて」という話になるのではないかと。
「出演を依頼する側のスタンスについて」と「出演依頼を受ける側のリスク・リターンについて」という二つのテーマについて、それぞれ考えてみたいと思います。
出演を依頼する側のスタンスについて
何年か前、こんな記事を書いたことがあります。
先日、某テレビ局に勤務している知人と話す機会があった。というか、とある飲みの場で一緒になった。
あまり世評がどうとかメディアがどうとかいう話にはならなかったのだが、ふとした拍子に「インタビューに対するインセンティブ」という話題が持ち上がった。
通常、たとえば街頭インタビューなどで顔を晒してインタビューに応じている人は、顔を晒すというリスクの割に殆どインセンティブを受けていない。これは何故なのか、あるいは遠からずインセンティブを生じないインタビューというものは難しくなるのではないか。そんなことについては以前から考えていた。
それに対する回答がこうだった。「いや、テレビに出られるってことが十分インセンティブになるだろう?」
私はこの時、この回答が「時代錯誤」だと率直に感じました。
これ、もちろん一般化するつもりはないんです。こういう考え方の人もいるんだな、という話なんですが、彼がそこまで特殊な人だとも思わないので、恐らく今でも、「テレビに出たがっている人はたくさんいる」「「テレビに出る」ということ自体が報酬として使える」という考え方のテレビ業界人はいるのだろうと思います。
テレビ業界に限らない話ですが、ちょっと前にはこんな話も持ち上がっていました。
こちらは、「スポーツ選手が取材にギャラを要求するとはけしからん」という話ですね。公平な取材云々という話はありますが、「スポットライトを浴びてこその“霊長類最強”なのだが……。」という一文には、「取材を受けること自体にメリットがあるのだからギャラを要求するなんてもっての他」という意識が伺えます。
早い話、「広い範囲で露出してあげるんだから君にもメリットあるよね(だから謝礼は最低限で)」という意識自体は、どうもテレビ・マスメディア側に珍しくないものであるように思えるんですね。
今回のまとめ記事の依頼がどんな性格のものだったのか、というのは推測する他ありませんが、メールの文面を見ても、「謝礼のすり合わせ」をする意図のようなものは一切感じ取れません。
予算の問題があるという話についても、「一律一万円」という言葉自体、個々の「取材を受けるひと」の手間や技術を一切汲み取る意思がありません、ということですからね。「そもそも適切な報酬を支払おうという意思や意図が薄い」と言われてしまっても仕方がない表現であるように思います。
つまり、「テレビ番組出演の依頼をする側」に、「テレビに出られるってことが十分報酬になるだろ?」という意識は、現時点でもまだ見え隠れしているように思うんです。意識があまり変わってない。
では、実際のところ、「テレビに出る」ことは報酬になるのでしょうか。
出演依頼を受ける側のリスク・リターンについて
確かに、テレビの「広い範囲にリーチする力」というのは、今でも圧倒的だと思います。老若男女、どんな層にも「テレビを頻繁に見る」人というのはいる。
番組にもよりますし局にもよりますが、「自分を広める」という点において、テレビ出演のメリットが大きいことは間違いありません。
ただ、リターンというものは、リスクとワンセットで判断しなくてはなりません。
テレビに出演すること、あるいはでかいメディアに自分を露出させることには、大きなリスクもあります。
・発信する情報について、基本的には編集任せになり、自分の意志を介在させられないこと
・であるのに、具体的に目に見える形で自分を晒すことになるので、非難や批判を受けるリスクは自分が背負うこと
・単純に、「広い範囲に、フィルターなしで自分の姿を晒す」ということ自体が大きなリスクであること
これもちょっと手前味噌になってしまって恐縮なんですが、以前こんな記事を書きました。
番組作りが「シナリオありき」だということは、いい悪いの問題ではなく常識として周知されるべきだし、取材される人は自衛するべきだと思う
昨今はだいぶ認識が広まってきたように思うんですが、テレビ番組は基本的に「企画ありき」です。そして、スタッフは「企画に合致するような方向で」材料を集めます。それが取材です。
であれば、例えば自分が話したことが、「番組の方向性に合致されるように」使われてしまうこともあり得るわけで、そこに文句を言うのは決して容易ではありません。
ねつ造、偏向といったところのだいぶ手前の話であっても、「必ずしも自分の話したことが自分の意図通りに使われない」ということは、取材を受けたことがある人であれば誰でも経験がある筈です。(私自身にもそういう経験はあります)
そのくせ、例えばテレビで喋ったことが批判されるような内容であれば、その批判は番組ではなく自分に降り掛かってくる。「自分の意志が介在しない部分で、自分が炎上するかも知れない」って物凄いリスクだと思うんですよ。
今の時代、「自分の言葉を、自分の意図通りに伝える」ためのツールであれば、以前とは比べ物にならない程豊富にあるわけで。やりようによっては、自分の声を数万人の人に届けることもそれほど難しくない時代です。
そんな中、「テレビというメディアに露出出来ること」が一体どれだけのリターンになるのか。
もちろん、テレビならではの「非常に広い範囲にリーチすること」を大きなメリットとして活用出来る立場、職業の人なら話は別ですが、そうでない人であれば、「テレビに出ること」のメリットは、リスクに比して相当小さくなっているように思うんです。
これ、ネットを活用する人であれば、なんとなくの共通認識にはなってきているんじゃないでしょうか。
となれば、テレビに出演すること、取材を受けることについても、正当な報酬が支払われるべきなんじゃないかなーと、私は思うんですよね。
問題なのは、「テレビ業界以外の人は、「テレビに出ること」のリスク・リターンが釣り合わなくなってきていることを認識しているのに、テレビ業界の人は必ずしもそうではない」ということだと思うんですね。この意識の溝が、冒頭リンクのような問題を多々産んでしまっているのではないか、と。
リスク・リターンの認識は、依頼する側と依頼される側の間で不一致があると皆が不幸になります。最近、テレビ取材にまつわる色んなトラブルの話を頻繁に耳にするようになりましたが、それも7割くらいはこの「認識の不一致」が要因であるように思います。
取材する側にせよ、される側にせよ。お互いきちんと意志の疎通を図って、全ての人が納得の上でコンテンツが作られるような未来がくることを、祈ってやみません。
今日書きたいことはそれくらいです。
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【プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城