昔、教科書にヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」という物語があった。ひどく衝撃的な物語であったことをよく憶えている。

 

主人公の「ぼく」は蝶・蛾集めに夢中になっていた普通の少年だ。

一方で、隣に住んでいる「エーミール」は、品行方正な模範的少年であり、また蝶の収集についても高い技術を持っていた。

ある日、彼に「ぼく」が捕まえた珍しい蝶のコレクションを見せたところ、「扱いが酷い」とひどく批判されたことから、「ぼく」はもう二度と「エーミール」に蝶を見せないと決めたが、その劣等感は消えることがなかった。

暫く後、エーミールがとても珍しい蛾をさなぎからかえした、といううわさを聞き、「ぼく」はエーミールの家を訪ねたが留守だった。彼の部屋に入ると美しい標本が並んでおり、迷った挙句「ぼく」は思わず盗みを犯してしまった。

良心の呵責に負け、思い直してそれを返しに行くのだが、すでに標本は壊れており彼に謝り、自分のコレクションを代わりに差し出すことを提案する。ところがエーミールは

「そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな。」

と言い、怒ることもしない。

そして「結構だよ。僕は、君の集めたやつはもう知ってる。そのうえ、今日また君が蝶をどのように取りあつかっているかを見ることができた。」と、「ぼく」を軽蔑するだけだった。

そして「ぼく」は収集した蛾や蝶をすべて壊したのだった。

 

*****

 

エーミールは「ひどい友達」だろうか?確かに友人にはしたくないタイプの人間ではある。しかし、彼はおそらく会社員としては最も成果をあげるタイプだ。

なぜなら「人を動かすこと」に長けているからだ。

こんな性格の悪いやつが何故ひとをうごかせるのか、と反論する方もいるだろう。

 

その理由は次のようなものだ。

人間は自分が悪いと自ら知っている場合、怒られると大抵それを他人のせいにする。

おそらくエーミールからこっぴどく怒られたなら、「ぼく」は「エーミールが自慢するからいけないんだ」と言うだろう。

 

だが、自分が悪いとわかっている場合、軽蔑されると人は「自分を反省して省みる」のだ。

自分の標本を壊したことからわかるように、実際、エーミールは嫌な奴ではあるが、「ぼく」はこれを契機に二度と盗みをしないだろう。

 

怒られることよりも、軽蔑されるほうが遥かに相手はツラい。

そこをエーミールはよく知っているから「人を動かせるやつ」なのだ。そしてこの特質を持つ人こそ、もっとも「仕事のできる怖い上司」である。

 

ちょっとわかりにくいかもしれないので、もっと身近な例を挙げてみる。仮にエーミールが上司だったらどうだろう。想像してみてほしい。

彼はあなたに向かって「お前の営業は下手だな。いつかお客さんから酷いクレームをもらうぞ」と遠慮なく言うだろう。

当然、言い方がムカつくので、あなたはそれを無視して営業する。

 

ところが実際にクレームをもらい、上司にそれを報告するも上司は

「そうか、やっぱり君は営業のやり方を直さなかったんだな。」

と言うだけである。

おそらくあなたは反省せざるを得ない。上司が怒ってくれたほうが、まだマシだろう。

しかし、それを機に行動が変わるはずだ。いや、変わらなければ「ここで抹殺されてしまう」と思うだろう。

 

いつでも仕事ができるやつは人間心理の達人である。

エーミールは「怒り」がなにも生み出さないことをよく知っていた。それゆえ彼は模範的な人物であり、暴言も吐かない。正直で誠実である。

しかし、できない人、不誠実な人にとって、エーミールは嫌なやつであり、だからこそ皆に好かれることはない「怖い上司」だ。

 

しかし、マネジメントスキルというものは本来、人とうまくやるためのスキルではなく、人と成果をあげるためのスキルだ。

人とともに成果をあげるには、いい顔をするだけではダメだ。人の心理を知り尽くさなければならない。部下に好かれ、「一緒に働きたいです」と言われることが、必ずしも良い結果を生むわけではないのだ。

そのことを「仕事ができて、とても怖い上司」はよく知っている。

 

だから、チープな管理職研修などでよく言われる

「部下の話を聞きなさい」

「叱らずほめよ」

「褒めてから叱る」

「一人ひとりに挨拶しなさい」

といった一般的なテクニック論は、人をあまりに単純化しており、そんなことを繰り返していると「人として浅い」と言われ、ついには「バカ上司」のレッテルを貼られるのである。

 

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