どうも、しんざきです。
最近、長女5歳が「親と目があっただけで条件反射的に変顔をする」という不可思議な習性を身に着けてしまって、将来大丈夫だろうかと悩んでいます。「ほら、〇〇ちゃんの可愛いお顔みせてー!」とおだてる日々です。
しんざき長男、9歳。少学三年生。長女と次女は5歳の双子。どちらも幼稚園の年中さんです。
しんざき家では、昔から「ちゃんと言葉にしよう」ということを教育方針というか、家庭内の方針にしています。
して欲しいこと。して欲しくないこと。嬉しかったこと、嫌だったこと、お礼、謝罪。そういうもろもろの表現を、きちんと言葉にしましょう、と。
相手に伝えたいこと、伝えた方がいいことは、ちゃんと口に出して言いましょう、と。
これはもちろん子どもだけの話ではなく、親の側もそうです。
これこれのお手伝いをしてくれて、とても助かった。ありがとう。
それはこれこれこういう理由でしちゃいけないこと。して欲しくないこと。だからしないで欲しい。しちゃ駄目。褒める時にせよ、叱る時にせよ、可能な限り言葉を尽くすようにしています。
「言わない」って、楽なんですよね。何か思うことがあっても飲み込んじゃう。ないし、言わなくてもやってくれることを期待する。
だから、多少不満があってもついつい「言葉にしない」方に流れてしまう。人間、気を付けないとすぐ楽な方に流れてしまいがちなので、むしろ親として、夫婦としても「ちゃんと口にする」という方向に気を付けないと、と思っている次第です。
勿論、いつもいつもちゃんと出来ているわけではありませんで、時間がない時は省略しがちになっちゃう時だってあるんですが。それでも、基本的には、きちんといろんな言葉が飛び交う家庭になっているのではないかなー、と思っています。これはもちろん私だけではなく、しんざき奥様の理解と協力もとてもとても大きいです。
元来、私「言葉にしなくても察して欲しい」っていう考えって、ディスコミニュケーションの元だよなーと思っておりまして。普通の人間はエスパーじゃないんだから、他人の頭の中を言語なしで理解出来る訳はないんですよね。
「阿吽の呼吸」とか「言わなくても通じる絆」みたいなセンテンスで、「言葉なしでの意思疎通」を美化しちゃうのって、結果的にはコミュニケーション阻害にしかならないと思うんですよ。
通じて欲しいことが通じない、ってストレスですよね。
不満はため込むと体に悪いし、「やって欲しいこと」「やって欲しくないこと」はさくさくと伝えた方が理解も早いし解決も早い。言葉ってただでさえ通じにくいんだから、スムーズな意思疎通の為には余計たくさん「伝えようとする努力」をしないといけないわけです。
だから、子どもたちにも「伝えようとする努力」の経験を積んで欲しいし、親としても「いいから言う通りにしなさい」とか、「口に出しては言わないけれど、背中を見て学びなさい」みたいなスタンスは取らずに、ちゃんと言葉を尽くして自分の考えを伝える。
私は、そういう方針がいいんじゃないかなーと思って、それをずっと続けています。自分のブログでも、昔からそういうことを書いています。
ところで、上記のようなことを書く時、下記のような反応というか、懸念が決まって返ってきます。
・言葉なしで察する練習もしておかないと、察することが出来ない、空気を読めない子に育つんじゃない?
・理屈っぽい子に育つんじゃない?
・ちゃんと話してくれない先生や上司に対応できなくなっちゃうんじゃない?
勿論、子どもは親のスタンスだけで育つわけではないですし、それこそ個人差がやたらと大きいところだとは思いますので、一般化するつもりはないんです。
ただ、当時から「いやそんなことないんじゃないかな」と私は思い続けていたのですが、大体7,8年ほどそういう方針を続けてきまして、まだまだ先は長いとはいえ少しは子どもたちにも影響が出てきたように思いますので、今のところの「しんざき家での中間報告」ということで、上記の懸念に回答を書いてみようと思います。
察することが出来ない子に育ったか?
しんざき家では、という注釈つきですが、今のところは全然そんなことはないです。
長男はむしろ「こっちが言おうとしたことを、言う前に察してくれる」というくらいよく気が付いてくれていますし、長女次女はまだ5歳なんで分かりませんが、親の気持ちについてはちゃんと察してくれるようになってきていると思います。
そもそも言葉なしで察する必要があるのか、という話は一旦置いておくとして、ですが。
「言葉なしで察することが出来る」って、言い換えると多分「いろんなケースで、いろんなパターンの人の感情が理解出来るし、推測出来る」ってことなんじゃないか、と思うんですよね。
推測の引き出しが多いから、情報量が少なくてもなんとなく理解出来る。なんとなく対応が出来る。そういうことが積み重なって、いわゆる「空気が読める」ってことになるんじゃないかなあ、と思っています。
となると、もしその能力を育てるんだとしたら、するべきことは「ちゃんと感情の動き方のケースを提示してあげること」ですよね。
ケースを提示してあげるとしたら、ちゃんとヘルプをつけてあげないといけません。
説明書無しでいきなりドラゴンズレアをやると何がなんだかわからないのと同様、言葉なしで感情を理解させようとするのって、ちょっと難易度高いステージを序盤に持ってき過ぎだと思うんですよ。ダライアス外伝でいうとシャコが一面のボスになってるようなもんです。ありますけどそういうバージョン。
だから、感情を理解してもらうならば、家庭内という練習ステージでこそ、「きちんと言葉にする」というガイドを設けてあげた方がいい。
それが、今のところの私の結論です。
理屈っぽい子に育ったか?
これ、ここでいう「理屈っぽい」ということの何が悪いのか実は私、よくわからないんですが…。
ロジカルな思考が出来る、という意味ではむしろ目指すべき地点のような気がしますし、「理由ばっかり言っていて実行しない」とか「相手の感情を考えないで、論理ばっかり優先する」ということなら、それは「理屈をいうな/考えるな」ではなく、それぞれ個別に解決しなくてはいけない事案ですよね。
「言ったことはちゃんとやりましょう」とか、「相手の気持ちを考えましょう」と、個々にちゃんと教えてあげないといけない訳です。
ただ、長男の話でいえば、今のところ「論理ばかりで相手の感情を慮れない」というようなところはないです。その気になると随分おしゃべりにはなりますが、これは多分私の血であって教育の影響ではないような気がします。分かりませんが。
ちゃんと話してくれない先生や上司に対応できなくなったか?
これはまだ分かりません。幸いにして、長男にせよ長女次女にせよ、まだ「言葉にしないけれどいろんなことを押し付けようとしてくる」先生に突き当たったことはないようで、私が先生とお話してもちゃんと色々お話してくれますし、授業や幼稚園も総じて楽しそうに見えます。
確かに、世の中には「ちゃんと話そう」の真逆みたいなスタンスの人、いないでもないです。
とにかく言葉に出すことを嫌がる人。言葉に出さずにいろんなことをごり押ししてくる人。そういう人をちゃんとさばくことが出来るのか?という点については、これから教えてあげなくてはいけない課題なのかも知れません。
ただ、こういうデメリットがもしあり得たとしても、そのデメリット以上に「親がちゃんと話してくれなかった」ことによって受ける悪影響の方が大きいような気もしないでもないです。
ということで、つらつら書いて参りました。
繰り返しになりますが、家庭はそれぞれ、親もそれぞれ、子どももそれぞれなので、一般化するつもりは全然ありません。
ただ、しんざき家では「ちゃんと言葉にしよう」という方針を今後も続けていくつもりですし、たくさん話をしながら、子どもたちには健やかに育っていって欲しいなーと思っている次第なんです。
今日書きたいことはそれくらいです。
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【プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城