「コミュニケーション能力をもっと身に付けて欲しい」
要約すると、だいたいこういう意味のことを上司が部下に言うことがある。あるいは、企業が社員に向かって「コミュニケーション能力を身に付けましょう」と励行することがある。
その際にいわれる「コミュニケーション能力」のなかには、お客さんと疎漏のないコミュニケーションをしましょうとか、社内の意思疎通がしっかりするようにしましょうとか、そういった当たり前に必要とされるものが含まれるだろう。
この手の「コミュニケーション能力」なら、どんな企業や組織でも、幹部でも平社員でも、身に付けるに越したことはない。もし、企業や組織を抜けなければならなくなった後も、きっと役に立つだろう。
ただ、この「コミュニケーション能力」という言葉を用いて、違ったことを要求されるケースもある。
「上司の言ったことはきちんとこなせ。できないやつはコミュニケーション能力が足りない」
「俺が言っていないことでも空気を読んで先回りしろ。できないやつはコミュニケーション能力が足りない」
――こういったことを嵩に懸かるような態度で要求する人や組織も、世の中には存在する。
上司が言ったことをきちんとこなせるに越したことはないし、こなした成果を上司にしっかり認識してもらえるか否かが「コミュニケーション能力」に左右されるのも否定できない。その際、上司の空気を先回りして読むのも、それもそれで「コミュニケーション能力」の一端ではあろう。
だが、こういった「コミュニケーション能力」を身に付けて得をするのは、一体誰なのか?
【他人ばかりが得をするなら「コミュニケーション能力」とは言えない】
私は「コミュニケーション能力」について考える際には、かならず以下の定義を引用している。
行動学で言うコミュニケーションとは、他個体の行動の確率を変化させて自分または自分と相手に適応的な状況をもたらすプロセスのことである*1
この定義どおりに考えるなら、コミュニケーション能力とは、「他人の行動確率を変化させて自分(または自分と相手)に適応的な状況をもたらすプロセスの実行能力」ということになる。
上司の言われたとおりにこなし、上司の空気を読むのは、この定義に当てはまっているだろうか。
もし、あなたが上司に気に入られることでなんらかの利益を獲得したいと意図しているなら、それはコミュニケーション能力の実践として理に適っている。
がんばって上司という他人の行動確率を変化させて、出世、心証、職場の居心地、といったものを手に入れればいいと思う。
しかし、上司に気に入られても利益が見込めず、利益を獲得する意図を持っていないなら、上司に忠実になるのも空気を読むのも、たいして得にはならない。
むしろ、人使いの荒い上司に気に入られたらかえって困る、ということもあるだろう。
さきに書いたように、コミュニケーション能力とは、「他人の行動確率を変化させて自分または自分と相手に適応的な状況をもたらすプロセス実行能力」である。
ということは、上司が得をするかどうかは抜きにして、まず、自分自身にとって適応的な状況をもたらせるか否かが肝心、ということになる。
だから上司がコミュニケーション能力という言葉に「俺の言う通りにしろ」「俺の空気を読め」といったニュアンスを込めていたとしても、それが自分自身にとって利益をもたらさない場合、上司の言う通りにするのはコミュニケーション能力が高いとは言えない。
そういう時に本当に必要なのは、
「上司の言い分を否定はせず、しかし足元をすくわれない程度に距離を置いて付き合う」
「そういう厄介な上司の影響力をできるだけ避けられる方策をひそかに実行する」
あたりではないだろうか。あるいは、
「面倒な上司が異動するか、自分が異動できるまで、首をすくめて越冬テントウムシのようにじっと待つ」
「ほかの有力者の影響力をあてにできる状況をつくる」か。
もちろん上司とて一人の人間、一人のコミュニケーション主体である。
だから、上司が部下に言い伝えるコミュニケーション能力の定義が上司にとって都合の良い内容だとしても不思議ではないし、そうやって伝える行為自体、上司自身にとっては「適応的な状況をもたらすプロセス」のひとつなのだろう。
だが、部下だって一人の人間、一人のコミュニケーション主体なのだから、そんな上司の都合どおりにコミュニケーション能力の定義を受け取る必要は無いし、そうすべきでもないのだ。
自分と上司には利害の一致しない部分があることをきっちり認識したうえで、その上司との人間関係が面倒にならないように意識しながら自分にとって適応的な状況を追及すべきだし、そのように振る舞えることこそが本当の意味でコミュニケーション能力が高いと言える。
【コミュニケーション能力が高い部下=くせもの】
逆に、あなたが上司の立場になっていると想定した場合、本当の意味でコミュニケーション能力が高い部下は、かなりの厄介者かもしれない。
上意下達に忠実な部下、言われたとおりに考えて言われたとおりに行動する部下とは違って、本当にコミュニケーション能力が高い部下は、いかなる時も自分にとって適応的な状況を追及する。上司にNoと言っている時はもちろん、Yesと言っている時もそうだ。
もし上司や組織と利害が一致しないと感じ取ったら、そのような部下は持てるコミュニケーション能力のすべてを用いて、できるだけ自分の利害にかなった状況をつくりだそうとする。
その方法が、会社を辞める・異動届を出すぐらいだったらシンプルでまだわかりやすい。本当に巧妙で、本当に手強い部下の場合は、あなたが苦手意識を持つように仕向けて遠ざけるかもしれないし、あなたを手懐けてコントロールするかもしれないし、あなたを取り囲む社内の雰囲気を変えてしまうかもしれないし、最終的にはあなたを今の部署に居辛くするかもしれない。
もちろん上司と部下では社内の立場が違うので、表だって部下が上司に逆らおうとしても“筋が通らない”ので、そんな事を実行しようとするのはよほどコミュニケーション能力の乏しい部下ぐらいだろう。
だが、上下関係というタテマエがあろうとも、うまくやる部下というのはどこにでもいるものだ。
あなたのコミュニケーション能力よりも部下のコミュニケーション能力のほうが高ければ、部署の空気や雰囲気を操作したり、社内のソーシャルグラフを塗り替えたり、あなたの影響力を限定したりできるだろう。それをやるかやらないかは、あなたの利害とその部下の利害がどの程度一致しているのか次第だ。
こういう部下は味方につけると非常に頼もしい反面、敵に回すとものすごく面倒になる。なにかを仕掛けられたとしても、事態に気付くのは大勢が決してからだ。しかも、そうなるだけの大義名分をも手に入れているから、どうしようもない。
【まとめ】
まとめよう。
・上司と部下の関係に限らず、コミュニケーションする人間の一人一人は異なる立場と利害を持っていて、それぞれが必要としているコミュニケーション能力の内実は違っている。
・コミュニケーション能力は、自分(達)にとって適応的な状況をつくりだす能力である。他人から定義の押し付けがあっても、自分(達)の利害を追及するのが適当である。
・上司のほうが部下よりコミュニケーション能力が優れているとは限らない。実質的に、上司が部下にコントロールされることは起こり得る。
他人があなたに期待しているコミュニケーション能力と、あなた自身が本当に必要としているコミュニケーション能力には、きっと多かれ少なかれ違っている。その違いをどう取り扱い、どう立ち振る舞うのかによって、社会適応は楽にも苦しくもなるだろう。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)など。
twitter:@twit_shirokuma ブログ:『シロクマの屑籠』