赤ちゃん、特に歩けない時期の赤ちゃんは、親に世話されなければ生きていけません。
かわいらしいけれど、無力で何もできない存在。そんな風に思っている人も多いかもしれません。
でも、実物の赤ちゃんはそうではありませんでした。そんな話を、今回はツラツラ書いていきます。
「本を読んで」赤ちゃんを知ったつもりになっていた
私は人間心理についての仕事に就いているので、子どもの発達心理については、それなり勉強をしているつもりでした。
発達心理学系の本や、進化生物学系の本には、「赤ちゃんはそんなに受け身じゃない」「赤ちゃんアクティブだぞ」と書いてあって、そうか、赤ちゃんってのは母親に世話されるだけの“でくのぼう”ではないのか、と知識としては知っていました。
で、ある日、我が家に赤ちゃんがやってくることになりました。
少し肌寒い、小雨交じりの曇り空のある日、静かに眠る赤ちゃんが大切に抱えられて運ばれてきました。
家庭の新しいメンバーが、それも、人間になったばかりの生命体がやって来ることが、私には、途方もないように感じられました。
赤ちゃんを迎えて早々に気付いたのは、「泣く」ということ自体、生まれて間もない赤ちゃんにとっては大変な努力の産物だ、ということでした。
「泣く」という行動には、ものすごいエネルギーが必要です。泣くためには激しく呼吸しなければならず、それで鼻腔や咽頭が乾き過ぎると感染症になってしまうリスクもあります。が、それでも赤ちゃんは一生懸命に泣きます。
母親に世話されなければ生きていけない状況だからこそ、その母親を呼ぶための最終手段として、「泣く」という選択にエネルギーを惜しまず、リスクも冒していく――そのさまは、なかなか凄みがあって、積極的だと私は感じました。
もうひとつ、生まれたての赤ちゃんでも口の筋肉はしっかり動かします。
おっぱいを吸うことで栄養をもらうだけでなく、吸うことによって母親とコミュニケーションしているのが見て取れました。精神分析の世界では、赤ちゃんの時期を「口唇期」と呼ぶことがありますが、これを命名した奴は冴えている! と感じました。人生って、食事とコミュニケーションが合体した状態で始まるんですね。
どんなに小さくても、口はもう“一人前”です。
赤ちゃんが「空気を読む」ように
それから数ヶ月もしないうちに、赤ちゃんが「空気を読む」ようになりはじめました。
周りの大人の動きを観察しながら泣き声をあげるというか、本当におなかが減っている時の泣き方と、「とりあえず手近な大人を呼ぶ」時の泣き方に、はっきりとした違いがみられるようになったのです。
抱っこするかしないかを巡って、原始的ながら、“かけひき”が感じられるようになってきました。言葉は喋れなくても、コミュニケーションをとる意志と能力はもう持ち合わせているのです。
やがて、つんざくような泣き方を覚えたり、オモチャやぬいぐるみの手触りを確かめたり、行動にバリエーションが生じてきました。
この時期の赤ちゃんが、いろいろなモノを口元に運んでいくのを眺めていると、相対的に発達している口唇を使って、赤ちゃんなりにモノを調べているようにもみえます。
危ないものを呑み込まれては困りますが、赤ちゃんが外界を学ぶ一手段として、口の感覚は重要なのでしょう――手足や皮膚の触覚と同じぐらいには。
赤ちゃんと付き合っているうちに、「案外、言葉が通じない者同士でもコミュニケーションって成立するもんだな」と感じるようになりました。
あるいは、言葉が通じない者同士だからこそ、言葉以外のチャンネルが繋がりやすくなるのかもしれませんが。
生後7ヶ月ほどにもなると、赤ちゃんは「いないいないばあ」を喜ぶようになり、「ママじゃなきゃヤダ病」が深刻になってきました。人見知りも始まります。人見知りが始まるということは、それだけ、周りの人間をしっかり眺めているのでしょう。
母親がいない時に一人で目を覚ました赤ちゃんが、私にニッコリと微笑み、しばらくご機嫌に過ごしていたのが、母親が近づいてくる気配を感じるや泣いて“みせて”注意を惹こうとするのを見て、驚かされたこともありました。
これは、我が家の赤ちゃんがたまたまそうだったという話かもしれませんが、言葉のわからない時期の赤ちゃんでも、泣いたり笑ったりといった情緒的なコミュニケーションの精度は高く、むしろ、大人よりも的確にインプット/アウトプットできているように感じられました。
ただし、そのぶん赤ちゃんの情緒的なシグナルの影響は避け難く、泣いたり笑ったりに振り回される部分はありましたし、親自身の不安や怒りを赤ちゃんに伝えないようにするのも、かなり難しいように感じられましたが。
人間は、生まれながらにコミュニケーションする動物
そうやってコミュニケーションしながら赤ちゃんと付き合い続けているうちに、私は、赤ちゃんの観察者としての心構えより、養育者としての心構えのほうが強くなっている自分自身に気付くようになりました。
もちろん、そうなった一因には、私自身が赤ちゃんを観察したがっていたからもあるでしょう。
でも、それだけとは思えません。コミュニケーションする主体としての赤ちゃんが巧みにコミュニケーションを続けてくれて、コミュニケーションに巻き込んでくれたおかげで、私自身の心が変わっていったのだと思います。
赤ちゃんのコミュニケーション能力によって、私は、養育者としての心構えを身に付けられた、と言い換えてもいいのかもしれません。
これから赤ちゃんを育てる人は、是非、赤ちゃんをしっかり観察して、どうにかコミュニケーションを続けてみてください。
言葉に頼らなくてもコミュニケーションが成立し、その結果としてお互いに影響を受けあいながら変わっていくということ、こんなに小さな生物にもコミュニケーションする意志と能力が備わっていることが、実感できるかと思います。
そしていつしか、自分自身が養育者の心構えに変わっていることに気づくでしょう。
小さくても、人間は人間。
やはり、コミュニケーションする動物なんだなと知りました。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)など。
twitter:@twit_shirokuma ブログ:『シロクマの屑籠』
(Photo:Zaheer Mohiuddin)