こちらの記事を拝読して、ちょっと思い出したことがあります。
友人は、子供には…、と言葉を途中で打ち切り、それから僕に「お前も子供を持てばわかるよ」と言った。僕はそれきり何も言えなくなってしまった。子供のいない僕にはわからないという宣告。反撃不能。
(Everything you’ve ever Dreamed)
以前、大人げない発言をしてしまいました。
何かの会議の前の、メンバーが揃うまでのちょっとした待ち時間でした。ほんの数分だったと思います。
Aさんという他部署の既婚子持ちの女性と、Bさんという同じく他部署の独身の女性と、あと私がいました。AさんとBさんが主に会話していて、私は時々話を振られて、なんということなく返す、みたいな感じの会話でした。
正確な話の経緯はちょっと曖昧なんですが、確かその時、「子どもに色々やらせて、それをinstagramにアップすることの是非」みたいな話になったんです。webではたまに見かけますよね、そういう話。
小さな子を顔出しでwebにアップすることの是非、というテーマは正直今更です。
私自身は、少なくとも本人の意思によらず顔出すのはあんまり良くないかなあと思って自分でも避けているんですが、顔出しで子ども写真挙げてる人、たくさんいますよね。それが悪いってわけじゃないんですが。
詳細はちょっとぼかさせて頂きたいんですが、会話を聞いているとAさんはどうも、「子どもと楽器シリーズ」みたいな写真を挙げているようで、子どもに色んな楽器を持たせて、演奏する真似をさせて、その写真をアップする、というようなことを頻繁にしているみたいなんです。
で、その時、子どもがやりたがってないのにそういうのはどうかなー、と、ちょっと苦言っぽいことをBさんがいったんですね。
私自身はAさんのインスタを見たこともないんで、背景がちょっと分からないんですが、もしかすると無理やり感のある写真だったのかも知れません。
Bさんも子ども持てば分かるよ。
その時、Aさんがそういう言い方をしたんです。Bさんは、答えに詰まったように見えました。
私、そこでつい、反射的に口出しをしちゃいまして。
「いや私も子持ちだけどそういう感覚ちょっと分かりませんね…」
って言っちゃったんです。
Aさんは、「ああ…」みたいな感じで言葉を濁して、そのままその話は終わりました。
当たり障りのない話に遷移して、そのちょっと後に会議の他メンバーが来たと思います。
正直、あんまり気持ちいい言い方じゃなかったなーとは思ってます。さらっと流してもいいところだったかも知れない。
Bさんだって、元々大した話ではなく、別に嫌な思いをしていなかったかも知れないのに、トゲトゲした言い方で空気を悪くしちゃったかも知れません。
私、「子どもを持てば分かる」みたいな言い方が嫌いなんで、ついちょっとブレーキの利きが悪くなってしまった、みたいなところはあると思います。反省しています。
ただ、少なくとも、「自分に対する反対意見に対して、「〇〇すればわかる(してないヤツには分からない)」みたいな言い方で議論を封じるのって、ちょっとそれは卑怯じゃないかなーと思うんですよ。
だってそれ、少なくともその場では、絶対に覆せない壁じゃないですか。無敵シールドじゃないですか。
もしかすると、議論を封じられる側には色んな事情があって、一生かかってもその壁を突破出来ないかも知れない。
言っていることの正しさ、論理と何の関係もなく、「その場での絶対的な優劣」みたいなものをどーーんと放り込んでくるのって、フェアじゃないと思うんですよ。
もうちょっとキツい言い方をしてしまうと、子どもはお前が誰かにマウントとるためにいるんじゃねえぞ、と。
子どもの頃、「大人にならないと分からん」と言われました。
独身の頃、「お前も結婚すればわかる」と言われました。
結婚したての頃、「子どもが出来れば分かる」と言われました。
その都度、「いやそれはおかしいんじゃないか」と思ったんです。
確かに、「そうなればわかる」というものはあるだろう、と。けれどそれと、今している議論に一体どんな関係があるんだ、と。
子どもがいようがいまいが、大人だろうが子どもだろうが、正しいことは正しいし、間違ってることは間違ってるんじゃないのか、と。
少なくとも、「自分はこう考える」という論理に、子どもがいるいない、大人か子どもかなんて経験的な属性は関係ない筈なんです。
しかも、そういう場で出てくる「〇〇になればわかる」って、大体の場合精神的なマウントつきなんですよね。
お前はまだ〇〇にもなっていない未熟者なんだ、でかい顔するな。
そんな言外のニュアンスを感じ取ったことも、一度や二度ではありません。まあ、これはもしかすると被害妄想かも知れませんが。
特に、私は聊か理屈っぽい子どもだったので、「大人になればわかる」という言葉に対する嫌悪感はかなりのものでした。
大人にしてみれば、ごちゃごちゃ理屈っぽい子どもの相手をするのが面倒だったのかも知れません。
ただ、「現時点では絶対に覆せない前提条件」で話を打ち切られてしまう理不尽さは、今でも結構心に残っています。
ちょっと断っておきたいんですが、私、経験論、経験主義を無条件で否定するつもりはないんですよ。
例えば、読んでいない本や漫画を、遊んでいないゲームを、聞きかじった知識だけでこき下ろしている人がいたら、私はそれはそれで「ちょっと違うんじゃないの」と思います。
批判するなら最低限、その対象について知っておくべきことはあるんじゃないの、と思います。それは一種の経験主義でしょう。
実際に「やってみないと分からない」ことがあるかないかというと、「そりゃある」としか言えません。
大人になって社会人経験を積まないと分からないことだって、子どもを持たないと分からないことだって、そりゃ間違いなくあるんです。
けれどそれは、マウントを取りつつ議論を打ち切る為の便利なツールとして使うべきものではない。
「何かを経験するべき」「経験することで分かることがある」ということと、「お前は〇〇を経験していないから、説明しても分からないし、説明する気もない」ということは全く違う。
経験によって得られるものがあるとしたら、少なくともそれが何なのか、きちんと説明することは出来ると思うんです。
例えば、やったことがないゲームをこき下ろしている人がいたとしたら、
「あなたはそのゲームをすることでこういう面白さを感じることが出来るよ」
「あなたの批判にはこういう前提が欠けているよ、それは知っておいた方がいいよ」ということを、私はきちんと説明することが出来ますし、大体そうしています。
その手間を取らずに経験シールドで議論を封じることを、私は不当だと考えます。
だから私は、少なくとも自分では、「大人になれば分かる」「子どもをもてば分かる」みたいな言葉は使わないでおこう、と思っているんです。
子どもが何か面倒な理屈をこねれば、時間が許す限り徹底的に付き合ってやる、と。
「大人になれば分かる」みたいな言い方で面倒な議論を打ち切るようなことはしない、と。
面倒な議論は大好物だ、面倒くさい大人の本気を、理屈っぽさの年季の違いを見せてやる、と。
かつての自分自身がそうして欲しかったことを、今、自分でやろうと思っているのです。
今日書きたいことはそれくらいです。
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【プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
(Photo:Gep Pascual)