先日、富山に家族で旅行にでかけてきた。
その時、有名なチューリップ園に行ったのだけど、大変に見事な庭園であった。野に咲く一輪の花も綺麗だけど、こういう人工的な庭園の醸し出す美しさもまた悪いものではない。
ただ、庭園自体には全くもって何の不満もなかったのだけど、唯一回ってて心が苦しくなった光景があった。
それは凄く真面目に警備をしているおじさんをみたときである。彼等は同じ場所でずーっと、真面目に観光客を誘導していた。
なぜ僕が彼をみて心苦しくなったかというと、僕と彼との労働の間にある深い溝を感じてしまったからだ。
僕も以前やった事があるのだけど、警備員の仕事はものすごくつまらない。ひたすら時が過ぎ去るのを延々と待ち続けるという、ある意味現代の修行僧みたいな職種である。
おまけにメチャクチャに辛い割には、収入もそんなに対してよくはない。
自分はというと、東京で医者をやって、こうしてライターもやって働くという、こういっちゃなんだけどまあまあ知的好奇心旺盛な仕事を楽しんでいる。
収入はメチャクチャに多いわけではないけれど、警備員の彼と比べればまあ多いほうだろう。
何よりもよいのが、仕事である程度自由勝手にやる自由が許されているという部分である。警備員みたいに、ずーっと真面目に仕事をする必要もない。
もちろん真面目になる必要がある場面では真面目にやるけど、基本的には結構不真面目にやっても一定の成果物さえあげてればそう問題になる事はない。
こうして比較してみると、警備員のおじさんと僕、辛い仕事をしているのはどう考えても警備員のおじさんである。
はっきり言って、僕は仕事につまらなさなんてほぼ皆無だ。そのくせにお金をより多く貰っているのは多分だけど自分なのである。これがもう、凄くモヤモヤする。
現代社会は知能に基づいたマイルドな格差社会
みんな声を大にしては言わないけれど、現代社会は知能差に基づいた士農工商制度がベースになっている。
頭のよい人は、良い大学を卒業して、そこそこクリエイティブな仕事について、そこそこのお金をもらって社会を楽しむ事ができる。
一方で社会は頭があまりよくないという烙印を押された人には結構冷たい。もちろん有り余る行動力でそういうものを全てはねつける人もいるにはいるけれど、そういうのはレアケースだ。
頭がよくないという烙印を押されてしまうと、クリエイティブな仕事につくことは非常に難しくなる。いわゆるマックジョブといわれる仕事や、バックオフィスといわれる仕事、運送業や飲食関連といったキツイ系の仕事に押しやられがちである。
僕はこの手の仕事をいくつかやったことがあるのだけど、これがもうエラいキツイ。おまけに不思議な事に、これらの職業に対する利用者の目線は本当に厳しい。
前に運送業の人が公園でタバコをふかしていると親会社にわざわざサボってる事をチクる人がいるという話を聞いたことがあって大変に残念な気持ちになったのだけど、何故か社会はこういうクリエイティブでない仕事についている人がキビキビ仕事をしない事に対して妙に厳しい態度を取りがちだ。
「キツイし給与もそんなに多くないし、なんつーかもっと適当でよくない?」
僕なんかはそう思ってしまうのだけど、そういう意見を僕は全くといっていいほど他人から聞いたことがない。
かつて飲食店でアルバイトをしていた時、フロアのチーフスタッフから
「客は同じ金額を払っているのだから、新入社員もベテランにも同じような対応を期待する。」
「君も給料を貰っている以上、ベテランと同じぐらい仕事ができる事が期待されているのだよ」
という、どこかで聞いたことのある定型文を何度も聞かされながら、説教されていた。
今になって思うと、あのチーフスタッフの言葉はまさに奴隷の鎖の長さ自慢みたいなものだと僕は思うのだけど、この国はどうもこういう不思議なしんどさを無理やり抱え込む傾向にある気がする。
「なんつーか、仕事つまんないし、しんどいし、もっと適当でよくない?」
こんな状況で観光立国なんてしたらめっちゃしんどくなる
デービット・アトキソンという方が書かれた新・観光立国論という本がある。彼は日本再生の手立てとして、日本を観光立国として立ち上げ、外貨を稼ぐ事を提案している。
僕はこれ自体は大変によい着眼点だと思う。観光産業が活発化し、日本に外貨が流れてくる事は、国が貧乏になるよりも遥かにマシだろう。
ただ観光国になる事で一つだけ大変に不安になる点がある。じゃあどこの誰がもてなしをするのかって事である。
当然だけど、観光してもらうなら接客をする必要がある。日本のサービス業は、対価と比較するとあまりにもクソマジメであり、おまけに奴隷の鎖の長さ自慢みたいなお互いがお互いの脚を引っ張り合うようないがみ合いがものすごく多い。
この国は、サービスを受ける時は気持ち良いのだけど、いざ自分がサービスに回る側になるとエライ気苦労を背負いこまされる傾向がある。
さっきも書いたけど、現状では社会は知能によるマイルドな士農工商制度が設けられている。
頭がよい人は、観光立国した後も、そこそこいい大学に行って卒業し、都会でクリエイティブな仕事に従事し、そこそこのお金を貰って、休日に美味しいレストランを楽しんだり、旅行に行ったりしてレジャーを楽しむ事が今と同じくできるだろう。
じゃあ問題はそこにたどり着けない人がどうなるかだ。仮に観光立国した場合、たぶんだけどそういう都会のよい大学に入れない人間は自然と観光産業に従事する事が望まれるだろう。
そうした結果、冒頭に書いた炎天下でクソマジメに警備員をやるおじさんのような存在が再生産される事になる。
繰り返すけど、ああいう仕事は面白くないしシンドイしあんましお金ももらえない。
だから僕なんかは勤務中に携帯をいじるぐらいの自由ぐらいは許してあげるべきだと思うのだけど、何故は日本人の謎のサービス精神と奴隷の鎖の長さ自慢的島国根性はそれを許さないのである。
思うに、頭の良さでマイルドな差別社会を許容しているのだから、頭がよくなく都会にいけないという不平等を享受する人間は、シンドサだけは絶対に押し付けられるべきではないのだ。
現に僕がイタリアに行った時、美術館の監視者はみんなスマホをポチポチいじってたけど、あれが本来の正しい勤務スタイルだろう。なんの面白みもない仕事をする事で、シンドサを個人が抱え込むような事はできれば避けるべき事なのだ。
本来ならば、それぐらいでないと格安サービスの利用者と格安サービス供給者との間の関係は不平等なのだ。
わざわざ300円の牛丼を食べに来て、キビキビした接客態度なんて求めてたら社会が窮屈で苦しくなる。もちろん素晴らしい内装のレストランで気の利いたサービスを提供してくれるようなお店もあってもいいと思うけど、そういうお店は高価で例外にしないと、本当にシンドイ事になる。
自炊ならびに皿洗いという面倒くさいサービスを代行してもらってて、その上で気の利いたサービスなんてプラスアルファをねだっておいて、利用料金が安いのは絶対におかしいのだ。
ここまで社会を変えられれば、たぶんなんだけど観光立国しても、そんなに社会はしんどくはならない。
けど今のままそれを断行すると、そういうシンドイ役割が良い大学にゆけなかった人に無理やり押し付けられるという自体に陥ってしまう。
たぶんなんだけど、仕事があるだけマシだと思えみたいな、これまた美しい国ニッポンみたいな論理でこの事が正当化されちゃうんだろうなぁ。
そういう奴隷の鎖の長さ自慢みたいな事しても、あんまし社会全体の幸福度はあがんないと思うのだけどね。
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(Photo:Garry Knight)