日曜日の昼下がり、自宅で過ごしていると珍しく家の固定電話が鳴った。
出てみると、大手電力会社であるかのように誤認させる巧みな自己紹介の後、
「ご主人様の家の電気代は7000円よりも高いですよね?」
と、しっぽ丸出しの質問。
丁重にお断りするが、切らせまいとまくしたてるのでやむを得ず電話をガチャ切りにする。
すると直後にもう一度かかってきて、
「ちょっと、なんか電話切れたんだけど?」と、タメ口でキレ気味に私を威圧し始めた。
これほど迷惑で、また掛ける方もストレスであろう電話を、人は自分の意志だけで続けられるものではない。
おそらくそばにブラックな上司がいて「もう一回掛けろ!」と指示されたか、そのようなマニュアルで追い詰められているのだろう。
私はつい、余計なことだと思いながらも、鼻息荒く凄む相手に、
「このお仕事、やり甲斐ありますか?」
と質問した。
さすがにこんな質問をする相手は、これまでいなかったのではないだろうか。
電話の向こうの、おそらくまだ若いと思われる男性は一瞬口ごもると舌打ちし、今度は向こうからガチャ切りしてしまった。
従業員の幸せを一切考えなければ、ビジネスで成功するのは簡単。
少なくとも日本において、経営者が従業員の幸せを一切考えない限り、ビジネスで成功することは極めて容易だ。
最低賃金だけの支払いを保証し、歩合制で給料を上積みする労働契約にすれば、人件費のリスクは非常に安価に限定できる。
さらに従業員を、管理職かもしくは裁量労働制の契約にしてサビ残で使い倒せば、割増残業代もかからない。
実に簡単だ。
その上で、大手と誤認させる「オレオレ詐欺」まがいの電話を掛けさせ、時に相手を威圧し、
「電気代が安くなります」
「携帯電話代が~」
「ガス料金が~」
と勧誘することを強要して、お金が落ち続ける契約を自社に取り込めば、経営者は笑いが止まらない。
しかしこのような仕事は、どれだけメンタルが強い人の精神も潰すので、人は次々に入れ替わり従業員に仕事のやり甲斐など永遠にやってこないだろう。
ではなぜ、このようなブラック企業経営者と、そこで働く人が後を絶たないのだろうか。
古典的な経営者は労働者の時間を「使い尽くすこと」ばかり考えている。
その原因は大きく2つあり、経営者の考え方と労働者の姿勢だ。
古典的な経営者は、労働力を意識的に、あるいは無意識のうちに固定費として考える癖がある。
もしくはそのような方法でしか、労働力を確保する方法を知らない。
そして一人の人間を採用したら、毎月固定的なコストの見返りとして、その人の時間を何が何でも最大限拘束し、使い尽くすことしか考えない。
具体的な例を挙げたい。
筆者はある会社で、ターンアラウンド(事業再生)担当の取締役を務めていたことがある。
その時、あらゆる方策を尽くしても業績の回復に限界があり、やむを得ず従業員の給与を一律カットする案が、経営トップから役員会に提案されたことがあった。
一般従業員で5%、管理職で10%の大幅な削減だ。
その提案自体は、最悪の愚策とは言え代替案を示す余地がなく、賛成せざるを得ない状況だった。
しかしそれでも、私はその提案に対し要旨以下のような実施案を相乗りで提案した。
・ただ給与の一律5%カットだけでは、従業員の士気が保たない。引き換えに5%分の公休を増やしてはどうか。
・具体的には、年96日(月8日)の公休を18日(月1~2日)増やし、完全週休2日に近い運用にする。
・従業員が業務に集中している時間を考えても無理がない上に、歓迎する従業員もいるはずだ。
それに対し経営トップは真っ向から反対し、議論になった。
「今のままで、労働基準法の休日規定は満たしている。そんな必要はない。」
「給与の一律カットが従業員のメンタルに与える影響を軽く見ることには、賛成できません。これを機会に労働契約にいくつかのパターンを設定し、従業員が自由に働き方を選べるようにしながら、全体として労務費を削減することを検討すべきです。給与は安くてもいいからもっと休みが欲しいという従業員は、必ず一定数います。」
「そんな事をしてたくさんの社員が手を上げたら、人手が足りなくなる恐れがある。社員の理解さえ得られれば、今の労働力を確保しながらコストだけ下げることができる。しかも法律には違反していない。検討する意味がない。」
「たかだか月に1日程度の投資です。ご心配なら実験的に、事務方だけでも試験導入して検証しませんか。従業員のメンタルを甘く見ると取り返しがつかないことになります。」
「法律の規定以上に休みを与える余裕はない。辞める従業員が発生すればさらにコストが下がるので、それならそれで良い。」
概ねこんな会話であっただろうか。
要するにこの経営トップにとっては、人は会社にとってコスト以外の何物でもなく、ついてこられないものは辞めてもいい、という経営思想が根本にあるということだ。
従業員のニーズに合わせた多様な働き方を検討し、併せて適性コストを追求するという発想はカケラもない。
これでは、
「断られても何度も電話し続けろ」
「嫌ならやめればいい、代わりはいくらでもいる。」
というわかりやすいブラック企業の経営者と、程度の問題というだけで大差ないではないか。
当然意見の一致を見るはずがなく、私の提案が役員会の意志になることはなかった。
またある別の企業では、従業員は新卒で入社したばかりの社員を含めて全員、給与の一部を固定残業代と称した手当として支給。
その上で、裁量労働制の労働契約を結び残業させ放題という運用をしていた。
しかもこのやり方は、社労士自らが法律上の問題はないということで、その指示に基づき行っているものだった。
制度の趣旨から考えて明らかに間違っているが、これほどまでに日本には、手段を選ばず労務費を安価で固定的に、抑制したいと考える経営者が多いということだ。
そしてそのように運用できる法律の抜け穴が、いくつもあるということでもある。
その上で、従業員の大事な人生の時間を無限定に会社に奉仕させ、偉そうに経営者ヅラする。
これでは、ビジネスパーソンが自らを自嘲的に「社畜」と呼ぶのも、無理はないだろう。
労働者はどう働くべきか
ブラック企業がのさばる理由には、このような経営者の、古典的な思想があることは間違いない。
その一方で、労働者側にも問題が全くないとは言えない。
それはなにか。
それは、正社員になれば、成果に関わりなく必ず給与を貰えると考えがちな意識だ。
言い換えれば、出社さえすればお金は貰えて当然という、労働の仕組みそのものにも問題があると言っても良い。
もちろん、労働者は会社に時間を提供する契約を結んでおり、それをお金に換える事は経営者の仕事なので、そう考えることそのものは間違っていない。
しかしその一方で、お互いの関係が継続するためには必ず、「報酬」は「成果に対する対価」で無くてはならない。
例えばフリーランスという働き方について考えてみたい。
フリーランスは基本的に、取引先に対し時間そのものを提供しない。技術や成果物を提供しその対価を得るので、発注主の甘えを許さない。
このような価値観の人に対し、発注主が契約の趣旨を無視して
「話が変わって悪いけど、ちょっと作り直して」
「クライアントが遅れているので、もう半日時間をとって」
などのように依頼をしたら、
「承知しました、では改めて見積もりを出しますね」
と伝えるだけだ。
営業的な配慮があるなら別として、基本的にフリーランスは自らの時間が付加価値を生み出す最大の資本であることを知っており、それをサービスで提供するようなことなどしない。
このような関係が成立していると、発注主も労働提供側も成果物に対してシビアになるので、理不尽な働かせ方、あるいは理不尽な業務指示というものとは無縁になる。
身もふたもないことを言うようだが、「成果を意識しない働き方」では、時間の使い方を経営者に委ねざるを得ない現実があるということだ。
そして、このような立場の弱い人を好んで採用し、その大事な人生の時間を搾取し続け、ブラック企業という存在が横行することになる。
このような働き方をしないためには、何かのプロになりきれない間は組織に属することを選んでも、いずれ独立し、あるいはフリーランスになることなどを目標に
「自分はここで何のスキルを積み上げるのか」。
その事を強く意識する以外にない。
そして自分のスキルや成果物に十分なクオリティがあると自信を持つことができれば、積極的に独立を考えるか、あるいは同業他社への転職を検討し、経営者に自分の価値を値踏みさせるべきだ。
そのような人が増えていけば、ブラック企業というビジネスモデルは必ず消えてなくなるだろう。
もちろん、冒頭で引用した会社のように、上司や経営者の指示で理不尽な仕事を強制されるだけの会社など論外であり、そこで積み上がるスキルなど存在しない。
もしそう思いながら仕事をしているのなら、そんなバカバカしい会社に労働力を提供しては、絶対にならない。
毎日の仕事が確実に、自分の資産になって積み上がる実感が得られる働き方を選ぶこと。
皆がそう意識し仕事をすることができれば、くだらない経営者は必ず一掃できるはずだ。
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【著者】
氏名:桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。会社経営時々フリーライター。
激レアさんを連れてきたとクレイジー・ジャーニー、ピカード艦長が大好きです。
個人ブログで月間90万PVの読者を持つことが数少ない自慢です。
(Photo:stefanos papachristou)