教育というのは誠に難しい。

優しくするのがいいのか、それとも厳しくするのがいいのか。

汎用性のある回答はないだろうが、1つ参考になりそうな小話をしよう。

 

つい先日、ある人と食事をしていた頃の話だ。

お互いのよもやま話をするうちに、ふと自分自身の幼少時代の話になった。

 

その人は小中高は本人曰くあまりパッとしない感じだったそうなのだけど、大学以降に得意な事を見つけるのに成功しググっと大成長。

その結果、そこそこの社会的成功を収める事ができたのだという。

 

「子供の自主性を重んじて、好きや得意を大切にしよう」

 

実によく聞くフレーズである。

将棋の藤井聡太氏が破竹の勢いで快進撃を繰り広げていた時、モンテッソーリ教育のような子供の主体性を重んじるような事が大切だという話題を盛んに耳にする機会が増えた。

 

「実は・・・子供が小さい頃は自主性なんて無視して、ビシビシ教育した方がいいんじゃないかと思いつつある」

 

だからその人から、この発言がでた時、僕は結構驚いた。

 

ある段階までケツを叩かれて高めてもらえたからこそ、得意な事をみつけられた

その人の話を要約するとこういう事だ。

 

自分は、大学以降で得意な事を見つけられた事で社会的に成功できたけど、そもそもその「得意なこと」をみつけられた環境である大学にリーチできたのは、幼少時に親から外圧をかけられてビシビシ教育されたからだとしか思えない。

 

仮に小さい頃に自主性なんて与えられてしまっていたら遊び呆けていただろう。

その結果、「得意なこと」を見つけられるような土台になんて立ててなかったに違いない。

 

だから、ある段階までは心を鬼にしてビシビシ叩いてあげた方が子供にはいいんじゃないか、というわけである。

 

なかなか含蓄のある話である。

実は僕もその人とほぼ同意見なのだけど、この話はなにも子育てに限らず新卒教育でも言える話だなぁと思った。

それを痛感したある体験をお話しよう。

 

女性は女性に対して、本当に厳しい

「そんな事で、社会人としてやってけると思う?」

当直明けで、誰も居ない会議室の裏でコッソリ寝ていた僕を強烈な叱り声が叩き起こした。

 

ひょっとして自分が怒られたのかとハッと目を覚ましたのだが、怒られていたのは僕ではなく新卒看護師だった。

先輩看護師から新卒ナースへの辛辣な指導はその後も続き、すすり泣きが聞こえ始めるまでにエスカレートしていった。

 

女性は女性に厳しい。本当に厳しい。

男性が女性にやったらパワハラ・セクハラになりそうなレベルの厳しい指導も、看護師のような女性社会では割と普通に行われる。

 

その後、忘年会で酔った勢いで僕は「実は・・・あれ聞いてたんだよね」とその厳しい指導をした看護師にコソッと打ち解けた。

彼女は苦笑いをした後に、僕にこう続けた。

 

「自分も学生時代の頃は、なんであんなに厳しく指導されるのかサッパリわからなかった」

「けど、厳しい医療の現場では女子力のような可愛らしさなどを駆使して仕事から逃げるクセが一度ついてしまうと、職業人としてプロフェッショナルが発揮できなくなる」

「職業人としてプロ意識を持てるようになった時、ああ初めに厳しく指導されなかったら、永遠に仕事に真面目には向き合えなかっただろうな、と思うようになった」

「自分はこの仕事を愛してるし、職業人としてプロ意識を持てるようになれて本当によかったと思ってる。だから心を鬼にして、初めは必要以上に厳しく指導した方が、本当の意味で後輩たちの為になると思っている」

「悪い意味での女らしさが現場に持ち込まれないために、ああいう文化が根付いたのかもしれないね」

 

これを聞いて僕はなるほどなぁと思ったのだけど、その思いはその後様々な病院を周りふるゆわ女医をみるにつけ「ひょっとして、真理なのでは?」と思うようにすらなっていった。

 

鉄は冷めたら本当に打てないのをふるゆわ女医をみて痛感した

看護師と異なり、比較的男性の多い医師社会において女性はそこまで激・厳しい指導は行われない。

昨今のセクハラ・パワハラへの監視の目が厳しい事もあって、女医はかなり甘くされる事も多い。

 

それに加え、女医はキャリア形成時期と結婚・妊娠・出産の時期が激しく被る。

これらが組み合わさった結果、職業人として宙ぶらりんな感じの女医がいるのは残念ながら事実である。

 

「やー、子供ができちゃったらさ、正直仕事なんて二の次だよね」

 

産後、現場に復帰しないのかと問いかけた僕に、ある女医はこう答えた。

「ぶっちゃけ医者はアルバイトでそれなりの収入稼げるし、今更シンドイ現場に戻って修行するのは腰が重いよ」

 

誤解して欲しくないのだけど、当然というかメチャクチャ仕事に真面目な女医さん(子持ち含む)も沢山いる。

そういう人を見ていて思ったのだけど、そういう人はある意味、男以上に男らしいと仕事の時に感じさせられる人が本当に多い。

 

男勝りな女医さんが初めからプロ意識を持っていたのか、それともキャリア形成過程でそれらを叩き込まれたのかはわからない。

ただ、冒頭の子育てエピソードの事も含めて本当にこう思ったのだ。

 

子育ても新卒教育も「鉄は熱いうちに打て」の精神で最初にビシビシやるべきなのかもしれないな、と。

<参考 女医問題ぶった切り>

 

知的振る舞いやプロフェッショナリズムは最初にインストールしないと後から上書きするのは難しい

念の為言っておきたいのだが、僕は何も子供の自主性はいらないとか、女性らしさは悪だとかいいたいわけではない。

 

100年の人生を走り抜けるのには自主性は非常に大切だし、幼少期からそれを育む事はとても価値ある行いだろう。

また、女性らしさも時として非常に強力な武器となる。事実、それらに助けられた事は何度もある。

 

ただそれらを尊重しすぎると、時としてある種の概念のインストールを阻害する事につながるのも、また事実だろうと思うのだ。

 

子供に自主性を与えすぎた結果、勉強に全くコミットしなくなる事もあるだろうし、女性だからと仕事のシンドイ部分を悪い意味で気を利かせて奪ってしまったら、職業人としての責任感の形成に悪影響を与えるかもしれない。

 

冒頭の人は幼少期にビシビシ教育された事で、大学文化である知的振る舞いを身に着けつつ、自主性も遺憾なく発揮する事ができるようになった。

先輩看護師は新卒教育でビシビシ指導された事で、職業人としてプロフェッショナリズムを獲得しつつ、ある種の女性らしさを用いて病棟で患者さんを和ませる事にも成功していた。

 

当たり前のことだが、どんな能力にも良い面も悪い面もある。

そして、それらはインストールする順番さえ間違えなければ、いくらでも併存可能なのだ。

 

ただ、獲得すべき時を逃すと・・・その後身につけるのが極めて難しくなる。それが人生の大きな機会損失となるのは、残念ながら事実だろう。

 

自分自身の経験を振り返っても、踏ん張れるのは若い頃だけだなと本当に思う。

若い頃の苦労は買ってでもしろという言葉の真意は、たぶんこういう事なのだ。

 

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(2024/3/13更新)

 

 

【プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

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(Photo:Thao Le Hoang