皆さんは、”発達障害本”とでもいうべき書籍を見かけたことがありますか。
私が”発達障害本”と呼んでいるのは、「発達障害の当事者が当事者目線で書いた、社会適応や暮らしに役立てるための本」のことです。
この”発達障害本”は2010年代から次々に出版され、その少なくない割合が書店で平積みにされるほどヒットしました。
たとえば最近では、借金玉さんの『発達障害サバイバルガイド』などがその好例だと思います。
どのような書籍なのか、この本の冒頭を紹介してみます。
この本は、あなたのためのサバイバルガイドです。具体的には、発達障害という問題を抱えた僕らがどうにか働き、食っていくための「生活術」を1冊にまとめています。
(中略)
生活とは、人生の基盤そのものです。仕事もプライベートも、あるいは成功も失敗も、すべては「生活」の上にしか成り立ちません。この世界に生きる限り、誰一人として「生活」することから逃れることはできません。
そして、僕も含めた一群の人々──発達障害者、あるいは発達障害グレーゾーンの方──にとって、「生活」というものは、一筋縄ではいかない難しさがあります。発達障害サバイバルガイド――「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47
- 借金玉
- ダイヤモンド社
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こう切り出したうえで、筆者の借金玉さんは読者に対し、生活にかかわる様々な分野のハウツーを紹介していきます。
生活環境、生活習慣、金銭管理、服装、リモートワーク、食事、休息、等々。分野は多岐にわたっていて、「生活術」を一冊にまとめたという看板に偽りはありません。
ちなみにこの『発達障害サバイバルガイド』、発達障害と診断されていない人や発達障害グレーゾーンと呼べなさそうな人が買っても「生活術」の本としてかなり役に立ちそうです。
なぜなら、発達障害の性質を念頭に置いたアドバイスが少なくない一方で、それらに該当しない人でも知っておいたほうが良さそうなハウツーもたくさん記されているからです。
たとえば腕時計について借金玉さんは
結論として、僕らのようなおしゃれ、センスと無縁の人間たちが選ぶべき時計は、たったひとつ。「アップルウォッチ」です。アップルウォッチは4万円台(Apple Watch Series 5)とそんなに安いものではありません。すいません見栄を張りました、高いです。
しかし、高級時計と比較したら、その価格は比べ物にならない。実際、10万円の時計というのはおっさんたちの世界ではむしろ「安物」に属するそうなのです。僕みたいな小僧からするとあまり想像がつきませんが、腕時計について調べていくと、やはりこの相場観は一定正しいのだろうなという気がしました。
アップルウォッチを身に付けるだけで、僕らは「私はそれなりにお金を持っていて、しかも他人から自分がどうみられるかの一定の意識ができる人間です」と表明することが可能になります。
(Hack26:アップルウォッチで「時計マウンティング」を回避する より)
このように述べていますが、年配の人々へのディスプレイ効果を踏まえるなら、このアドバイスは至当なものだと思います。
こうしたアドバイスは、発達障害の読者にだけ貢献するものではなく、社会経験の浅い読者全般にも貢献するでしょう。
“発達障害本”の前にオタクハウツー本があった
で、ここからが今日の本題です。
先日、発達障害とインターネットの両方に詳しい知人とディスカッションをした時、彼の口から面白い見解をうかがいました。
「最近流行の”発達障害本”ってさ、”脱オタ”の後継者なんじゃない?」
「オタクのためのハウツーってキャッチコピーが流行らなくなったのと入れ替えに、発達障害のためのハウツーってキャッチコピーが流行ってきたのって印象的じゃないですか」
ふむふむ。そうかもしれない。
さらに知人はこうも付け足しました。
「”発達障害本”の借金玉さんなんかは、だからシロクマ先生の直系子孫ですよ。シロクマ先生、昔は”脱オタクファッション”のウェブサイトとか作ってたじゃないですかー」
いや、そういう余計な昔話は思い出さなくていいってば。
ともかく、そのディスカッションをとおして私たちが再認識したことをおおざっぱに記すと、
1.1990年代~00年代前半には”発達障害本”というジャンルは存在しなかったし、インターネットで発達障害が語られる頻度も低かった。そのかわり、オタクの社会適応のハウツーについての言説が流通し、その中心に”脱オタクファッション”というムーブメントが存在した。
2.2000年代の後半になると、オタクの社会適応のハウツーが語られることが減っていった。かわりに、発達障害という言葉が広まり、社会適応の難しさはオタクという語彙によらず、発達障害という語彙で語られるようになった。
3.2010年代に入るとトレンドは完全に発達障害に切り替わり、”発達障害本”が書店に平積みされるようになった。
……といったトレンドの変化があったわけです。
もう少し詳しく振り返ってみましょう。
1990年代のインターネットには、パリピやウェイ、リア充な人はほとんどおらず、ナードとギーク、オタクと研究者と好事家の溜まり場といった雰囲気でした。
当時のオフ会を思い出すと、参加者のなかには発達障害に該当しそうな人々が含まれていたのですが、発達障害という語彙を知っている人がほとんどいなかったので、オタクという語彙がちょっと変わった人やちょっと社会適応の難しい人にもあてがわれていました。
このことを理解する際には、当時のオタクという語彙のニュアンスが、現在よりもネガティブだったことを思い出しておく必要があります。
特定の趣味に熱中していない人でも、ただ気持ち悪い印象を与える外見であればオタクと呼ばれることがあり得る時代でした。
そうしたなか、インターネットでは
「どうすればオタクと呼ばれないようにするか」や
「アニメ趣味やゲーム趣味を捨てることなく、社会適応の苦手意識をどう克服していくのか」
についてのハウツーを語る人が現れるようになり、意見交換するようになっていきました。
これが、”脱オタクファッション”、または”脱オタ”と呼ばれるムーブメントです。
はじめのうち、こうしたムーブメントは非常にマイナーなものでしたが、ドラマ『電車男』のヒットとともに広く知られるようになり、秋葉原のあちこちに『脱オタクファッションガイド』が平積みされるようになりました。
脱オタクファッションガイド
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- オーム社
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実際、この本はベストセラーと言っても良い売り上げを記録し、さまざまな類書が出版されたと記憶しています。
オタクの退潮と発達障害の台頭
ところが2000年代の後半から急激に、”脱オタクファッションガイド”的なムーブメントは退潮していきました。
と同時に、オタクという語彙と社会適応の難しさを結び付けるような語りも少しずつ減っていきました。
こうなった背景には、『電車男』のヒットに前後してオタクがカジュアルなイメージを獲得していったこと、芸能人なども「自分はオタクだ」とカミングアウトするようになったことなどがあると思われます。
社会適応のうまくいっている人までもがオタクを自称するようになれば、オタクという語彙と社会適応の難しさを結び付けて語るのは難しくなってしまいます。
その間隙を埋めるかのように、発達障害という語彙が社会適応の難しさを語る際のキーワードとして浮上しはじめました。
それでも2010年代のはじめ頃は発達障害という語彙はまだ知られきってはおらず、オタクでもなければ発達障害でもない語彙が流通することもありました。
たとえば、以下に示す「真面目系クズ」というネットスラングなどはそうだといえます。
・授業は前側の座席に座るが話を聞かず黒板をノートに写すだけ
・真面目っぽいので教師から期待されるが成績が伴わない
・知り合いは割りといるが友達はすくない
・人が見ていないところでは徹底的にサボる
・課題などは提出日ギリギリまでやらない、場合によっては終らない
・愛想笑いだけは凄く上手い
・親からの過大評価が凄い
・宿題は真面目に出すがテストの成績が良くない
・真面目系クズ「わかりました」←わかってない
(ニコニコ大百科、真面目系クズとは から抜粋)
こうした中間的なネットスラングの流行を経たうえで、2010年代の後半には発達障害という語彙がインターネットでもよく知られるようになり、社会適応の難しさや生きづらさを語る際に用いられるようになりました。
残念ながらそれだけではなく、発達障害という語彙に基づいて他人を差別したり見下したりする語りも見かけるようになってしまったのですが。
この時期になると、出版の世界では”発達障害本”が相次いで出版されて、書店に平積みされていきます。
発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由
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冒頭で紹介した借金玉さんのはじめの書籍も2018年につくられ、大きなセールスを記録していましたね。
この頃には、発達障害という語彙は社会適応の難しさや生きづらさを語るための共通言語として、よく知られるようになったと言えるでしょう。
こうして、十数年前はオタクというサブカルチャーの語彙で語られていた社会適応の難しさや生きづらさは、発達障害という、精神医学に基づいた語彙に置き換えられていきました。
もともと発達障害がスペクトラムな概念 (注:正常と異常をはっきりと切り分けられるような概念ではなく、最も発達障害的な人から最も発達障害的でない人までがグラデーション状に存在するとみなす概念) であった点も、みんなに知られていくうえで好都合だったかもしれません。
そして最近では、オタクについてはこんな風に言われるようになりました。
「あなたが社会適応しづらいのはオタクだからとか、関係ありませんから」
「あなたがモテないのはオタクだからじゃなくて、あなただからです」
発達障害は、いまどきの生きづらさの象徴
ここまでを踏まえたうえで、もう一度、冒頭の『発達障害サバイバルガイド』を振り返ってみましょう。
さきほど私は「『発達障害サバイバルガイド』は発達障害と診断されていない人が買っても「生活術」の本として役に立ちそう」と書きました。実際、そのとおりでしょう。
だとしたら、いまどきの”発達障害本”はいまどきの社会適応の難しさや生きづらさを抱えている人全般が手に取ってみる値打ちのある、そういう自己啓発ジャンル足り得ているのではないでしょうか。
“発達障害本”が発達障害の方をおもな想定読者としているのは間違いないでしょう。
が、ただそれだけでなく、発達障害の人に役立つアドバイスは、社会経験の浅い現代人に役立つアドバイスと少なからず重なっているのではないか、と言ってみたいわけです。
ただ、当事者が書いた”発達障害本”をとおして、あるいはインターネットでの言説をとおして発達障害という語彙が広まっていくことに、懸念がないわけではありません。
精神医学のフォーマルな発達障害概念が市井の語りのなかで変質してしまうとしたら、今後、面倒なことが起こるかもしれません。
どういうことかというと、たとえば、メンヘラというネットスラングは精神医学とは無関係に生まれ、無関係に用いられ続けていますが、発達障害は精神医学のフォーマルな語彙ですから、市井の語りによって変質してしまうと、精神医療そのものに悪影響や混乱をもたらすリスクがあります。
そのような悪影響や混乱が最小限であったほうがいいのは、言うまでもありません。
それでも、発達障害という語彙がこうして広く知られ、社会適応の難しさや生きづらさについて考える際のひとつの切り口となったこと自体は、まずまず望ましいことではないかと私は思っています。
今まで自分の悩みを概念化できなかった人や、自分の悩みを他人に伝えられなかった人が、発達障害という語彙を知ることでそれらが可能になったとしたら、それはおおむね良いことではないでしょうか。
また、いまどきの社会適応の難しさや生きづらさに対処するためのハウツーを提供する側と受け取る側の双方を、発達障害というキーワードが取り持ってくれているとしたら、それもそれで幸福なマリアージュではないか、と思うのです。
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著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
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