おれの今までの人生における人間関係について書く。

おれがだれだろうとあなたには関係ないだろうし、まったく興味がないかもしれない。

ある人には全く理解できないかもしれないが、共感を覚える人もいくらかいるかもしれない。

もし子供や人の親であれば、反面教師として役に立つかもしれない。役に立たないかもしれない。

 

はじめての他者

はじめて他者、家族以外の他者を意識したときのことを覚えているだろうか。

 

おれは覚えている。

 

祖母に連れられて近くの公園に遊びに行ったときのことだ。幼稚園に入る前だと思う。

そこに二人の子供がいた。双子だった。

二人とも自分より一つ下だった。……いや、そりゃ、二人ともだろう。

 

しかし、双子はおれよりも背が高かった。

かけっこをしても追いつけなかった。

鬼ごっこをしてもすぐにおれがつかまった。

しまいには、手加減してくれるようになった。

 

おれは早生まれだった。

そして、今、結果としてわかることだが、ずっと学年で一番小さいというレベルのちびなのであった。

運動能力が劣る。一つ下の子らより劣る。

 

おれは人生最初の他者との出会いで敗北と悔しさを味わった。

そんな言葉は知らないとしても、なにかおれの人生の中ではっきりと認識できた体験だった。

そこで味わったのは、友だちができたという喜びではなく、なにか釈然としないものだった。

 

だから、おれはいまでもおれの原初の体験として、それを引っ張り出してきてはたまに眺めたりするこがある。

おれを形作る少し重要なかけらのように思える。

 

必要なことを幼稚園の砂場で学ばなかった

おれは幼稚園に入った。

双子も一年遅れで同じ幼稚園に入園してきた。

あの双子との最初の出会いはおれの模造記憶などではない、ということだ。

 

とはいえ、幼稚園時代の記憶というのはあまりない。

ただ、早熟な子供で女の子を好きになったりはした。

それでも、みんなができる工作などがうまくいかず、癇癪をおこしてすぐ泣いた。おれは泣き虫だった。

 

今にして思えば、心身のバランスがうまくいってなかったのだと思う。

最大で一年近い差のある(それは幼少期においてかなり大きいことだろう)周囲の子らと精神年齢が釣り合っていなかったのだ。

運動能力以上に、差があった。これは本当に、今にして思うことだ。

 

一方で、自分で言うのもなんだが、おれは小賢しい子供でもあった。

はっきり言ってしまえば、頭はよいほうだった。ませていたといってもいい。

そこで、自分の想定する自分の能力と、実際に自分が身体を動かし、人とコミュニケーションをとることに差があった。

そして失敗すると、解決法もわからないので、すぐに泣きわめく。そんなところだった。

 

幼稚園で、なにか知能レベルのようなものを測定したことがあった。

おれは人に遅れた人間ではないかと気が気でなく母に結果を聞いたが、教えてもらえなかった。

後年聞いたところ、結果がよかったので、それを自慢していじめられないかと心配して教えなかったとのことらしい。

親はおれの性格に気づいていたのかもしれない。

 

人を見下しがちだが、自分にはそれだけの能力が伴っていない、そんな性格。

ようするに、勘違いした嫌な人間だ。

それだから、ろくに人間関係を築けない。

 

その歳でそこまで気づいていたら……いや、その歳でそこまで自己を客観視できる子供はいない。たぶん。

 

ただ、早生まれの子への救済はあっていいように思う。

どうしたって有利不利がでるが、一年近い差は大きい。

早生まれには一年進級を猶予できるとか、せめて半年区切りにするなどできないものか。

知的能力、体力、それよりもコミュニケーション上の齟齬。

 

なにせ、一生続くとすら言われているのだから。そんなことを東大の先生も言っている。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75636

……さらに、友人、あるいは先生は自分の良いところを認めてくれていると思うかといった質問に対しても、生まれ月の差が見られた。早生まれの子どもたちほど、こうした人間関係について悲観的な回答をしている。この事実自体、憂慮すべきものだが、非認知能力は人間関係から形成される部分があるとすると、非認知能力の発達に長期的な悪影響がおよぼされていないかが気がかりである。

 

最初の人間関係ギロチン

さて、おれは幼稚園を卒業した。

次は小学校だ。そこで大きな人間関係のギロチンがあった。

 

おれの進んだ公立小学校には、おれと同じ幼稚園からの入学者は、わずか3人だった。

過疎の村ではない、1学年3学級はある中でのことだ。

おれが住んでいたのは、学区のすみっこの方だった。多数派の出身幼稚園、保育園とは異なっていた。

 

これが、進級による人間関係のギロチンの始まりであった。

おれがなんとか築いた幼稚園での人間関係は断ち切られた。

 

さて、今さら書くが、おれはたいへんな人見知りであり、根源的に人間が苦手なタイプである。

当然のことながら、顔と名前を知っているのが2人(とくに幼稚園で仲が良かったわけでもない)というなかに放り出されて、たいへんに苦労した。

 

それでも、なんとか友人というか、友達グループの中に入れたのはなんだったのだろう。よく覚えていない。

あるいは、教師が強制的に定める「班」とかいうものが役に立ったのかもしれない。

 

が、それでもおれは周囲とうまくやっている感じがなかった。

読み書きというか、ものが人より読めるおれは、知識ばかり増していき、一方で精神年齢は一回り下だった。

話についてこれない周りを馬鹿にして苛立つ一方で、そのような態度が周囲にどう思われるのかわかっていなかった。

 

というわけで、おれは嫌われ者になった。

また、自分をからかうものがいたら、「無視する」という行為に出て、人間関係を断ち切った。

これはおれ自発的に使うギロチンである。

そしておれは逆に断ち切られる側にもなった。

おれは無視され、いじめられもしたし、最後には不登校のような形で卒業した。

 

逃げ道としての私立中学校受験

しかし、おれは逃げ道を作っていた。

同じ学区でさらに3年中学校生活を送るのは地獄だ。

そこに、そんな事情とは関係なく親から提案があった。

私立中学校への進学だった。親が言うに、行くことになる公立中学校は荒れているらしいという噂と、ア・テストの存在、これである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88

対象が国語・数学・英語・理科・社会の主要5教科だけでなく、実技科目(美術・体育・音楽・技術家庭)の4教科にまで及んだ。

おれが大の苦手にしている体育や家庭科などまで評価されてしまっては、よい高校に行けないのではないか、という危惧である。美術だってどんなものかわからない。

 

そのうえ高校入試試験という一発勝負に失敗したらたいへんなことになるのではないか。

だったら、どこか中高一貫性の私学に行けたなら行けば? という感じだった。

おれはそれに同意した。というか、飛びついた。もうこの小学校の面子のなかにはいたくない!

 

とはいえ、おれは文系はできたが算数と理科については公立小学校のレベルでできないことはない、くらいのものだった。

おれは「小学生のための受験予備校」に行くことになった。

おれの学年で中学受験をしようとしたのは5、6人くらいだった。

 

が、そこでおれは思わぬものを見出した。

同じ小学校、あるいはよその小学校からその塾に行くなかで仲良くなった人間とは、話が通じる感じがしたのだ。

勉強の出来がその中でも中か下かというくらいのくせに、そんなことを思った。

 

「ひょっとしたら、私立中学校に行けば浮くことがないのでは?」

 

おれはギロチンをまた使う

おれは、おれが「ここは最後の滑り止めだろう」と思っていた中学になんとか二次試験で滑り込むことができた。

とはいえ、地元の中学に行くことになったら、また同じメンバーのなかで浮いてしまうだろうし、なんにせよ最後は必死だったように思う。

 

そしておれは、私立中学に通うことになった。

今度は、同じ小学校から行くやつはだれもいない。またギロチンだ。

おれは一人からスタートすることになる。それはそれで恐ろしいことだった。

 

一方で、わずかな望みを持っていた。

塾と同じく、わざわざ私学に来る人間なら、話せるんじゃないのか。

 

今思えば、これは一種の階級というか、格差の話だったろう。

子供を塾に通わせ、私学に入れることのできるだけのお金、あるいは文化資本というもの。そういったものだ。

入学してすぐ担任に言われたのは、「温室育ちなのにわざわざ底辺を見たり、苦労することはない。そのまま育て」ということだ。

これについては別に書いたことがあるので、ここでは触れない。

 

で、「話せた」のか。話せた。

小学校のときより、ずっと居心地がよかった。

わりとはやく友人ができたと思う。

 

が、おれはまたギロチンを振るってしまった。

最初に仲良くなった2人の友人から、なにかほんのちょっと家族のことを馬鹿にされた。

べつに家族思いというわけでもないおれは、なぜかそれに異様に反応して、完全無視という態度を取ってしまった。

今考えても不思議な話だ。

 

おれは喧嘩の仕方を知らなかったのかもしれない。あるいは、仲直りの仕方を。

ただ、おれはおれのなかでおれは正しいとしか思わず、関係を断ち切ることしかできなかった。

今でも仲直りの仕方がよくわからない。

 

とはいえ、なぜかわからないが、またべつのグループに入ることができた。

けっこう長く続いた。が、それも高2くらいまでだったろうか。

またおれは孤立していた。なぜそうなってしまったのか、よく覚えていない。

ただ、気づいたらそうなっていたし、おそらくはおれの幼稚さが人間関係の持続を阻害したのだろう。

要するにおれは、嫌われ者なのだろうと、そのころには確信していた。

 

次と、その次のギロチン

おれはストレートで大学に合格した。

おれの通っていた学校からすれば、それなりの大学だった。

おれをはっきりと嫌っていた強面のやつが、わざわざおれに面と向かって「お前はもう一生勝ち組だな」と嫌味を言ってきた。

おれはなにも答えなかった。

 

卒業式が終わったあとも、いつものように真っ先に飛び出して一人で学校を後にした。

だれとも口をきかなかった。

校門を出るとき、おれと同じように一人で早足で帰るクラスメイトがいた。

彼はおれのように嫌われるようなやつではないのに、人間関係にはいろいろあるのだな、などと思った。

一言二言交わした。それをよく覚えている。

 

そしておれは大学に入った。

またもや一人で放り込まれた。今度は、自分のレベルより高い人間ばかりいるところだ。

おれは恐怖した。恐怖したのに、大学が用意した「入学前の懇親会」に行けなかった。

それすら怖かった。それが原因で、おれはスタートから躓いたことにあとで気づいた。

 

大学はおれよりすごい人がたくさんいた……が、おれよりあからさまにできない人もいた。

その大学の一貫中高から上がってきた人たちだ。「おかしいな?」と思った。

一方で、「進学祝いで親にフェラーリを買ってもらって、それで入学式に来た」というとんでもない話も聞いた。

 

なんか、おれはなんとなく全面的にバカバカしくなってしまった。

まわりもバカだし、おれもバカだ。

そして生まれの差がここまである。

 

一応は趣味のサークルにも入った。

趣味で通じるのだからそこでの話は面白かったが、飲み会とセットでついてくるカラオケというものが非常に嫌いで、顔を出さなくなった。

人生を左右するくらい、カラオケというものは恐ろしい。

なんでわざわざ人前で歌って恥をかかなければいけないのだ。

 

そして、二年になるとおれの学部はキャンパスが変わり、少しだけできていた顔見知りとも別れた。

おれはまた一人になった。一人になったところで、ある授業で「二人一組を作って課題を……」とされ、おれはもう完全にいやになってしまった。

幼稚園のころからずっとこれだ。

おれはそれが嫌いなんだ。なんで一人でいられないのか。

 

おれは大学に行かなくなった。

そして中退した。

 

最後のギロチン、消息不明のおれ

おれはひきこもって悠々自適に暮らしていた。

昼夜逆転でゲームとインターネットばかりしていた。

ネットといっても、もちろん人間関係が苦手なので見たり(何を?)、読んだりするだけだ。そもそも匿名掲示板なので人間関係もなにもない(2chなんてできる前の話だよ)。

 

ファミスタ(シリーズのなにか)の腕前も相当なものになった。

ダビスタでも強い馬の生産に勤しんだ。

 

本を読んだりもしたか。

父親がすべての著書を買っていた吉本隆明とか読んでいたっけな。

こんな本とか。

 

が、よいことは長く続かない。

親の会社が見事な貸し剥がしに遭い、実家を売り飛ばし、ほぼ夜逃げのような形で一家離散することになった。

 

これで、おれは完全におれにまとわりついていた人間関係から自由になれた。そう思った。

失われたのはおれが幼稚園に入る前から住んでいた家である。

つまりは、幼稚園~高校のだれかが、生徒名簿(今は個人情報だかで無かったりするのかな)の住所や電話番号からおれに連絡しようとも、できんのだ。

 

もちろん、そんなことをしようという人間などいないのは知っている。

だが、その上で、この上ない自由を感じた。

洗濯機のないアパートのユニットバスで服を手洗いしながらも、こんなに自由なことはないと思った。

おれは幸福の中にあった。一人はすばらしい。孤立なのか独立なのかわからない。

ただ、そうなっておれは自分の性分というものを理解した、と思った。

 

で、あいつらはどうしてるんだろう?

そんなふうに同学年の人間たちから自由になって、二十年以上経つ。

たまには「あいつらはどうしているんだろう?」と思わないでもない。

と、思うのも最近のことで、まあずっと自分が食うことに必死ではあった。今でもあまり変わらない。

 

なぜ、最近なのか。なぜだろうか。

わからないが、ふと、自分があの教室という嫌な場所で顔を合わせていた人間がどうしているのか気になるのだ。

何割くらいが結婚しているのだろう。子供はいるだろうか。正社員だろうか、非正規雇用だろうか。

何らかの理由で死んでしまったやつもいるかもしれない。

 

こればっかりは、婚姻率や雇用の統計とか見てもわからない。

そのうえ、おれは「あいつら」の顔と名前がほとんどわからない。

われら氷河期世代、と言ったところで、同じ時代を歩んできたやつのことを知らないのだけれど。

 

というか、ちょっと残念で、一方でそうであったら嫉むのだろうが、なにかの分野で名を成したやつ、というのもいない。

テレビでもネットでもなんでもいいが、ひょんなことから「あいつがこんな業績を!」というニュースを知ったことがない。

おれが完全に顔と名前を忘れている可能性もあるけれど。

 

いや、ひきこもっているときに、大学のサークルで一緒だったやつが、フジテレビの新人アナウンサーとして「27時間テレビ」に出てきたことがあった。

あれにはなんとも言えない気持ちになったな。

それこそ「お前はもう一生勝ち組だな」という。

しかし、異動したのかなんなのか、その後ほとんどテレビで見ないけれど。

 

それにしても、おれの世代、なんかあんまりパッとしないような感じがする。

おれ自身がパッとしていないからそう感じるのかどうか。

でもまあ、同級生から大量殺人者が出たわけでもないのでよしとするか。よしとするって、何様か。

 

……と、以上がしょうもない人間のしょうもない人間関係の個人史である。

おれは同級生というものの連絡を完全に断ち切ってしまった。

逆にいえば、おれは行方不明、あるいは死んだ人間である。

死人としてドヤ街の近くに潜んで暮らしている。

いちおう戸籍も、運転免許証も、マイナンバーカードもある。

 

これが、その時々の人間関係を断ち切ってきた人間の末路である。

一応は生きているから、というか本人が幸せを感じているのだから末路というのはおかしいかもしれない。

一方で、家族も作らず大金も稼がず、本当の幸せを知らないと言う人もいるだろう。好きに判断してくれ。

 

とはいえ、同級生からすれば死人同然だ。

死人も悪くない。そういう人間もいる。

もしも、同級生との付き合いがどうしても嫌で嫌で仕方ない子供がいたら、「それはべつにおかしなことじゃない」とは言ってやりたい。

 

とはいえ、「では、どうやって生きたらいいのですか?」と問われたら、おれによい答えはない。

……まあ、プログラミングでもやってみたらいいんじゃないのですかね、おれはできんけど。

と、こんな無責任な大人になっちゃあいけないよ。

でも、同級生とうまくやれない子が、将来さらに苦しんだり、死んだりしなきゃいけない世の中じゃなくなればいいね、と。

 

 

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著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

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