高齢者とIT

高齢者とIT。

前提として語られるのは、その不一致だ。

 

今どきはあまり使われてない言葉かもしれないが、「デジタル・ディバイド」だのなんだの、ということになりがちだ。

曰く、高齢者にITは使いこなせない。

IT化をすすめることによって高齢者の切り捨てになる。

権力を持つ高齢者がITを理解しないことで国の発展が妨げられている……。

 

もちろん、そういう面は否定できない。

黒電話から、いきなりスマートフォンを渡された高齢者が、それを使いこなせるだろうか。

できないイメージは、強い。

国を動かしていると思われる政治家たちがITに強いとも見えない。

まどろっこしさすら感じることもある。

 

が、しかし、段階を踏んできた高齢者はどうだろうか?

手書きがワープロになり、ワープロがパソコンになった。

電話がメールになり、LINEやSlackになった。

この段階を順に踏んできた高齢者は?

それに対応してきた高齢者は?

 

そいつは……強い。

 

ITに対応した高齢者はやばい

そういう人がいるのかどうか?

少なくともおれのまわりにはいる。

必要に応じて、要求に応じて、ITに対応してきた人たちだ。

 

むろん、ITそのものを職の対象としてきた人ではない。

プログラマーやシステムエンジニアというわけではない。

ITを道具とする立場の人たちだ。

 

これが意外にといってはなんだけれど、できる人は対応してきている、そんなふうに感じる。

手書きの葉書からLINEのやりとりにいきなり飛べというわけではない。

段々と必要に応じて、対応してきた人たち。

 

この頃のコロナ禍にあって、Slackを使いましょうとなると、わりと簡単に対応できてしまう。

Zoomで会議しましょう。そうしましょう。そんなんできる。そういう人たち。

 

それは……、すごいし、やばいんじゃないのか。

 

鬼とはどんな存在か

で、鬼とはどんな存在か。

……うーん、たとえば、さかなクンさんを思い浮かべてもらってもいい。

魚の実物を見る。同定ができる。名前の由来を言える。地方名だって知っているかもしれない。

おまけに、おいしい調理方法まで知っている。

 

これは、インターネットですべてを網羅的に調べにくいことだ。

それを、脳内で処理できる。回答できる。

そういう人が、鬼だ。

 

IT金棒

ITに対応できない老人、あるいは老害などと呼ばれる人。

そういう人もいるだろう。

 

だが、能力があって、対応しちゃってる人はどうだろうか。

これはもう、鬼に金棒じゃないのかね。

おれにはそう思える。

 

なにせ、人生で得てきた知識や人脈、経験が生み出す力、これにITが加わるのだ。

昔は足腰が弱って現場に行けなかったこと。視力が弱って文献にあたれなくなったこと。

そのあたりが、ネットワークやデバイスの進化によって補われるのだ。

 

どうだろうか、これは脅威ではないか。

だれに対する脅威か。

若者に対する脅威である。

「若いからパソコン使えるよね」、とかそういった若者だ。

 

もし、高齢者、経験者が

パソコンを使えてしまえば、よほど高齢者の方が強い。

得てきた知識が違う、経験が違う、経験から導き出される答えが違う。

単なる高齢者と単なる若者以上の、大きな差が生まれてしまう。

 

むろん、高齢者には残された時間は短い。

短いとはいえ、そこまで短くもない。

 

人間の人生は長くなった。

たくさんの経験を積み、知識を蓄えられるようになった。

 

どこのだれが言ったのかしらないが、「人生八がけ」なんて言葉があるくらいだ。

いつと比べてのことかしらないが、今どき年齢に0.8をかけたくらいになっているという話だ。

高齢者は、若い。若者は、さらに幼い。

 

そういうわけで、脳内の知識や直観に加え、ネットワークを駆使し、ITの便利さを扱う、そんな人間に、おまえは勝てるというのか。

あ、「おまえ」って何歳ぐらいだろうね?

そのあたりはあいまいだ。

二十代もいれば四十代ということもあるだろう、適当な話だ。

なにせ八がけだ。そう思って聞いてくれ。

 

ともかく、若者+ITよりも、高齢者+ITの方が超強いんじゃないのか、ということを言いたいのだ。

 

金棒だけでは立っていられない

でも、それなら、若い人たちも、時間が経てば金棒持ちの鬼になれるのではないか?

という考えもあろう。

 

が、鬼が金棒を持つから強いのであって、金棒だけではなんにもならない。

「金棒が勝手に歩けるいうんなら、歩いてみいや、のう!」ということになる。

あ、念のために言っておくと、『仁義なき戦い』です。仁義、なのです。

 

え、そうなると、結局のところ、自分が努力して、知識と経験を身に着けて、なおかつITに追いつけなければならないの?

という話になる。

 

あー、そうなのかな。そうだろうな、そうなんだろう。

 

となると、優秀な人間が優秀であるがゆえに知識と経験を得て、なおかつ最新の技術に対応していかなきゃいけないの?

ということになる。

そんなのは、いかにも当たり前すぎて、当たり前すぎる。

当たり前なのだ。つまりは、そういうことなのだ。

 

えー。

 

畢竟ずるに、優秀な人は優秀であって、新しい技術も取り入れることができで、むっちゃ強まるというの?

って、そうだよね。そういう話。

 

残念なおれたちの話

というわけで、優秀な人は年をとっても優秀で、若いからといってとくに能のない人間よりすごく強い。

なんとも残念な話だが、そういう話になる。

厳しい。

 

ちょっと新しいデバイスを使えたからといって、最新のアプリケーションを使えたからといって、覆せないことがある。

人間の有能、無能の壁だ。

それ、どうにかなりませんか?

生まれてきた年代によってひっくり返せませんか?

……うーん、厳しい、難しい。

 

さらに、先を考えてみよう。

たとえば、フィールドワークに必要な足腰の強さなんてものは、やはり高齢者には厳しくなるのでは、なんて話。

ちょっとSFめいた話になるけれど、そのあたりも強化外骨格がカバーするなんてこともあるかもしれない。

いいカメラを積んだドローンが飛んで、実地見分の代わりになるかもしれない。

 

もちろん、脳についても人工的な強化が加えられるかもしれない。

限界はあるとはいえ、足腰の衰えも、脳の劣化も、それを抑える方に進んでいくのだ。

悲しいかな、それが科学技術の進歩というやつだ。

 

科学技術の進歩というやつは、高齢者にこそ力を与えるのではないのか。

おれはそういう思いが強い。

おれがこの文章で言いたいのは、そういうことだ。

 

もちろん、若いやつが膨大な知識にアクセスできるようになるというメリットも考えられるが……。それでも。

というわけで、おれたち(ついに「おれたち」言い出したぞ)、鬼にならねばならない。

が、人の中で鬼になれる逸材がどれだけいるだろうか?

そんなに多くない。

 

おれもおまえも凡人だ。ただの人にすぎない。その確率が高い。

 

鬼になれないおれたちよ

というわけで、金棒を持った超強力な高齢者が最前線で活躍し続け、いくらか細い金棒を持った凡人はなかなか活躍できない。

そんな世の中になる。あるいはなっている。おれはそう考える。

もちろん、細い金棒を太くして、人から鬼になるやつも出てくるだろう。

とはいえ、それは少数者だ。そんな世の中でどう生きる?

 

まあ、諦めるしかないわ。

 

いくらかの知能よ技術への対応をもったあんた、やっぱり鬼にはかなわない。

鬼を滅することはできない。

鬼になれないものは、人として、けっこうに惨めで、ときどきいいことがある人生を歩むしかない。

ときどきのいいこともないかもしれない。

 

そして、細い金棒すら持てず、鬼の知識も経験も能力もないあんた。

あんたもほとんど惨めな生活を送り、いいことなんて半年に一度もない、そんな人生を歩むことになるだろう。

たとえば、おれのように。おれはそんな地面から、世の中を見上げている。

 

ああ、鬼になれないおれたちよ。

金棒をよく見たら木の棒だった。

身体は貧弱で、頭も朦朧としている。

棒を振り回して、せいぜい戦っているふりをしている。

敵に与えるはずのダメージは空振り。

ふらふらして、自分から倒れたりする。それでも、生きるしかないのかな。

 

なんかボーナスはないのかな。

おれたちより下の世代が、スマートフォンに適応しすぎて、仕事に使えるPCに対応できないとか……。

そんなん、時代が変わって、使われるデバイスが変わるだけだ。望みは捨てよう。一切の望みは捨てよう。

 

上に有能者あって、下に有能者あり、結局のところ、無能者は生きるよすががない。

立つ瀬がない。いつの時代だってそうだ。

そうなんだ。差はついていくだけなんだ。

どうしようもない差を、たとえばITがさらに差を広げてしまう。

 

だとすれば、せいぜい高齢の有能者のアシストをして生きるくらいしかないだろう。

プログラマーやエンジニア(正直、おれにはその区別すらついていないのだけれど)、そうでなければ、そうするしかないだろう。

あるいは、プログラマーやエンジニアにもそういう立場があるかもしれない。

 

そして、なんとなく、「あれは年寄りだけれど、ちょっとできるぞ」と思わせるくらいしかないだろう。

嘘でもいい。

それで人生逃げ切れるやつは逃げ切ってほしい。おれはべつに応援しないけれど。

 

どうも、おれには無理そうだけれど、そんなことを考える。

時代と技能がうまいこと合わなかったやつ、おれたち。

シンギュラリティかなにかが起きる前に生まれて、魔術のような技術についてはいけず、それでもスマートフォンくらいは使えて、それでも、それでも、どうにもならないおれたち。

 

いつの時代にも存在したであろうおれたち。

ラッダイト運動を起こすわけにもいかない。

せいぜい、この与えられた不毛な生をやりすごすしかない。

諦念と握手して、せいぜいこの世に呪詛をはいてやろう。

 

認めるしかないんだ。

そういうことなんだ。

ちょっとしたチャンスはないものか?

ないだろう。

 

違うか?

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

 

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