今から5年ほど前、こんな記事を書いた。
「これ、私の仕事ではありません」と断る部下たち。どこまでが「私の仕事」なのか?
「Aの「Oを助けてくれ」という依頼を断ったらしいな。」
「はい。私の仕事ではないので。」
「皆、チームだろう。困ったときには助け合いが必要ではないかね?」
「……お言葉ですが、助けているのは私だけです。」
「?」
「いつも、Oさんの尻拭いを私がしています。そういう時、Aは困るといつも私に仕事を投げてきます。我慢して今まではやっていましたけど、流石にどうか、と思い、先月私は「もうOの尻拭いはしません」とAにいいました。
マズいのはOに繰り返し遅れを発生させるAと、人を追加しない会社にあるのでは?もう僕は嫌になりました。ちょうどいいです。言おうと思っていたのですが、僕は来月末に辞めます。うんざりしました。」
こうしてDは会社をやめてしまった。
さて、この状況、一体誰が「ダメな奴」なのだろうか?
ちなみに、オッサンたちはたいてい、「私の仕事ではありません」というやつが悪い、という。
命令だから、とか評価が悪くなるぞ、とか、会社とはそういうもの、といった理由でだ。
逆に若手と女性は、「私の仕事ではありません、と言うのは当然です。」という傾向にある。
さて、どちらが正しいのか。
なお、冒頭の記事の中では、「どちらが正しい」という判断は書いていない。
職場のカルチャーや、状況に依存するからだ。
ただ明らかなのは、「私の仕事ではありません」と言えるほうが、良い職場だということだ。
「私の仕事ではありません」と、堂々といえない職場はマネジメントが稚拙。
その理由は3つある。
1.「成果の出せる人」ではなく「断れない人」に仕事が集中する。
これは今も昔も同じかもしれないが、「宙に浮いている仕事」は、たいてい、成果の出せる人物ではなく、「断れない」or「断らない」人に集中する。
そしてこれは、非常に生産性が低い上に、不公平感を生み出す。
上の事例のように。
2.一度に一つのことに集中しなければ成果は出ない
ピーター・ドラッカーの言うように、仕事というのは得意、不得意の影響が非常に大きい。
しかも、マルチタスクを完全にこなせる人はほとんどいない。
だから「一度に与える仕事は一つだけ」が原則であり、結果として仕事に真剣に向き合っている人ほど「仕事を断る」。
成果をあげるための秘訣を一つだけあげるならば、それは集中である。成果をあげる人は、もっとも重要なことから始め、しかも、一度に一つのことしかしない。
集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。いくつかの理由はすでに明らかである。貢献を行うための時間よりも、行わなければならない貢献のほうが多いからである。
行うべき貢献を分析すれば、当惑するほど多くの重要な仕事が出てくる。時間を分析すれば、真の貢献をもたらす仕事に割ける時間はあまりに少ないことがわかる。
いかに時間を管理しようとも、時間の半分以上は、依然として自分の時間ではない。時間の収支は、常に赤字である。
上方への貢献に焦点を合わせるほど、まとまった時間が必要になる。忙しさに身を任せるのではなく、成果をあげることに力を入れるためには、継続的な努力が必要となる。成果を得るためのまとまった時間が必要となる。
真に生産的な半日、あるいは二週間を手に入れるためには、厳しい自己管理と、ノーといえるだけの不動の決意が必要である。
どうしてもその人に仕事を任せたい場合には、代わりに何かの仕事を引き取らねばならない。
だから、仕事を断る人に対して、「こいつはサボりたいだけ」と、脊髄反射で思ってしまう上司、マネジャーは、間違いなく無能だ。
なお、これを愚直に実践しているのが、業績好調の「ワークマン」だ。
なぜワークマンは「それは私の仕事ではありません」と言う社員を大歓迎するのか
会社でがんばろうと決意して入社してきても、過重なノルマを与えられたり、得意分野を活かせない部署に配属されたりすれば、誰でも腐ってしまう。適材適所の人事ができれば社内の活力はアップする。
「自分の役割を見つけた社員が『それは私の仕事ではありません』と主張できるぐらいが理想。(中略)
誰か休んだらカバーしようというのもいけない。休み明けの4日後にでも回答すればいい。それが『超しない経営』ということです。だから子育てしながらでも、在宅でも問題は起こらないはずです。10年、20年とかかるかもしれないが、期限を決めず気長に、かつ着実に進めていきます」
仕事は「こなす」ことが重要なのではない。
重要なのは成果であり、「私の仕事ではありません」という言葉にだけ感情的に反発するマネジャーは職場のガンだ。
良いマネジャーは、「私の仕事ではありません」という社員がいたほうが、圧倒的に良いと知っている。
現状のリソース配分や、社員の負荷の見直しにつながるからだ。
昔、コンサルティング会社にいたころ、気軽に仕事を振ってくる上司に対して、
「その仕事は、今私がやっている仕事とどちらが重要ですか」と必ず聞く人間がいた。
責任を持つためには、生半可な覚悟では引き受けられないというのだ。
彼は仕事に非常に真摯に取り組んでいた。
3.会社は「仕事を断らない」に対する見返りを提供していない。
通常、会社対会社の取引では、「うちの仕事ではありません」と言うことは、かなり重要になる。
取引先に契約で決めた以上のことをやってもらおうとすれば、追加で対価を支払うのが当然だ。
実際、企業規模によってはそうした行為は法律で制限されている。
例えば「下請法」など。
力関係にものを言わせて、契約以上のことを無償でやらせようとするのは、犯罪行為なのだ。
ところが個人対会社では、オッサンたちの間では「私の仕事ではありません」ということがむしろ非推奨とするような風潮すらある。
要するに「仕事を断るのは、会社という共同体への裏切り行為」というわけだ。
確かに、今が昭和50年代だったら、それでもよかったかもしれない。
だがこれは、「会社」が終身雇用と年功型賃金保っていたころの名残でしかない。
今は会社は個人を守らないし、年功型賃金も絶滅危惧種だ。
したがって、「私の仕事ではありません」と言えない職場は、社員を守らないくせに、要求だけを一方的に押し付けている。
それはまっとうな契約とは言えない。
テレワーク化で「私の仕事ではありません」はますます重要に
テレワークはプロセスではなく、「結果」に焦点を当てる働き方だ。
そして、部下に対して成果に責任を持たせるには、「部下の仕事」が何なのかを明確にしたうえで、成果に対して余計な仕事をすべて取り除く、つまりできるだけ仕事を減らすマネジメントが必要になる。
つまり、タイトルにあるように、今の時代は、
よい職場ほど「私の仕事ではありません」と、堂々と言っていいことになっている
のである。
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【著者プロフィール】
安達裕哉
元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。
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