記事ではいろいろと偉そうなことを書いてはいるが、実はわたしはかなりのウッカリ者である。
自転車でスーパーに行ったのに徒歩で帰宅するとか、料理が完成してはじめてソースを作っていないことに気がつくとか、洗濯物を干してる途中でインターホンが鳴って翌日まで洗濯物放置とか、まぁざっとこんな感じだ。
夫に至っては、
「君がトラブルなしでなにかできるわけないじゃんw そんなの全部織り込み済みだよw」
と、なにが起こってもケラケラ笑ってくれるくらいの耐性を身に着けている。
とはいえ、ウッカリ者よりはシッカリ者のほうがいい。
だからやらかすたびに、「またやってしまった……なんでこんなにダメなんだ……もっと気を引き締めないと……」と思う。
もっと注意しなきゃ、もっと集中しなきゃ、と。
しかしそんなわたしの考えを、根底からひっくり返す本に出会った。
その本曰く、集中していないから失敗するのではなく、「集中するから失敗する」のだという。
燃料不足で飛行機墜落、酸素不足で患者死亡…いったいなぜ?
『失敗の科学』という本では、例として、飛行機事故と手術中の医療過誤を挙げている。
まず、飛行機事故の例を紹介しよう。
・1978年、飛行中のユナイテッド航空173便は着陸準備に入る
・車輪を下ろそうとレバーを操作したとき、機内に「ドン!」という大きな音が響く
・機長は確認のため管制に飛行時間の延長を要請
・さまざまな状況から、車輪は正しくロックされていると思われた
・しかし車輪がなければ胴体着陸になり危険なため、機長はなおも車輪の確認を続ける
・航空機関士は燃料が残り僅かになっていることを機長に告げる
・機長はそれには反応せず、ひたすら車輪の様子ばかりを気にしている
・再度航空機関士が燃料不足を告げるが、機長は聞き入れず
・その後燃料不足で墜落、10人の死者を出した
その後の調査で、173便は問題なく着陸できる状態だったことがわかっている。
また、たとえ車輪に問題があったとしても、胴体着陸が成功した可能性は高かったそうだ。
しかし機長は着陸を選ばず、燃料切れで墜落という「素人からしてもありえない」結末を迎えてしまった。いったいなぜ?
次に、医療過誤の例を紹介しよう。
・手術のため、麻酔で患者を眠らせた
・その後酸素を送るチューブを挿入しようとするが、患者の顎の筋肉が硬直して入らない
・麻酔薬の量を調整し、酸素マスクを2種類試すがうまくいかない
・次に気管挿管を試みるが、気管の入口が目視できずこれもうまくいかない
・喉を切って直接気管にチューブを入れる気管切開という最終手段に備え、看護師は気管切開キットを準備し、それを医師に告げた
・しかし3人の医師たちはそれには反応せず、ひたすら気管チューブを挿入しようと必死になる
・患者の血中酸素飽和度はどんどん下がり、脳に致命的なダメージを受け、13日後に死亡した
手術において、予期せぬことが起こることはむしろ想定内だろう。
しかし問題は、気管切開という最終手段があり、看護師がその用意をしたにも関わらず、医師たちがその手段を選ばなかったことだ。
医師たちは患者を救うために「一生懸命」「まじめ」に取り組んでいたはずなのに、いったいなぜ?
集中しすぎると認識力が低下するという、当たり前の事実
車輪の問題にとらわれ、残燃料を正確に把握できなかった機長。
気管挿管にこだわり、患者の酸素欠乏に気づかなかった医師。
なんでこんな、「初歩的」な「ウッカリ」が起こってしまうのだろう。
本書ではほかにもいくつかの航空事故の例を挙げたうえで、こうまとめている。
調査によれば、どのケースでもクルーは時間の感覚を失っていた。集中力は、ある意味恐ろしい能力だ。ひとつのことに集中すると、ほかのことには一切気づけなくなる。
そう、機長も医師も、自分の職務を全うするために全力を尽くしたはずなのだ。
しかしそれに必死になるがゆえに、そのほかのことがおろそかになってしまった。
どちらも、「集中しすぎたゆえに認識力が低下した」結果なのである。
これを読んだとき、わたしは目からうろこが落ちる思いだった。
いままで、「ミスは集中してないから起こるもの」だと思っていたから。
というのも、わたしは請求書ミスの常習犯で、よく編集の方から「発行日が間違っているので訂正してもう一度送ってください」と言われる。
やらかすたびに、「なんでこんなこともできないんだ」「どうして毎回ミスしてしまうんだ」と落ち込み、「次こそは絶対にまちがえないぞ!」と意気込む。
しかし翌月、発行日は正確に記入したものの、支払期限の日付を更新し忘れて差し戻し。
さらに翌月、支払期限は正しいが、請求期間がまちがっていて差し戻し。
こうなってしまうのだ。
ひとつミスをなくせば、ほかでミスしてしまう。
なんでわたしはこんなにも不注意なんだ、もっと集中しないと、もっとちゃんとしないと……。
しかし、その思いこそが「ミスの元凶」なのかもしれない。
何度確認してもわたしが請求書の日付をミスする理由
「今度こそ発行日をまちがえないぞ。よし、10回は確認した。いや、もう一度確認しておこう。うん、まちがいなく今日の日付だ」
そうやって発行日にとらわれるがあまり、支払期限や請求期間など、その他の日付の確認が完全に意識の外にいってしまう。
だから、ほかの日付をまちがえるのだ。
「順番にひとつずつ確認すればいいだけでしょ? なにがそんなにむずかしいの?」と思うだろうし、わたしもそう思う。
そう、ふつうに考えれば、請求書の記入なんてミスする要素がない。
しかしそのときのわたしは、「2か月連続で発行日をまちがえるなんて凡ミス、絶対にしてはいけない」というので頭がいっぱいになって、それ以外のことにまったく注意を払っていなかった。
言い訳っぽく聞こえるだろうけど、わたしはいたって大真面目に、請求書のミスを繰り返していたのである。
「集中しすぎてまわりが見えなくなり、さらなるミスを招く」とは、こういうことなのだろう。
たとえば仕事に集中しすぎてレンジで温めていたココアの存在を忘れるとか、友だちとのおしゃべりに夢中で外が大雨になっているのに気づかないとか、ヘアセットばかり気にしていたら歯に青のりがついていたとか……
だれにだって、そういう経験あるよね。
それが、集中するとほかのことがおざなりになってしまうということなのだ。
うっかりミスが多い人に必要なのは、集中より冷静さ
「集中しすぎてミスをする」のであれば、ミスを減らすためには「集中しない」ようにすればいいのだろうか。
いやでも、そんなことができるの……?
もっとミスしそうじゃない……?
そこで以前、「集中」に関しておもしろい持論を展開している本を読んだことを思い出した。『集中力はいらない』というタイトルだ。
こうした「集中信仰」の基礎には、「失敗するのは注意散漫だったからだ」という考えがあるのだろう。ぼんやりしていたからミスをした。脇見をしていたから事故になった。そんな失敗例を教訓として編み出されたものが、すなわち「集中」なのである。
「集中していれば起こらない」かのように思うことを、「集中信仰」と表現している。
まさに、わたしが思っていたことだ。
そして主張は、「集中力を否定するつもりはないが全面的にそれを押し通すのはいかがか、という問題を提起したい」と続く。
その「問題」について、こう書かれている。
的確な判断には、冷静さが必要である。この冷静さも、集中しすぎないこと、と言い換えることができ、いわば、頭の「分散力」に近い能力ではないかと思われる。
「冷静」について、もう少し分析すれば、その基本となるものは、客観性と理論性である。ものごとを主観的に見てばかりでは、周囲の状況認識が甘くなり、目の前の問題の本質的な理解を誤ることになる。結果的に解決が遅くなるだろう。
この文章を読んでハッとした。
正しく物事を判断するためには、冷静にならなくてはいけない。そして集中とは、ある意味「冷静」とは真逆の状態なのだ。
例として挙げられた機長も医師も、「なんとかしなければ」と目の前の課題に集中した。その結果、冷静に判断ができなくなり、致命的なミスを犯してしまった。
わたしが請求書をつくったときも、「ミスをしてはいけない」と前回ミスした日付にばかり集中し、全体の確認ができなくなっていた。
冷静にまわりを見れなくなると、ミスは増える。
集中してひとつのことばかり考えると、ほかの部分でやらかしてしまう。
もちろん、不注意から起こるミスだってたくさんある。
でもその逆で、「集中しすぎてミスが起こる」ことも、実はたくさんあるのだ。
よく考えたら、だれだってミスしないように気を付けるもんね。
それでもミスしてしまうのだから、その場合必要なのは「集中すること」ではなく、むしろ「集中しないこと」。
「まじめにやっていたのにまちがえた」「気を付けていたのに失敗した」「一生懸命取り組んだのに忘れてしまった」
そういうウッカリが多い人は、「だから集中しよう」ではなく、「いったん冷静になろう」と深呼吸して、客観的に全体像を把握し、見落としがないか余裕をもって確認することが大事なのだ。
というわけで、今後請求書を書くときは前日にすべて記入しておき、翌日に全体をさらっと確認してから提出しようと思う。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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