「グエー死んだンゴ」ニキ
少しまえに「グエー死んだンゴ」ニキが話題になった。末期がんで闘病を続けていた人が亡くなったあと、Xに予約投稿であろう「グエー死んだンゴ」という一文がポストされたのだ。
それに対して、ネット民たちは「成仏してクレメンス」と応えた。自分の本当の死をネットスラングにしてみせる姿は、まさしくインターネットの人だった。
話はそれだけでは終わらなかった。新聞の訃報欄で事実が確認され、亡くなった人がまだ22歳の大学生であったこと、希少がんであったことなどがわかったのだ。
だれかのポストをきっかけに、「香典」として国立がん研究センターなど、がん対策の研究機関などに寄付が相次いだ。
そこには、なにかインターネットのよいところが現れているようにも見えた。
誹謗中傷や分断煽り、儲け主義がはびこる中で、ひさびさに見たヌクモリティだ、泣き笑いのある話だ。AIにはできないことだ。人の死は人にこんな反応をもたらす。
若い人が死ぬこと自体は悪い話だが、こんなネットは悪くない。たまにはこんなことがある。
この件は全国紙やNHKなども報じることとなった。とうぜん、ネットを眺めて生きているおれも早い段階で知った。生前のニキのことはしらなかったが、Xのまとめですぐに知った。
おれはどう思ったのか。「こんなネットは悪くない」どころではない。ただ泣きそうになった。
希少がん患者が見た「グエー死んだンゴ」ニキ
おれも死んだニキと同じく、希少がんの患者である。ニキの「類上皮肉腫」も、おれの「神経内分泌腫瘍(NET)」も国立がんセンター希少がんセンターのさまざまな希少がんの解説コーナーに記載されている。
が、もちろん、その病状は大きく違う。希少がんと診断されたおれはいま、死というものに直面しているだろうか。いま現在、直面していない、というのが正直なところだ。
まだ診断が未確定の初期段階では、「予後がよくない可能性がある」と言われて、死を意識したこともあった。
だが、二度目の大腸内視鏡、CT、PET/CT、MRIなどの精密検査を経た上で、「NET G1」が確定した。あまり重くはない。リンパ節には転移しているが、ほかの臓器に転移もしていないし、進行の速度も遅い。
手術して切除してしまえば、とりあえずの安心は得られる。手術の代償として、一時的な人工肛門造設も確定しているが、命を取られるわけでもないし、肛門を取られるわけでもない。
おれはおれの希少がんにそれなりのショックを受けたし、動揺もした。いま、入院、手術を控えた身として、必ずしも心が平穏かというとそうではない。
そうではないが、それは
「人工肛門での生活とはどのようなものだろう」
「もし術中、術後の結果から永久人工肛門になったらどうしよう」
「仕事にはすぐに復帰できるのだろうか」
と、生死に比べたらずいぶん軽いものといっていい。手術自体への心配もほとんどない。おれは今どきの最新技術というものも信頼しているし、ロボット支援下手術をしてくれるということに感謝すらしている。……少し強がっている。
ただ、ぶっちゃけてしまうと、おれは、おれの希少がんが治ると思っている。
もちろん、手術ではいろいろな神経が入り組んでいる直腸付近のリンパ節をごっそり切除する。場合によっては排尿や射精に関する機能が損なわれる。その可能性は低くない。
また、人工肛門を閉鎖したのちは、排便に障害が残る。無傷ではいられない。ただし、この希少がんによって命まで奪われるわけではないと思っている。
それに比べて、「グエー死んだンゴ」ニキの場合はどうだったろう。
……あ、さっきから「グエー死んだンゴ」ニキと書いているけれど、ネット上のハンドルである「なかやま」さん、のほうがいいだろうか。それとも、公開情報となっている本名? いや、それはなにかなれなれしい感じがしてどうもしっくりこない。ニキで書かせてもらう。
まあとにかく、自分が彼のnoteとXで見られるかぎり、かなり早い段階で背中の筋肉と肋骨を失っている。進行も早くステージ4の診断もすぐに下されている。
ベッドの上から動くこともなかなかできず、最後には緩和ケアからの書き込みになっていた。
あまりにも重さが違う。大きな意味では「同じ希少がん」かもしれないが、その重さには天と地の開きがある。どちらが天だかはわからないが。
なので、「おまえ、そんなんで一緒の希少がん顔するなよ」という声も聞こえてきそうだ。
というか、書いていて、自分の中からその声は止まらない。
それでも、だ。こんな病気に自分がなったからこそ、このニュースを見て感じることがあったとも思えるので、こうして書いている。こうなっていなかったら、泣きそうにならなかったかもしれない。
こうなっていなくても、泣いた可能性はあるが。
(念のため書いておくが、同じ神経内分泌腫瘍でも重症度や悪性度は千差万別であって、おれのG1より悪いG2もG3もあれば増殖力が高く悪性度も高いNECもあって、それらは命にも関わる。もちろん、自分だって発見があと何年か遅ければ取り返しがつかなくなっていたかもしれない。「今回、おれに見つかったNETは比較的軽かった」という話である)
がんで病気に対する解像度が変わった
おれはこういう「解像度」という言葉の使い方が正しいかわからない。サイズが大きくなったとか、画素数が増えたとでも言ったほうがいいような気もするが、まあいい。
とにかく、自分が希少がんになってみて、身体の「病気」、とくに「大病」に対する意識に変化があったように思う。
これを理屈で説明するのは難しい。心情の変化として説明するのもやはり難しい。まだ変化をたしかに実感していないというのが正しいのかもしれない。
ただ、やはりおれは「グエー死んだンゴ」ニキのニュースを知ったときに、今までとは違う動揺の仕方をしたと思う。それは確かだ。
そもそも「病気」というもの、それも「大病」、死に至るような病はドラマになりやすい。
だから、古今東西さまざまな作品の主題として扱われてきた。歴史的な名作とされるものもあるだろうし、ありがちなお涙頂戴ものの恋愛作品とされるものもあるだろう。
おれは今まで、そのどちらを見ても、なんにも感じていなかったのではないかとすら思う。
「大切な人を病気で失う。それは悲しいということである」という情報を食べてきたにすぎない。
あるいは、余命を宣告された人がショックを受けて人生観が変わる、などというのもそうだ。「自分の余命が長くないとわかってしまう。それは衝撃だということである」と。
が、いざ、これが我が身にふりかかってくると、そうも冷静ではいられない。たぶん、そうなるに違いない。とくに、がんで余命宣告を受けた人物に対しては、今までにはない動揺があるに違いない。
「違いない」などというのは、まだそのような作品に接していないからだ。なにせ手術すらまだなので。
そういう意味では、入院して手術してみて見えてくるものもあるだろう。人が大病を患うとか、その結果できていたことができなくなるとか、いろいろだ。
あるいは、おれは数カ月間人工肛門になることが決まっているが、その期間中は永久人工肛門の人と変わらない生活を送ることになる。その間は身体障害者になる。オストメイトになる。
おれは『罵倒村』のアンジャッシュ渡部建を見て大いに笑ったが、病気がわかったあとだったら笑えたかわからない。看護師さんは立野沙紀さんみたいな人がいいけれど。
もう体験していることもある。大病院での大掛かりな検査がそれだ。CT、PET/CT、MRI……。このていどで大掛かり? 痛くも痒くもないだろう? と、思われるかもしれないが、45歳を過ぎて胃カメラも大腸内視鏡検査もしたことがなかった人間にとっては、すべて初めてのことだ。
そして、そのどれもが、ひどく疲れるということを知った。他の人がどうかしらないが、少なくともおれは疲れる。疲弊する。不安や緊張感、煩雑な手順などから、どうにも疲弊してしまう。
そのせいで、他の人が書いた闘病日記など読んで、たとえ簡単に「この日はCTとMRI検査をした」とだけ書いてあっても、大変だったろうなと想像するようになった。勝手な想像かもしれないが、そうなってしまった。
そのようなおれが、「グエー死んだンゴ」ニキの書きのこしたものを読むと、記述の簡潔さと内容の重さの差にすさまじいものを感じ、言葉を失ってしまう。
病を書き残すということ
病気は人生につきものでもある。仏教では生老病死をして人間の四苦という。
この苦しみのなかで「生」を先頭に置いたのは釈尊の慧眼であったとシオランが書いていたと思うが、今は置いておく。
自分ははっきりいって、この中の「病」の苦しさにはピンときていなかった。
いや、おれは双極性障害(II型)という精神の病を抱えてはいる。手帳も持っている。とはいえ、それはなにか、きっかけとなる事はあったとはいえ、本来のおれというものの性質に病名がついたという感じで、今回のような希少がんの発見とは違うものだった。
今回は、精神とは違って、内臓の問題だ。精神障害には病院へ行く自覚症状があったが、今回はない。
大腸内視鏡検査をして、一個のポリープが見つからなかったら、あと何年も、場合によっては十年以上だって平気で暮らしていたかもしれない。
痛みや不調を伴っていないのに、手術までして人工肛門を造る。それはそれで不思議な感覚ではある。なにか理不尽な気がする、というところも少しはある。
そしておれは、この病気について調べることもやめられない。
自分がどのような状態にあり、どのような手術を受け、その術後はどうなるのか。もちろん、病院やがんについての団体の情報発信を第一に調べる。
しかし、それだけでは足りない。当事者がどういう目にあったのか、それについて、当事者の声が聞きたい。
自分の場合は希少がんだったので、情報は限られていた。それでも、参考になった。
次になにが起こるのかまったくわからず、病院で言われる通りにされているだけでは、不安が大きすぎる。
むろん、素人が下手に情報を受け取ったり、そもそもよくない情報に触れたりして、誤った不安を抱くこともある。しかし、同じ不安なら、知ったうえで不安になりたい。
だから、おれはこの自分の病気について書いている。そういう面もある。
この病気について書くときは、同じような大腸NETになってしまった人に少しでも届けばいいな、と思っている。
おれはもとより、日常のなんでもないことでも書きたがる性質の人間だ。そんな人間が、希少がんという非日常が我が身に降り掛かったら、それについて書かずにはいられない。
ただ、今回はそればかりではない。そういうつもりはある。
実際に役に立つのか、そんなことはわからない。しかしたとえば、NETについての情報は少なくとも、大腸がんの手術をした人の体験談はけっこうある。人工肛門を造設した人の話もある。
この間ははてな匿名ダイアリーで人工肛門について「そんなに心配しなくてもいい」と自身の経験を書いた人も見た。
それらはみな、ありがたい。中には不正確なものもあるだろうし、余計な心配をあおるものもあるだろうし、逆に安心させすぎるものもあるだろう。
とはいえ、なにも情報がないよりはずっとましだ。いや、情報というと少し違う。声とか言葉とかいったほうがしっくりくる。おれはおれのような状況になってしまった人の声を聞きたいのだ。
だれもが「グエー死んだンゴ」ニキにはなれないけれど
だから結局おれが何を言いたいかっていうと、それはもうみんな自分の経験を書いて、ネットに放流してくれよ、ということだ。
「はじめて大腸内視鏡検査を受けたけど、なんの異常もなかった」というなら、それを書いてほしい。
ただ、できたら大腸内視鏡検査のとき腹が空気でパンパンになって苦しいのかそうでないのかとか、ちょっとしたディテールを加えてくれるとなおうれしい。
病は多くの人が通る道だから、きっとだれかの役に立つ。べつにだれに読まれず役に立たなかったとしても、それはそれでどうでもいいじゃないか。
それに、副次的なことか、こちらが重要かわからないが、病気なら病気で、自分の病状や不安、調べたこと、医者から言われたこと、今後のことなどを文章にするのは、気持ちの整理にもなる。
今回の件になってから、長く抑うつ状態に陥っているおれが言っても説得力はないだろうが、整理しないままよりはましだろう。もちろん、整理できないなら、整理できないと書こう。それがリアルだし、ひょっとしたら、だれかの共感と安心になるかもしれない。
おれによし、おまえによしなら言うことはない。おれによし、だけでもいい。
だれもが「グエー死んだンゴ」ニキのようになれるわけがない。多くの人の行動、それも善業とされるものを呼び起こすなんてのは奇跡の一つだ。
そんな奇跡を起こした「グエー死んだンゴ」ニキも、病については奇跡を起こせなかった。だから残念なことに、奇跡になってしまった。
病とは違って、死は誰もが通る道だ。死に直面した人間の言葉もまた、だれかの生にとって影響を与える。おれはニキの残した、決して多くはない言葉(Xを一度凍結されたらしいので、遡れるものは限られている)のなかにも、生や死について考えさせられるものを見つけた。
「今を生きてるんだから
えらいえらいだよ」
というメッセージに、こう答えたのだ。
「生きてて偉い段階は終わった」
生きてて偉い段階は終わった#マシュマロを投げ合おうhttps://t.co/BGAU4da5eo
— なかやま (@nkym7856) September 10, 2025
この言葉がどれだけのものを意味するのか、今のおれにはわからない。
ただ、これから「生きているだけでえらい」という言葉を見るたびに、その段階を終えてしまったと自覚した人のことを思い出すだろう。
人は生きて、ときに老い、ときに病み、そして死んで、どうなるのだろう?
おれも「グエー死んだンゴ」と書き残して死ねるだろうか? 「グエー死んだンゴ」ニキはどうなったのだろう?
おれにはわからない。
せめて、成仏してクレメンス。
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【著者プロフィール】
黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
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Photo by :Arseny Togulev














