「あんまり甘やかしちゃダメよー。まず我慢って教えないとー」と、言われました。

 

しんざき家の子供たちは、3人とも漏れなく抱っこ好きです。

5歳の長女次女はもとより、9歳の長男でも、今でも抱っこされたい時というのはあるようで。寝る際、たまに長女次女が早く寝付いた時など、「二人でサンドイッチして!」と私と奥様に要求したりすることがあります。

成長の過程で親との接触を求めなくなる時というのは必ず来ますから、特に年齢とかは気にせず、抱っこして欲しい時にはなるべく抱っこしてあげるようにしています。

 

長女次女は長男に輪をかけて抱っこ大好き星人でして、抱っこやらおんぶやら肩車やら、殆ど四六時中要求されます。

 

しんざき家には「仲良し抱っこ」という制度がありまして、「歩きながら抱っこ」と「仲良し抱っこ(立ち止まって抱っこ)」は別物です。例えばお出かけ中、歩いている時、次女が抱っこを要求した場合、歩かないでその場で抱っこして、移動はあくまで自分の足でさせる、なんてことをすることがあります。

 

「抱っこして!」

「仲良し抱っこならしてあげるけど、いい?」

「うん」

という会話の上で立ち止まって抱っこすると、子供が単純に甘えたくなった時は抱っこできますし、移動は自分でさせられるので一石二鳥だったりします。

まあ、どうしてもぐずって抱っこして移動することもあるんですが。

 

それはそうと。

 

子連れで出かけていると、見知らぬ人から話しかけられる機会というのは結構あります。

私は知らない人と話すのはそれ程苦ではないので、時間がある時はそこそこの時間会話したりします。

 その時、私は長女・次女との3人行動で電車に乗っていて、丁度長女が抱っこをねだってきたので、仲良し抱っこしているところでした。50過ぎのように思える、やや年配の女性に話しかけられました。 

「お父さん一人で二人も見て大変ねー」

 「いやどうも、まあ慣れてますから」

「けどね、それくらい大きくなったら抱っこねだってきても、抱っこしちゃダメ。まず我慢よ?」

 

ふむ。特に年配の方の中には「抱っこ不要論」を唱える人もいるので、その女性もその論者なのかなー、と最初思ったのです。

「そうですかねー。まあ、言ってもまだ5歳ですからねー」 

「いや年とか関係ないよーしつけだから」 

ところが、話していると、その女性が「まず我慢」というのは別に抱っこに限った話ではなく、例えばのどが乾いたとか、おやつが食べたいとか、遊びたいとか、子どもの要求一般に対して「まず我慢」させることが重要だ、と考えられているように思いました。

要求を叶えてあげるとしても、まず我慢させてから、という前提で話されているように受け取れるのです。

 

「しつけは我慢よーー。我慢できるようにしてあげる、っていうのがしつけだからね」

つまりそのおばさんは、「しつけ = 子どもの欲求を我慢させること、抑止すること」だと思われているように思いました。

我慢としつけがイコールになっているんですね。

そこが、私の考え、というか方針とは若干食い違っているように感じました。

 

まず前提として、育児の方針というのは家庭それぞれ、子どもそれぞれ、親それぞれです。ですから、「あるやり方は間違っていて、あるやり方は合っている」ということを単純には言えません。

「私は、今、自分の家庭ではこうするのが適していると思っている」というのが、私にとっての育児方針です。

 

 その上で、しつけについての私の考え方は以下のようになります。

 「我慢できるようになる」というのがしつけだ、ということ自体は私も同感なのですが。

私は、必ずしも「まず我慢」と教える必要はないのではないかなー、と思います。

我慢するべき時と別に我慢しなくていい時というのがあって、前者を自分で判断して、前者の時に自分をコントロールできるようにすることがしつけなんじゃないかなー、と。

 

つまり私は、「しつけ = 欲求のTPOを教えること」だと思っているのです。

勿論、人間は欲求を抑止することを覚えないと社会で生きていけません。誰もがやりたいように振舞っている社会は社会ではありません。ルールと、自分のやりたいことが衝突した時、ルールを優先出来るようになる、というのは子どもが大人に成長していく上で必須の項目の一つです。

 

けれど、あるいはだからこそ、大人は子どもに対して

「我慢しなくてはいけない時がある」

「そうでない時もある」

ということを教えてあげないといけないのではないかと。

で、後者も結構重要なんじゃないかと。

 

例えば、映画館で、周りが静かにしている時におしゃべりしたくなってしまった。これは「我慢するべき欲求」であり、この時「しゃべっちゃダメだよ」と教えるのは親の責任です。

すぐご飯なのにおやつを食べたいとか、大事なノートなのに落書きしたいとかもそうですよね。

 

一方、カバンを開ければ中から水入りのペットボトルが入っている時に、「のどが渇いた」という欲求を我慢する必要はありません。

夕ご飯までまだ時間があるおやつ時に、「棚にしまってある飴が食べたい」という欲求を我慢させる必要もそれ程ないでしょう。

「寂しい/甘えたいから抱っこして欲しい」という要求だって、親の体力と状況が許すのであれば、別に我慢する必要はないと思ったのです。

 それは、「甘やかし」ということとはちょっと違うんじゃないかなーと。

 

単純に「今はダメ」ということを教えるのではなく、「今はいい時」「今はダメな時」というメリハリを提示してあげることこそ「しつけ」なんじゃないかなあ、と、私はそう思うのです。

 

というか、これが当たり前の感覚だと思っていたんですが、意外とそうでもないのかな、と。

考えてみれば、今までもよそのご家庭で「そこで我慢させる必要別にないんじゃないのかな?」と感じる機会は結構ありまして、もしかすると上のような方針でそうされているのかも知れないと思い当たりました。

 

私の懸念は、「まず我慢」と教わってしまうと、出すべき時に自分の希望が出せなくなってしまったりするんじゃないかなあ、と、その辺が若干心配なのです。

何かしたいこと、何か欲しいもの、何か食べたいものについて口に出す度に「我慢しなさい」と言われていれば、私なら面倒になって希望を口に出せなくなってしまうんじゃないかなあ、と。

欲求というのは生きる力とほぼ同義なので、欲求を素直に出力出来る、というのも大事なスキルの一つなんじゃないかと思うんですよね。

 

いや、繰り返しになりますが、家庭次第、子ども次第のところはあると思うんですよ。

私の考え方が一般的な「正解」だとは思いません。ただ、少なくともしんざき家の方針についていえば、まだ当面、「我慢しなくていい時は我慢しなくていい」をそのまま続けていこうかなーと、そんな風に考えている次第なのです。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

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(2024/3/26更新)

 

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

 

(Photo:bEmpathic)