ある会社で対立があった。内容は、「残業を減らす」というものだった。
「今月から、残業を減らす活動を行います。1日の残業時間は2時間以内にとどめていただき、月の残業時間も25時間以内にして下さい。」
と総務部長が言う。
社員たちは突然の通知に困惑の表情を浮かべた。
……そんなこと、できるのか?
今の業務量で、残業をやめるとお客さんに迷惑がかかるのでは……?
……仕事が多すぎて、終わらないんですけど。
部長が言う。
「ご協力、お願いします。」
そこで一人の人物が手をあげた。そこそこできる、中堅のYさんだ。
「部長、今の業務量だと、先ほどの目標値をクリアするのはかなり難しいかと思いますが、何か施策でもあるのですか?」
おおお、Yさん、よくぞ言ってくれた。そうだよ、そうだよ、と、皆こころの中で思う。
「勿論だ。一番有効な方法は電源をきることだ。だから、午後8時になったら、うちの会社はすべての電源を落とす。」
皆が凍りつく。
……いやいや、そうじゃない、それは施策じゃない……
Yさんが部長に噛みつく。
「部長、お言葉ですが…。8時で電源を落とすということは、それ以上はオフィスにいてはいけない、という
ことでしょうか。」
「そうだ。」
「私の勘違いかもしれませんが、8時迄に全ての仕事を終わらせて、退館しろ、ということでしょうか。」
「間違いない。」
「部長、そりゃ無茶ってもんです。今の業務量はとてもじゃないですけど、8時までに終わりません。」
「なぜだ。やってみなけりゃ、わからんだろう。」
「もしオフィスにいてはいけない、ということになれば、仕事は家でやることになります。」
「当然、仕事を家でやることは許可しない。それは残業の場所を変えているだけだ。機密情報も存在する。自宅に仕事を持ち帰るのは、セキュリティ上も良くない。」
Yさんはムダだと悟ったのか、黙ってしまった。
動揺がさらに広がる。
「他に質問のある人?」と部長が言う。
今度は女性の若手のWさんが手を挙げる。
「部長、この取組みはいつからはじまるのですか?」
「急には無理だろうから、3ヶ月後から導入する。それまでに準備するように。」
つぎは若手のUさんが質問する。
「部長、今の状況だと、100%仕事が終わりません。例えば明日は、午前中会議をして、午後は客先、そして夕方以降ようやく提案書作成などができるんです。」
部長は言った。
「うむ。後で言おうと思ったのだが、それに関しては少し変わったところがある。」
「どんなことでしょう?」
「原則、今まで行われていた会議は全て廃止する。今後、上の許可のない会議は全て禁止だ。そもそも、うちの会議は長すぎた。」
ざわざわざわ…
皆の動揺は最高潮になった。
Uさんは部長に食い下がる。
「企画のミーティングも、報告会も、全てですか?」
「そうだ、必要な場合は許可を得るように。」
「ほ、他に変わったところはありますか?」
部長は、皆に向き直って言った。
「では、ちょうど良いので、これから変わることをまとめて伝える。
経理部は月末の繁忙期だけ派遣社員を増員し、業務負荷を減らすものとする。今後3ヶ月でマニュアルを整備するように。
営業は生産性の低い施策を廃止する。テレアポや不要な接待は禁止。インバウンドで効率的に引き合いを獲得する方法に切り替える。これらの施策は追って本部長から連絡する。
技術部門は「手戻り削減プロジェクト」を動かす。ヒアリングの結果、おそらく業務時間の4分の1近くが、ムダな業務の可能性が考えられる。こちらも追って連絡する。
以上。」
皆、あっけにとられている。
無理もない。今までの会社の方針は「体力の続く限り働け」であったのだ。
あまりの方針の違いに、皆は戸惑いを隠せない。
部長はその動揺を察知したかのように言った。
「いいですか、これは会社の存亡がかかっています。社長も本気です。その証拠に、残業を減らしたことによる今期の業績への影響に関しては一切何も言わない、と言っています。
皆さんの努力次第で、今期、会社が生まれ変わることができるかどうか、決まるのです。」
而して、残業削減プロジェクトは動き始めた。
が、皆の不安は的中した。
最初の半年、経理ではミスが散発、営業は引き合いが取れず新規の受注が低迷、既存客からの仕事でなんとか食いつなぐ。そして技術部門はなんとか10%程度の改善はしたものの、「対応が遅い」との苦情を顧客からもらった。
取り組んで最初の決算は、売上、利益ともに減少した。だが、残業代を支払う必要がなくなり、社員への会社の存続が危ぶまれる程の業績の落ち込みではなかった。
社長は一言
「思っていたよりも皆、とても頑張ってくれている。ありがとう。」
と言うのみだった。
それを聞いた社員は愚直に取り組みを続けた。
そして約1年後、遂に営業部での努力が実を結んだ。インバウンドで大きな受注を獲得できたのだ。みな、その成功を称えあった。
経理でのミスも殆どなくなった。そして何より、技術部門の手戻りがほとんどなくなった。
技術部門で働いているDさんは、
「いや、最初は無茶だと思いましたけど、よく考えたらムダなことたくさんしていたんですよね。集中して仕事をするようになりましたし、何よりも標準化と品質チェックの合理化が進んで、かなり仕事が楽になりました。」
と言った。
そして、その次の決算で会社は大きく成長したことが証明された。売上、利益ともに過去最高を記録した。しかも、皆はほとんど定時で帰ることができる。
顧客層は大きく変化し、利益率の高い顧客と良い付き合いをしている。また、間接部門は業務を標準化したおかげで、派遣社員すらほとんど不要になった。
総務部長は時々、その当時の状況を振り返って語る。
「実は突然、社長から、「残業をなくせ」と言われたんです。それまでの社長と180度ちがう発言だったので、戸惑いました。」
「なんで社長は考え方を変えたんですか?」
「それは……」
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じつは、総務部長は口止めされていたことがあった。それは
「社長の息子が、過労で鬱になった」という事実だ。
社長は最初、「息子は甘えているだけ」と考えていた。だが、息子の病気は一向に治らない。
そこで、様々な人の話を聞き、カウンセラーに相談するうちに、「働き過ぎる」ということが、真の意味で悪影響をおよぼすことを彼は理解した。
社長は
「こんなことを社員に強要していたとは……」
と、今までの自分を振り返った。
総務部長に「残業を減らしたい」相談すると、部長は言った。
「……歓迎ですが、大きく働き方が変わります。場合によっては会社が潰れるかもしれませんよ。」
社長はそれでもかまわない、といった。
すると役員、部長たちは「喜んで協力しましょう」と言ったのだった。
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「残業をなくす」ことは、大きな経営判断であり、現場だけでは決して成し得ない。小手先のテクニックでどうにかなるものでもない。
ある種の「覚悟」を必要とするものであり、現場もまた、意識改革を必要とする。
社長は、真の勇気を見せたのだ。
※この話は実話を元に、機密を守るため多少の脚色をしています。
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(sayot)