「あの上司は、モチベーションを下げる天才でした」

と彼はいう。

「別にモチベーションを上げてくれ、とか面倒を見てくれ、とか、そんな贅沢は言うつもりはありません。ただ、真面目に仕事をしている人のじゃまをしないで欲しいんです」

 

彼は、ある営業会社にいたのだが、あまりにひどい上司のマネジメントに嫌気が差し、このたび転職を決めたという。

私は彼と飲みながら、話を聞きたくなった。

「そんなにひどかったんだ。」

「ええ、本当にひどかったです。おまけに「自分はデキる上司だ」と思っているから余計にたちが悪い。」

「うーん……。うちのはヒドい上司って、皆言うけど、実際本当にヒドい上司って、実際にはそれほど多くない気もするけど。」

「いや、僕も他社の状況は知りませんよ。でも、この話を聴いたら、そうは言えないと思います。」

「聞かせてください。」

 

彼は頷いた。

「まず、配属された当日、ちょっとおかしいな、と思ったんです。」

「何が?」

「上司の言っていることがですよ。」

「何を言っていたの?」

「一部の部下のことを「ちゃん」づけするんですよ。例えば、ヤマちゃんとか、たかちゃんとか。でも、その二人以外は、呼び捨てでした。」

「……よく事情が飲み込めないんだけど。」

「いや、僕もそうでした。少し経って気づきました。要するに、お気に入りの部下だけ「ちゃん」づけなんですよ。あそこまであからさまな贔屓は珍しいのではないかと思いますけど、社長が同じ事をしていたので、半ば公認でした。」

「わかりやすい贔屓……ですか。」

「意図的なのかわからないですが、呼び方や口調の他にも、昼食を一緒にとるかとらないか、会議で詰めるか詰めないか。そう言った事全てで贔屓がありました。」

「なるほど……。」

「だから、社員は「いかに上司と仲良くなるか」しか考えなくなるんですよ。上司に気に入られている度合いで、部署内にヒエラルキーができるんです。あれはひどかったです。」

 

私は過去に訪問した会社に想像を巡らせた。そして、確かにそれに類する会社が一定数あった。

 

「それで、次に変だと思ったのが、上司に相談すると不機嫌になる、っていうことです。」

「相談すると不機嫌。」

「そうです。例えばお客さんからちょっと無理な要求を言われたとするじゃないですか。」

「はい。」

「困って上司に相談すると、「そういう面倒なことを何でオレのところに持ち込むんだ。お前の責任だからなんとかしろ」って言われるんですよ。」

「部下の困っていることを助けるのが上司では?」

「私もそう思っていたんですが、彼の言い分は「俺が言った通りにやらないから、トラブルを起こすんだ。自分でなんとかしろ」なんですよ。」

「そこまで来ると、なんか笑えるね。」

「要するに、「絶対に問題を起こすな」って言う態度なんです。これも社長と同じでした。社長もなにか問題が起きると、状況を聞くよりもまず怒るんですよ。「何でそんな問題を起こしたんだ!」って。」

「そりゃ、失敗が怖くなるね。」

「そうなんです。毎日上司の顔色ばかり見て仕事してました。」

 

確かに、これも「あるある」かもしれない。トラブルを部下に押し付ける上司は、部下にとってみれば悪夢だろう。

 

「まだあります。さっきも言いましたが、上司は自分は仕事ができる、って思ってたんですよ。」

「できる人ならまだ救いがありそうな気もするけど。」

「と思うでしょう。ところが社長の機嫌を取るのはうまいんですが、実際は何もしない人で。皆それをわかってました。でも、社長が「お前はできるやつだ」って言ってるんでしょうね。勘違いしてしまっていて。」

「そりゃ酷い」

「そうなんです。でもお客さんからは嫌われてましたし、社外人脈も皆無でした。単なる内弁慶ですよ。社外からの評価が得られないからこそ、社員に威張りたくなるんでしょうね。」

「どんな感じで威張るの?」

「とにかく説教が長い。「お前のためを思って叱ってるんだ」なんて言うんです。アホくさくて聴いてられませんよ。あと、社長の前では異常に社員に厳しいんです。社長に「部下をきっちり叱ってます」アピールがしたかったんでしょうね。」

「……。なるほど、ちょっと下に付きたくない上司だね。」

 

彼はまた頷いた。

「でしょう。あとはなんといっても、部下の話を聞かないところですかね。

「ああ、いるね。」

「あの上司は特にひどくて、人の話を遮る、関係ない話を始める、すぐにマウントを取りたがる、とか、話を聞かないだけじゃなくて、人をなんというか……、とにかく尊重しないんです。」

「へえ。」

「ワンマン社長でも、中には人の話を聴く人はいます。でも、人の話を遮ったり、なぜか部下に張り合って「オレのほうがスゴい」話をすぐに始めたりするのは、病気としか思えないですよ。」

「なるほど。まあでもたしかに居るね。そういう人。」

「そうでしょう。それを「部下の話を聞かない」という言葉で片付けていいのか、若干言葉が足りない気もします。」

「うん。多分器が小さいんだな。」

「かもしれません。」

 

彼はにっこり笑って言う。

「まあ、でも上司としてやっちゃいけないことが全部わかったので、いい勉強にはなりましたけどね。」

「ポジティブだね。」

「からかわないでくださいよ。あ、そういえばあとひとつヒドい点がありました。」

「何?」

「その上司、すっごい学歴コンプレックスだったんです。」

「誰も気にしてないのに、「オレは◯◯大で、頭悪いからさ」とか言うわけですよ。こちらはもう呆れて、モノも言えないです。」

「なるほど」

「で、学者とか大学とかに偏見があるんですよ。例えばエビデンスを示したりすると「頭でっかちにはならない」とか「理論と実践は違う」とか、必死に抵抗するんです。」

「イメージ湧いた。」

「で、更に言うとITとかにもスゴイ偏見があって、「SNSをやる奴はリアルなつながりを大事にしない」とか真顔で言うんです。どうなってんだって感じです。」

「まあ、保守的な人もいるからね。」

「営業は、気合と根性が一番で、効率よくやるのはダメなんです。だから、長時間労働しないと気に入られない。偏見が強すぎて、不条理な上司って、本当にモチベーションを下げますね。ま、そんなとこです。」

「転職できてよかったね。」

「本当ですよ。」

 

 

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