どうも、Books&Apps編集部です。

Books&Apps(今更ですがブックス・アンド・アップスって読みます)には、「知識労働者」という言葉が多く登場します。

当たり前のように使っているこの言葉ですが、「知識労働者」って一体何なんでしょうか。何となくドラッカーあたりが提唱していそうな言葉だ、というところまでは見当がつきます。でも、言葉の説明をしろと言われたら、結構難しいですよね。

 

最近では「21世紀は知識労働の時代となった。知識労働者にならなければ生き残れないでしょう」なんて不安ばかりを煽って、その意味をしっかり説明してくれない記事を見かけたりします。

確かにそうかもしれないけれど、自分の頭で理解しないうちに、”何となくそこにある不安”に踊らされるのも嫌だなー、と。そこで今日は、改めて「知識労働」に関するコラムを振り返りたいと思います。

 

そもそも「知識労働者」って何?

知識労働を定義するうえで、頻繁に対比される肉体労働。肉体労働はわかりやすい。その字面の通り、体を使った労働です。当たり前ですが、こなせる仕事量は肉体の限界に比例します。

人類の歴史を紐解けば、その大半は肉体を使った役務提供がほとんどです。そう、つい最近までは、肉体労働者中心の世界でした。

 

知識労働の5つの「常識」

統計局のデータを見ると、1950年当時、労働人口の約半数は農林水産業に従事していた。さらに、工業への従事者は全体の4分の1。

従って、全体の75%の労働者は肉体労働者だった。実際、つい70年前には職業は親から子へ受け継がれ、多くの人は、毎日の仕事をこなすことに対して疑問を持つことは殆どなかった。

ところが2005年になると、この割合は大きく変化する。農林水産業への従事者は全体のわずか5%に過ぎず、工業への従事者も3割程度にとどまる。全体の7割近くの労働者はサービス業、専門技術者などの「知識労働者」だ。

「肉体労働者」と「知識労働者」の割合は逆転している。おそらく2014年現在では更に知識労働者の割合は増えていることだろう。

 

事実ベースとして、知識労働者が増えているんですね。

 

しかし、残念ながら「知識労働」は新しい労働形態であり、人類の文明化以来6000年にわたって続けられてきた「肉体労働」のノウハウの集積度合いに比べ、我々が知っていることはあまりにも少ない。

(中略)

では、われわれが「知識労働者」として、幸せに働き続けるには、何が必要なのか。

 

何が必要なんでしょう!?この続きは是非本稿を読んでみてください。

 

 

知識労働社会に求められるリーダー像とは?

我々一人ひとりが知識労働者となれば、当然ながら新たなリーダーシップの形が求められてきます。

 

知識を扱う現代のリーダーと、労働力を扱う旧来のリーダーの6つのちがい

 

単純にチカラが強く、権威によって人を従わせることができるだけではもはやリーダーの役割は果たせない。

「知識」を扱う現代のリーダーの役割はもっと複雑で、困難だ。成し遂げなければならないことを定め、それに対するアイデアを持つ人を使い、 全体の方向をまとめてアウトプットし、成果をあげさせる人がリーダーだからだ。

権力者がリーダーというわけではなく、声の大きい人がリーダーというわけでもない。「知識」を扱うことの本質を知っている人が、現代におけるリーダーなのだ。

知識を扱うことのできるリーダーであるかどうかはその人の行動を見れば分かる。

もちろんリーダーのフリは簡単にできるが、その人が現代のリーダーかどうか、旧来のリーダーとの差があまりにも大きいので、だれにでもわかる。

それは主に以下のようなことにおいてである。

こちらも気になる6つの違いは、是非本コラムを読んでみてください。

個人的には、3つ目の「現代のリーダーは、意見が違うことを重視し、旧来のリーダーは意見が揃うことを重視する」が、言うは易し・行うは難しなんじゃないかと感じます。それにしても、現代のリーダーって大変だな…。

 

 

知識労働社会に求められる組織像とは?

最後は経営者の方に送るコラムです。

知識労働者にとっては、「組織の価値観」など障害にすぎない

経営者にとってみれば、「価値観の統一された集団」を扱うほうが経営ははるかに楽である。

しかし、「知識労働者」にとってみれば、そういったことは瑣末なことにすぎない。率直に言えば、「どうでもいい話」なのである。

(中略)

「知識労働者」は、本質的に自分の属する組織の業績に興味はない。また、そういった業績に興味を持つよりも、専門分野に真剣に取り組んだほうが、優れた仕事ができる。

高度な仕事を労働者に求めれば求めるほど、「企業の都合」にその仕事内容を合わせるわけには行かなくなる。「知識」というものは、その応用分野が広ければ広いほど価値があるからだ。そこにジレンマが存在する。

「知識労働」を目指す企業であれば、そのバランスをどのように取っていくのか、創意工夫が求められる。

 

これまで推奨されていた”価値観の統一”をバッサリ切っていますね。『ビジョナリー・カンパニー』を信奉していた私にとっては、頭をその本でガツンと殴られるくらい衝撃的なバッサリ感です。

ではどうやって組織を構築すればいいのかー。

残念ながら、本コラムからその答えを得ることはできません。というより、その答えを持っている組織って、まだ無いんじゃないでしょうか。

Books&Appsはこれからもその問いを世間に投げ続け、一緒に考えていければと思います。