こんにちは。日本植物燃料株式会社、代表の合田です。
皆さん、お金好きですか。わたしは……言うまでもありません(笑)。
と言うのは特にジョークでも何でもなく、「お金」は間違いなく、人間の発明の中で最も偉大なものの一つだと思います。
「お金」は、全く見知らぬ人との取引を可能にし、世界中の財貨を一定の基準で交換できるようにしました。
人類の繁栄の一端は、間違いなく「お金」の発明に依るものです。
そして、その「お金」を扱うことを主たる業務としているのが、「銀行」です。
今、弊社はアフリカの農村に電子マネーを導入し、さらにその先にある「銀行」を作ろうとしていることを、以前の記事でお話しいたしました。
「アフリカの呪術師」と全面対決するため、電子マネーを導入した話。
電子マネーを導入したことによって、恩恵を受けたことはそれだけでありませんでした。現地の人の購買データがPOSを通じて入手でき、徐々に現地の人々の生活が見えてくるようになったのです。
驚いたことに電子マネーに4〜50万円ほどを貯金する人が現われたのです。これはモザンビークの平均年収くらいです。
調べてみると、これはとても合理的な行動だとわかりました。
モザンビークの農民は、農作物を売ったお金が主な収入となります、従って現金が季節ごとにまとまって入ってくるわけなのですが、それは年間の生活費になるものなので貯めて置かなければなりません。
通常ではもちろん銀行に預ければと思うかもしれませんが、電気がない地域に銀行を作ることはできません。結局は自宅で保管することになります。
結局、多くの人は、自宅に現金を保管することになるのですが、保管する場所が土の中の壺だったりします。
でも、それにはひとつだけ大きな欠点があって、土の中に隠していると「お金が虫に食べられてしまう」ことがあるのです。これ冗談でもなんでもなく、現実にそうやってお金がまさに「目減り」します。
そのため、そのまとまったお金を電子マネーとして預けておいた方が安全だと気づいた人たちがたくさん現われたのです。電子マネーならば、現金のATMは必要ないですし、盗まれることもないですし、虫に食べられてしまうこともありません。
モザンビークの農村で暮らす人々の購買行動のデータと、貯金のデータが、今はすべて手元にあるわけです。
ここから私は本格的に「モザンビークで銀行業が始められるのでは……?」と思うようになりました。
でも「銀行」って、どうやってつくればいいんでしょう。
そして、途上国における銀行のビジネスモデルをどうすればよいのでしょう。
今回はそんな話です。
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そもそも、銀行の起源はどこにあるのでしょうか。
フェリックス・マーティン著「21世紀の貨幣論」には、こうあります。
商人が取引する時には、顧客や仕入先に対する貸方や借方を帳簿につけていくのが一般的になっていた。そして、一定の期間が経過した後に、貸方と借方を可能な限り相殺して、残高を繰り越すのである。
取引ごとに送り状をやり取りしてソブリンマネーの硬貨で決済することはなくなっていた。(中略)
大商会が地方商人の支払約束を保証すれば、地域経済の中で流通するのがせいぜいだったような借用書を、大商会の威光が通用するところならどこでも流通できるものに変えることができる。(中略)
こうした私的な決済システムの創設が、現在の銀行業の原点となった。
どうもぱっとしないエピソードにがっかりするかもしれない。現代では銀行業と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、融資やトレーディングといった華やかな業務だ。
決済サービスのように定型化された面白みのない仕事は影が薄い。しかし、銀行の屋台骨を支えているのは、資金を融通し、決済する能力の方だ。
著者の述べる通り、銀行の起源は「決済機能の提供」です。
実際に貨幣を動かすことなく、帳簿上に取引のすべてを記録する。場合によっては、必要に応じてその一部を現金化する。
銀行業の本質は決済を安心して任せられる「帳簿の信頼性」と「支払の約束」にあるのです。
そして、それは電子マネーでも可能です。
なお余談ですが、昨今ブロックチェーン技術が取り沙汰されています。
しかし、未だそれが主流になりえていない理由は、「帳簿の信頼性」はあるが、「支払の約束」が担保されていないからです。
そしてもちろん、今後は様子が異なるかもしれません。近代国家の枠組みが盤石ではなくなりつつあることで、「国」よりも例えばBitCoinを信頼する人も出てきていると思います。
実はBitCoinは中国人が過半数を所有していますが、国よりも信頼できると思っているからでしょう。
話がそれました。
ですので、電子マネーで決済を行うシステムを持っている当社は「決済機能の提供」をすることはそう難しくありません。
しかし、そうだとすれば、
「わざわざ銀行になる必要は無いのでは?」
という疑問が浮かびます。最もな疑問です。
実は、我々が「銀行」にこだわる理由は、銀行と電子マネー事業者への規制の厳しさにあります。
それは総預かり金額に対する「支払準備金」の割合です。
銀行が銀行である所以は「十分なお金を有しており、いつでも支払いができる」事です。それが信用の根幹を成しています。
そのため、銀行は「支払準備金」として、総預金額の一部を、中央銀行に預ける義務を負います。(例えば日本では、日銀のサイトを見れば、その割合がわかります。預金額の0.1%〜2.5%程度が準備金です)
ところが、電子マネー事業者は、モザンビークの法律ではその準備金の割合が100%なのです。これは銀行に比べると極めて大きな値です。
これは、ユーザーが電子マネーを2万円分チャージしたら、電子マネー事業者は2万円分を現金として保有していなければならない、ということです。
これでは、せっかく預かったお金を運用することができません。
と言うより、むしろ電子マネー事業者は「運用」を許されていないのです。
「預金」としてお金を預かり、それを運用することが許されるかどうか、これが電子マネー事業者と銀行の大きなちがいです。
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なぜ我々がお金の「運用」ができる銀行業にこだわるのか。
儲けたいから……と言うのはゼロではありませんが(笑)もっと大きな理由があります。
それは、我々の燃料商売を支えてくれるモザンビークにおいて「国土の発展に寄与したい」という思いです。
実は今、モザンビークでは銀行の貸出金利が20%前後と、非常に高止まりしています。こんな高い金利では、国内の産業の健全な発達は難しいと思います。
そこで我々は「資本主義の論理によらず、その土地に住む人の役にたつ銀行」を創りたいと思うようになりました。
しかし、そうなると「一般的な銀行」とは異なるビジネスモデルを作る必要があります。
なぜなら、一般的な銀行は貸出金利と、預金者への金利の差額を利益としているからです。
この場合、どうしても「預金者へ約束する金利」がネックになり、貸出金利が高くなってしまいます。
例えば、他の銀行が預金者への金利を年間5%にしているのに、我々だけが預金者への金利を年間2%しか保証できなければ、我々に預金をする人は誰もいないでしょう。(笑)
結果、我々も貸出金利を高くせざるを得ない。
そこで我々は
・「貸出金利」を主たる収益の源泉としない(=複利の利息を取らない)
・預け入れは「電子マネー」として行われ、金利の約束はしない。
という、ビジネスモデルを構築することにしました。
これは先進国の資本主義社会とは異なる、銀行のビジネスモデルです。
複利の利息を取らない方式は、主としてイスラム金融で採用されています。
例えば、Sさんが日本で100万円のクルマを買うとしよう。まとまったお金がないのでローンで購入することにしたSさんは、銀行から購入資金である100万円を借り入れ、利率や返済期限を約束したローンを組むことに。
仮に利率を10パーセントとすると返済額は110万円となり、利子である10万円は資金を貸した銀行の利益となる。
ところが、イスラム金融の仕組みは少々異なる。
Sさんがクルマを購入することに変わりはないが、Sさんに代わって、いったん銀行が100万円で購入し、それをSさんに再販売するのだ。仮に再販価格が110万円だとすると、Sさんはそれを分割で銀行に支払う。
つまり、Sさんと銀行は「借り手と貸し手」の関係ではなく、「買い手と売り手」の関係になるため、そこに「貸し借り」は存在せず、利子も発生しない。銀行は、売買の差額によって10万円の利益を得るという独特な仕組みを採用しているのだ。
もちろん、利子を元金に組み入れる複利方式も禁じられている。利子が利子を生み、雪だるま式に借金が増える複利方式はときに不幸を生み出すが、イスラム金融ではそれも起こり得ない。
(ソトコト イスラム開発銀行総裁へのインタビュー)
では、我々はどうやって収益をだすのか。
それは今まで通り「決済の手数料」です。貸出金利に頼らない収益構造を作るには、これが最も効率的です。
そして、そこで出た収益を、「地域のコミュニティ」に還元するのです。
例えば「村の共同口座」といった形です。そのお金は、井戸を掘ったり、学校を作ったり、通信インフラに充てたりと、地域の皆の共通のインフラに使ってもらいます。
長い目で見れば、個人に微々たる金利を還元するよりも、村に纏まった額の「投資」をしたほうが、皆の生活水準が向上する。
結果、決済金額が増えて、我々の収益も上がる。
そう思いませんか?
私はこういった「新しい金融の仕組み」をつくることが、世界の安定につながると確信しています。
ということで、今私が取り組んでいるのは、「決済」をメイン業務とした銀行を創ることです。
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現在、私たちはベトナムの携帯電話会社の力を借りて、銀行のライセンスを取るために尽力しています。
驚くべきことに、モザンビークにいるベトナムの電話会社の方々は皆、元「ベトナム軍」、要するに軍人です。
かつて工兵をやっていた人たちが、通信設備の敷設をしています。
かつて戦争をするために培われた技術が、いまは人々の生活水準を向上させるために使われているのです。
「銀行」という技術も、資本主義社会の中で「強欲」「利益至上主義」と批判を多く浴びていると思います。
ですが、うまく使えば、モザンビークに住む人々の生活水準を向上させ、国土の発展に寄与することができるのです。
それは、とても素晴らしいことではないでしょうか。
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