何度か書いているんですが、コミュニケーションの根っこは「他人に対する興味・関心」です。先日、こんなことをツイートしましたら、結構反応してくれた人が多かったようで。
コミュニケーションの根本は他人に対する興味であって、コミュニケーション能力について悩んでいる人は「他人に対する興味が全然ないのに頑張ってコミュニケーション術を身に着けようとしている」という人がいるのだが、それはお湯も水もない状態で頑張ってコーヒー淹れようとするようなもんというか
— しんざき (@shinzaki) 2018年4月4日
ちょっと、上記についていつも考えていることを補足的に書いてみたくなりました。長文なのでお暇なときにどうぞ。
相手に対して興味を抱いているかどうか。相手がしていること、相手が関心を持っていること、相手が好きなことに関心があるか、どうか。コミュニケーションって、そこから全てが始まると思うんですよ。
コミュニケーションがうまい人って、要は相手に「私はあなたに対して興味があるよ」ってことを伝えるのが上手いんです。
いわゆる「コミュニケーション能力が高い」って言われている人と話していると、本当に上手いタイミングで、上手い話題に「食いついて」くる。
つまり、相手に対する自分の興味を自然に提示出来ているんです。
「相手が自分に対して興味を持っている」ということが感じられると、話す側としても「それに答えないと」という気になります。基本的に人間は「興味をもたれる」ことに好感をもつものです。これは恐らく、承認欲求を満たされる部分があるからなのでしょう。
ちなみに、定期的に「私に質問していいよ」系のwebサービスが話題になるのもこれが要因だと思われます。インタビューズとか、質問箱とか、色々ありましたよね。あったあった。
「この人は自分に対して関心がある」と感じられると、人は「自分が尊重されている」と思うことができます。自分が尊重されていると思うと、好意を持って聞いたり、話したりすることができます。
相手に興味を持って、尊重出来ているかどうか。聞き上手とか、聞かせ上手とかいうのはその先にある話。
言ってみれば、相手に対する興味というのは、コミュニケーションという扉の最重要の潤滑油、一番最初の鍵なのです。
勿論、ただ興味を持てるということだけでコミュニケーションがうまくなるかというと、そういうわけでもないとは思いますが。
「コミュニケーション能力を高めたい」とか、「コミュニケーションの技術を身に着けたい」という人はたくさんいます。コミュニケーションに対して苦手意識を持っている人もたくさんいます。だからコミュニケーション術についての本が売れます。
ただ、コミュニケーション能力について云々する前に、一つ自問はしておいた方が良いんじゃないかなあ、とは思うのです。つまり、
「私は他人に対して興味を持っているのかな?」ということです。
この場合の「他人」というのは、別に自分以外の人類全部という訳ではなく、コミュニケーションをとらなければいけない相手、コミュニケーションをとる必要がある相手、という程度の範囲になります。
勿論、個別に興味を持っている人もいれば、興味がない人もいるでしょうが、まあ一般的には「特別な接点がない知人 〜 初対面の人」くらいになるんでしょうか。
他人に対して興味を持っているかいないかでは、コミュニケーションに対するアプローチが変わります。
私自身は、コミュニケーション能力を身に着ける為のノウハウ本には、最初に「あなたは他人に興味がありますか?」と書いて、はい/いいえでページを完全に分岐させるべきだと思っているのですが、あまりそういう本はありません。
というか、私の観測範囲が狭いのかも知れないですが、多くの本が「自分が相手に対して興味を持っている」ということを当然の前提にして書かれている、ように見えます。
自分のコミュニケーション能力について悩んでいる人の中には、「そもそも他人に対して興味がない」という人が結構な頻度で含まれている、ように思うんですよ。
そういう人が必死に「興味がある人」向けのコミュニケーション術を身に着けようとしても、それこそ火も油もつかえないのに鳥のから揚げを作ろうとするようなものでして、一般的な料理の仕方ではちょっと上手くいきません。
向いていない戦い方を無理して模倣しようとしても疲れるだけです。
どうでしょうか。あなたは他人に興味を持っていますか?
*****
さて、書きたかったことの主要パートは上記までなんですが、ちょっとだけ続きを書いてみます。
「他人に興味がない人」はコミュニケーション能力を高めることが出来ないのかというと、実際のところそういう訳でもありません。
他人に興味がないならばないなりの戦い方というものがあります。というか、今現在コミュニケーション能力が高い人も、決して「他人に興味をもてる人」ばかりではなく、これらの戦い方をマスターしている人がかなりの割合で含まれているように思います。
他人に興味がある人、自然に興味を持つことが出来る人にとって、コミュニケーション術というのは「自分が既に持っている興味を、どこまで/どのように相手に伝えるか」という地点がスタートポジションになります。
一方、他人に興味がない人にとって、コミュニケーション能力を高める為の最初のアプローチは、大きく2つに分かれます。
つまり、
1.ない興味を頑張って沸かせる
2.興味があるように見せるノウハウを身に着ける
の2つです。
ここまでの字数も字数ですのであまり細かくは書けませんが、それぞれについてざっくりと解説してみます。
*****
まず1番は、細かいノウハウというよりはどちらかというと意識づけ、意識改革の問題です。
「他人に興味がない人」は、大筋、更に二種類に大別されます。つまり、「本当に、自分以外の殆どの人間に全く興味がない人」と、「興味がある相手と興味がない相手との差が激しい人」。
前者の人は、正直言って1番のアプローチをとることは難しいです。サハラ砂漠で温泉を掘ることに多大なコストをかけるのも馬鹿らしい話です。他の戦い方を考えた方が健全でしょう。
後者の人の場合、「自分が他人に興味を抱くポイントはどこなのか」ということが、意識改革の突破口になる場合があります。「〇〇の話が合う人とは話せる」とか、「××のテーマについてなら幾らでも話題が出てくる」という人は、こちらに該当することがあります。
つまり、自分の中に「他人に興味を持てるカテゴリ」というものが恐らくある。じゃあそのカテゴリを広げること、あるいはそのカテゴリに相手を引っ張り込むことは出来ないか、と考えるわけです。
例えば、「同郷の人になら興味がある」という人が名古屋に住んでいたら、ちょっと「同郷」の範囲を広げて、愛知県とか、東海地方でも共通する部分はないでしょうか。「ゲームの話が出来る人なら興味がある」という人なら、例えばファミコンの話だけでなく、サターンやプレステの話は守備範囲外でしょうか。相手は、そういう話が出来ない人でしょうか。出来る人でしょうか。
これは、「自分にとっての会話のフック探しの作業」でもあり、一方「相手について知りたい情報整理」ということにもなります。どうしてもカテゴリーに入らなかったらそれはそれで仕方ありませんが、こういう情報を集めること自体が、相手に対してある種の関心表明になる場合もあります。一種の副作用です。
また、重要な意識改善として、「無意味に思える会話」をバカにしたものではない、というものがあります。
例えば天気の話とか、趣味の話とか、軽い時事の話とか、他人に興味がない人ほどそういう「何も産まない会話」をバカにする傾向がありますが、それが「お互いの興味」をサーチし合う作業にもなり、ひいては「相手に対する興味表明」にもなるのです。無意味な世間話って案外重要です。
*****
2番については、まあ細かいところは色々あるんですが、私自身は「フックに対する読解力」という話が最も大きいと思っています。
上でも書きましたが、いわゆる「コミュニケーション能力がある」と言われている人と会話をしていると、「食いつき方」「話題の展開のさせ方」が物凄いんですね。
こちらが、「ここに反応してくれると嬉しいんだけどなあ」というところに的確に突っ込んでくれる。そこから話題が展開する。あの展開のさせ方はすげえなと思うわけです。
もっとも、そういうコミュニケーションお化けみたいな人まではいかなくても、最低限の「興味の見せ方」を身に着けることはそこまで難しくありません。
一つポイントを例示するとすれば、
「会話の中での、パブリック部分とプライベート部分の切り分け」というものがあります。
「定型文と非定型文の境目」ということも出来ます。
会話には、「パブリックな部分とプライベートな部分」というものがあります。
ざっくりいってしまうと、話者の個別の事情に絡まない部分がパブリックな部分で、絡む部分がプライベートな部分です。
例えば天気の話で言うと、「昨日は寒かった」というのがパブリックな定型文で、「あまりに寒かったから一度しまったヒーター出してきた」というのがプライベートな非定型文ですね。
多くの場合、会話ではこの「プライベートな部分」がフックになっています。突っ込みどころというか、個人的な会話が展開する部分ですよね。
会話の中で、パブリックとプライベートな部分を切り分けて、そのプライベートな部分についてコメントすることが、「自分の相手に対する興味」を提示する宣言になることが多いです。
勿論上記の例のような簡単な例ばかりではないんですが、例えば接客業の方とか、このプライベートな部分を会話から見つけ出す、ないしプライベートな部分を会話に混ぜ込むことが非常に上手い方が多いです。
「会話をパブリックとプライベートに分ける」ということで、何らか糸口が見つかることがあるかも知れません。
これ、「読み取る」だけではなく「提示する」部分も結構重要で、プライベートな部分を提示する、いわば「突っ込み待ち」が「コミュニケーションをとろうとする意志提示」「突っ込んでいいよ、という許可の提示」になる側面もあります。
隙を見せるのがうまい人もいるよね、という話です。あれホントすごいですよね。
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上記の他に、「そもそも興味がなくても/興味を示さなくてもコミュニケーションの目的だけ達成できればいいじゃん」という考え方もあり、それに長けている方も勿論いるのですが、字数も字数なのでそれについては項を改めたいと思います。
長々と書いてしまいました。
私が書きたかったことを簡単にまとめると、
- コミュニケーションの根っこは「他人に対する興味」である
- 他人に対する興味を自然に抱ける人はコミュニケーション上で色々有利
- けど、興味を抱けない人がコミュニケーション能力を高められないというわけではなく、別のアプローチもある
- 自分にあったアプローチをとった方が多分効果的
上記の4点であって、他に言いたいことは特にありません。
今日書きたいことはそれくらいです。
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【プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
(Photo:Amehare)