新年度。
「新卒はこうしたほうがいい」「大学生はこうすべき」というように、多くの人が後輩にアドバイスをしたがる時期である。
なぜだか知らないが、多くの人は、自分の正義感に照らし合わせ、他人に「こうすべきだ」と言いたがるのだ。
わたし自身、その気持ちはよーくわかる。
だが、人が変わるためには本人の意思の力が必要であるということは、忘れちゃいけない。
わたしは超面倒くさい偏食家だった
わたしは小さい頃から、とにかく食べ物の好き嫌いが多かった。
野菜はすべて嫌いで、魚介類もイクラ以外すべて嫌い、きのこやたけのこといった山菜も嫌いで、漬物も嫌い、酸っぱいものや辛いものも嫌い、炭酸や牛乳も嫌いだった。
つまり、ほとんどの食べ物が嫌いだったのである。
しかも驚くことに、理由はすべて食わず嫌い。なぜだかわからないが、ほとんどの食材の見た目や匂いが、生理的にダメだった。
こんな偏食具合なものだから、クラスの男子が心待ちにする給食の時間は、わたしにとってはひどく苦痛な時間だった。
なんせ、食べられるものはコッペパンだけなのである。楽しいはずがない。
そんなある日、先生が「すべて食べ終わるまで教室を出てはいけない」という宣言をした。ありがちである。
クラスメートは涙目になりながら、昼休みに遊びに行くため、怒られないため、嫌いなピーマンやホウレン草を口に運ぶ。
それでもわたしは、食べる努力をすることもなく、昼休みと掃除の時間、冷めていく給食をよそに本を読んで時間をつぶしていた。
もちろん先生に注意されたが、「無理やり食べさせるなら学校へ行かない」と主張するくらい、とにかく頑固で面倒くさい偏食家だった。
変わらなかったわたしと、変わったS君
だが、こんなわたしを、どうにかしようとしてくれた先生がいた。
小学校3年生のときの担任、M先生である。
M先生はある日、5本の波状模様が書いてあるコップを持ってきて、「まずは1番下のラインまで牛乳を入れるから、それだけ飲んでみよう」と提案したのだ。
クラスにはわたしのほかに、S君という牛乳嫌いの男の子がいた。そして「どっちが先にコップ1杯の牛乳を飲めるようになるかの競争」がはじまった。
さて、M先生の好意によって、わたしとS君は見事牛乳嫌いを克服したのだろうか?
残念ながら、26歳のわたしは、いまだに牛乳が大嫌いである。
わたしは、ほんの一口だけ注がれた牛乳にすら、まったくもって口をつけなかった。わたしは、牛乳なんて好きになりたくなかったのだ。
M先生の好意をありがたいとは思いつつ、なんでそこまで牛乳を飲ませたがるのかが理解できなかったし、どちらかといえば水筒持参を許可してほしかった。
では、S君はどうだったのか?
なんとS君はものの1ヶ月で牛乳嫌いを克服し、少しすると、牛乳ジャンケンに参加するまでになっていた。
(牛乳ジャンケンとは、あまった牛乳を賭けてジャンケンすることである。牛乳ジャンケンに参加することは、男子的にカッコイイ。らしい)
なんでもS君は、「牛乳を飲まないと背が大きくならない」と言われたことを気にしており、仲のいい友だちがみんな牛乳ジャンケンに参加するのを見て、毎回疎外感を感じていたのだそうだ。
だからS君は牛乳嫌いを克服しようと努力したし、結果的に牛乳が好きになった。
一方、「変わりたい」と思っていなかったわたしは、「変わるためのチャンス」を目の前にぶらさげられても、「口うるさいなぁ」くらいにしか思わず努力もしなかった。
「変わらなきゃいけない」。そう思った
物語は、まだ少し続く。
M先生との出会いから10年ほど経ち、わたしにも好き嫌いを克服する転機が訪れた。
ひとり暮らしをしている人と、付き合い始めたのである。
「ひとり暮らしの彼のために料理を作ってあげる」というシチュエーションに憧れていたわたしは、さっそく母親に料理を習うことにした。
料理をするということは料理を作る苦労を知ることであり、味に責任をもつということでもある。
毎日何品もの料理を作るのだけでも重労働なのに、母親はいままで、頑固な偏食娘のためにメニューを工夫し、わたしが食べられる物を食卓に用意してくれていた。
そんな苦労を、はじめて知った。
四苦八苦して作った料理には必然と愛着が湧くし、「食べてみたい」と思うようになる。というより、味見をしないことには人に料理を出せない。
そんなこんなで、自分が作ったものを食べることを通じて、わたしは食わず嫌いを克服していったのだ。
克服できた背景には、「偏食をなおす必要性に迫られた」というのもある。
飲み会では、女子力をアピールしたがる女子がサラダをよそい、「はい!」と笑顔で皿を渡してくる。バイト先のレストランでは、「今日もお疲れ!」と店長が作ったまかない料理をふるまわれる。
そんな状況になれば、さすがのわたしでも「た、食べるしかない……」となり、「意外にイケるじゃん!」とあっさり好き嫌いを克服していった。
「変わりたい」と思い、「変わらなくてはいけない」という状況に身を置いてはじめて、わたしは自分の偏食と向き合ったのだ。
こうしてわたしは好き嫌いを克服した
そこからわたしは、好き嫌い克服のために、ほんの少しがんばってみた。
両親と寿司屋に行っていろいろな寿司を頼み、1貫だけ食べてみる。気に入ったらもう1貫食べ、やっぱり嫌いだったら両親にパス。
いままでは間接キスが苦手で断っていた「1口ちょうだい」も積極的に行うようにした。
結果、キムチやタクアンは嫌いだが、高菜やナムルは好きだということがわかった。
納豆は匂いがムリだが、ほうれん草のおひたしならイヤな顔をせずに食べられるようになった。
コーラを飲むとむせるが、カフェラテを飲めるようになった。
いまでも好き嫌いは多いが、少なくとも限られた友人や家族とだけしか外食できない、という状況からは脱したのである。
自分を変えられるのは結局のところ、自分の意志だけだ
「よくないこと」をしている人に多少の忠告をしたくなるのが人の心というものだろうが、いくら理を説いても、本人が変わりたいと思わなければ、なにも変わらない。
「酒はほどほどにしないと病気になるよ」
「もっとお金を大事に使わないと苦労するよ」
「ダイエットしたほうがいいよ」
そう言っても、本人にその気がなければ、これからだって浴びるほど酒を飲み、金を浪費し、ジャンクフードを食べまくるだろう。
人が変わるために必要なのは、結局のところ、当人の意志の力なのだ。
それでも多くの人は他人に対して「こうしたほうがいい」と言いがちだし、「だれかがこの状況を変えてくれるだろう」と他人任せにしてしまうこともある。
でもそれだけでは変われないし、変わらないだろう。
新年度になり新たな挑戦をするであろう多くの人たちに、「なにかを変えるためには自分の意志こそがもっとも大切である」ということを改めて伝えたい。
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名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
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(Photo:baron valium)