最近、パワハラについてのひどいニュースを頻繁に目にする。

提訴「借金負わされ 給料未払い」 社長パワハラ 元従業員遺族ら

求人サイト運営会社の元従業員2人と、自殺した従業員の遺族が「社長に借金を背負わされた上、それを名目に賃金が支払われず、パワハラも受けた」として、会社側に未払い賃金や慰謝料など計約8800万円の支払いを求める訴訟を17日、東京地裁に起こした。

(毎日新聞)

16歳アイドル自殺、遺族が提訴 会社側はパワハラ否定

松山市を拠点とするアイドルグループで活動していた大本萌景(ほのか)さん(当時16)が自殺したのは、過重な労働環境やパワハラなどが原因だとして、遺族が12日、所属していた会社「Hプロジェクト」(松山市)などに計9200万円余りの損害賠償を求める訴訟を松山地裁に起こした。

一方、会社側はパワハラなどを否定し、法的責任はないと反論している。

(朝日新聞)

2つの事件ともに共通するのは暴言、過重労働などの非人間的な扱い、そして、加害者側の「パワハラ」という意識の無さだ。

彼らはこれらの発言を「業務上正当」と感じていたのだろうか。

 

知人は「これはパワハラと呼ぶよりも、単なる犯罪行為では?」と言っていた。

 

もちろんパワハラは卑劣な行為である。

だが、「パワハラ」と「犯罪行為」は、どれほど違うのだろうか。

 

パワハラまがいのことは、どの会社でも普通に存在している

私は、多くの会社に出入りしてきたので、あらゆる業種の、あらゆる場所で「パワハラらしきもの」が行われているのを見聞きしてきた。

 

ある会社では、営業リーダーがパワハラ上司だった。

「お前、ふざけんなよ。やれっつったことをなんでやんねーんだよ。あ?」

「……申し訳ございません……。」

「申し訳ございませんじゃねーよ。あやまんなくていいから、さっさとやれよ。何回言わせんだよ。」

「……はい。」

「あとその髪。非常識だろ。馬鹿かお前は。」

「……」

「仕事する気あんのか!ったく……。」

 

別の会社の経営会議では、副社長が大勢の前で、管理職の一人にこんな事を言っていた。

「すみませんが、3ヶ月経ってこの進捗とは、本当に仕事をしていたのですか?」

「報告のとおりです……。」

「報告って言ってもね、こんな仕事なら2年目のペーペーでもできますよ。」

「……。」

「一応理由を聞きましょうか。」

「は、同時に採用活動もあり、なかなか時間を割けていませんでした……。」

「あなた課長でしょう?」

「は、はい。」

「時間を割けてない、なんて言い訳が通じると思ってないでしょう? まさか。もう一度平社員からやりなおしますか。ねえ。」

「……しかし、採用で1日中拘束されていると、なかなか厳しい……」

「そう言う事を言ってんじゃないです。姿勢の問題です。姿勢の。」

「……といいますと……」

「あなたは本当に能無しですね。そんなこと自分で考えてください。」

 

上に挙げた話。

「この程度パワハラじゃない」という方もいるかも知れないし、さぞかしブラックな会社のことかと思う方もいるだろう。

実際、上はごくごく普通の企業での話だ。

ネット上で特に悪い噂もない。

 

要するに、現実は「パワハラまがいのことがまったくない会社のほうが珍しい」のである。

 

パワハラとは何か。

厚生労働省のページを見ると、パワハラの定義について書いてある。

職場のパワーハラスメントとは

職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内での優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいいます。

またこのサイトでは、具体的なパワハラの類型について、下のように掲載されている。

だが、図の下にもある通り「何が業務の適正な範囲を超えているかについては、業種や企業文化の影響を受ける」とあり、厳密に何がパワハラなのかを決めることは現在でも議論になっている。

パワハラ認定「広げろ」「絞れ」 定義めぐり労使激論

職場のパワーハラスメント(パワハラ)対策を議論する労働政策審議会(厚生労働相の諮問機関)の分科会で、パワハラの定義をめぐる議論が労使で激しくなっている。

17日の会合では、労働者側が上司だけでなく同僚や部下も加害者になり得ることを明確にすべきだと主張。一方、経営者側は拡大解釈されないよう絞り込むべきだと訴えた。

何がパワハラに当たるかの定義は、パワハラ対策のあり方を議論する上での土台となる。ただ、こうした定義はまだ定まっていない。

(朝日新聞)

とどのつまり、多くの経営者側の言い分は、こうだ。

「暴行や法律違反は論外だが、やるべきことをやらない従業員に対して、正当な要求をしているだけである。」

 

確かに経営者側の危惧も理解できなくはない。

会社には確かに、「弱い立場を利用する人」や「フリーライダー」がいるからだ。

「パワハラだ」をすべて鵜呑みにすると、フリーライダーの跋扈を許すことにもなりかねない。

 

だから現在「パワハラかどうか」は冒頭のようなよほどひどいものは別だが、「常識」ではパワハラかどうかの判断がつきにくい。

ここが、問題を極めて難しくしている。

 

パワハラをする人の気持ち

私は「パワハラまがいのこと」をする人に、よく話を聞くことにしている。

一体なぜそんなことをするのか、根本を知らなくては対処が不可能だからだ。

 

するといつも、私は彼らの驚くほどの純粋さに、圧倒される。

どういうことか。

パワハラをする人を動かす原動力は極めてシンプルで、迷いがないということだ。

 

まず、「会社のため」「本人のため」などの、大義名分があること。

これは、「怒っているオレ(アタシ)」には、怒るべき大義があるのだから、手段は問われない、という言い訳を作ることに役立っている。

 

そして、「努力」への過剰な信奉。

努力すれば誰でも何かを達成できる。逆に言えば、達成できないのは努力が不足しているからだ、という論理。

 

最後に、「悪は罰されなくてはならない」という強い信念。

パワハラをする人は(時に自分を棚に上げて)不正(と自分が思うこと)を厳しく見張っている。

 

だが上の行動は多くの場合、実は正義の実現という高邁な目標のためではなく、「他者を罰することが気持ちが良い」からやっているのだ。

パワハラ上司の根本的な問題は、そこにある。

 

作家の橘玲氏は、著書の中で次のように述べている。

ところで、正義とはそもそもなんだろうか。

古来、あまたの思想家・哲学者がいろんなことを語ってきたが、現代の脳科学はこれを1行で定義する。

「正義は快楽である」。これだけだ。

復讐はもっとも純粋な正義の行使で、仇討ちの物語はあらゆる社会で古来語り伝えられてきた。脳の画像を撮影すると、復讐や報復を考えるときに活性化する部位は、快楽を感じる部位ときわめて近い。

道徳的な不正を働いた者をバッシングすることは、セックスと同じような快楽をもたらすのだ。 ドーパミンはヘロインやコカインの中毒症状の原因となることで知られており、ラットは(ドーパミンを放出する)脳の報酬系に電気的な刺激を与える装置のボタンを餓死するまで押しつづける。

同様に道徳に反した者を罰すると、それを見ただけで脳からドーパミンが放出される(*)。

これらのことを加味すると、「パワハラ」の自覚は極めて困難であることがよく分かる。

主観的には、「会社と本人のため」であり「努力せよ」であり「怠けているやつは罰しろ」だからだ。そして、それは気持ちがいい。

 

彼らにとっては論理は一貫しており、何一つ問題はない。

むしろ「パワハラだ」と責められることが不思議でしょうがない、というのが実態だろう。

 

冒頭の疑問に戻ろう。

「パワハラ」と「犯罪行為」は、どれほど違うのか。

犯罪行為は、本人は「良いことをしている」とは通常、思わない。

だがパワハラは逆で本人は「良いことをしている、正義はこちらにある」と感じているのだ。

 

この「正義の戦い」ほど厄介なものはない。

前述した橘玲氏は次のように書いている。

正義依存症はもちろんネトウヨだけではない。

「反安倍」や「反原発」でえんえんと呪詛の言葉を書き連ねるのも同じだし、女性タレントの不倫から男性ミュージシャンの不倫を暴いた週刊誌まで、匿名の「正義」を振りかざす機会をさがしてネットを徘徊するのも同類だ。

ネットメディアの世界では、もっともアクセスを稼ぐ記事が有名人のゴシップ(噂話)と正義の話だというのはよく知られている。「こんな不正は許せない」という話にひとはものすごく敏感だ。

だから、ヘイトスピーチをする人々も、不倫を思い切り叩く人々も、大義名分を掲げて何かを叩く人は、すべて「パワハラ予備軍」である。

 

正義感が強い人は、怒りの閾値が低く、沸騰しやすい。

時代が時代なら「悪人はぶっ殺していい」と涼しい顔をして言うのである。

それが「パワハラをする人たち」の正体だ。

 

パワハラ上司に対して、どう対応するか

以上の事実より、残念ながら、和解の道は極めて厳しい。

パワハラ上司が心を入れ替えた、という話は残念ながら寡聞にして知らない。

 

聞くのは「パワハラ上司が告発されて追い出された」もしくは「パワハラに耐えかねて辞めた」のどちらかだ。

いつの世でも、正義と正義の戦いは永きにわたって続く。

 

先日、高須賀さんがこんなことを書いていた。

正義の心で怒る人たちは、なぜ幸せになれないのか。

もちろん、改善できない時もあるだろう。もしそうなったら、今度は自分の力でスタコラサッサと逃げればいいのである。

怒りに飲まれ、正義の感情の名のもとに内情を告発するなどして相手と戦っても、多くの場合においていいことなんて一つもない。

私も同感である。

 

「パワハラ上司」には、とにかく耐えない、戦わない。とにかく逃げる。

先輩がパワハラなら、チームを変えてもらうこと。

部長、課長がパワハラなら、違う部署への異動を願うこと。

社長がパワハラなら、すぐに転職することだ。

 

それが今のところの「悪しき正義」との戦い方だ。

 

 

*Tania Singer, etc.( 2006)” Empathic neural responses are modulated by the perceived fairness of others.” Nature

 

 

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(Photo:Rachel Clarke