ゲームプレイヤーには、「エンジョイ勢」と「ガチ勢」という2種類がいる。
エンジョイ勢は、ゲームを楽しむためにやっている人たちのこと。
ガチ勢は、たとえば自己最高タイムや得点を目指したり、世界ランクを狙ったり、研究に研究を重ねてさまざまな統計を出したりする本気の人たちのこと。
たいていのプレイヤーは、「自分はエンジョイ勢なので仲良くしてください」という。
でも、「ゲームをエンジョイする」という目的が同じでも、「どうエンジョイするか」という手段が共有できていないと、すぐにトラブルが起こる。
それをわたしは、経験してしまった。
エンジョイ勢が集まってもゲームをエンジョイするのはむずかしい
オンラインゲームでは多くの場合、ギルドやクラン、サークル、チームなどと呼ばれるグループをつくることができる。
まぁ仲良しグループ、ゲーム内の実家みたいなイメージだ。
そういったグループの募集文や紹介文を見てみると、「エンジョイ勢」と表明しているところが多い(ゲームによってちがうのかもしれないが)。
要は、「ガチでやり込んでいるわけじゃないので失敗してもOK、無理せずプライベートの生活も大切に、参加のための厳しいノルマや課題、条件はなし。みんな仲良く楽しもうね」という意味だ。
これだけ聞くと、「ゲームなんだから当たり前じゃん」「ほとんどの人はそうだろ」と思うかもしれない。
でも実際のところ、エンジョイ勢内でもよくトラブルが起こる。
むしろ、エンジョイ勢だからこそ起こると言っても過言ではない。
エンジョイ勢と表明する以上、ゲームをする目的は当然「楽しむこと」。
でもゲームの楽しみ方は、人によってちがう。ここが問題なのだ。
目的が同じでも手段がちがえば簡単に対立する
効率的にアイテムを集めることが楽しい人もいれば、気が向いたときにのんびりと楽しみたい人もいる。
風景やキャラの見た目を重視してスクショを撮って加工する人もいれば、あえて弱い装備で自分を追い詰め強敵に立ち向かう人もいる。
でも目的は「ゲームを楽しむこと」で合意しているから、「みんな自分と同じように遊ぶだろう」「自分の遊び方を理解してくれるだろう」と思ってしまうわけだ。
その勝手な期待が、対立を生む。たとえばこんな感じで。
A「この敵と戦うならもっとレベルを上げてからにしなよ(不相応な挑戦で失敗したら楽しくないじゃん)」
B「失敗してもいいからとりあえずやってみたいな(まず挑戦してからそのあと考えたい)」
A「でも今のままじゃ絶対にムリだよ(なにごとにも順序があるのに)」
B「だから、一回行ってみてなにが足りないかとか考えるから、放っておいて!(こっちの勝手だろバーカ)」
とか、
C「ちゃんと教えたのにこの技まだできないの?(向上心がない人と遊んでてもつまらないなぁ)」
D「いや、わたしはあなたみたいに毎日やってるわけじゃないから……(自分のやり方押し付けてくるのだるいわ〜)」
C「でもうまくなりたいなら練習しないと(そうやって自分は上達したし、うまいほうが楽しいでしょ)」
D「リアルの都合もあるからなかなかね(育児の合間にやるちょっとした息抜きなのにうるせぇな)」
とか。
「ゲームを楽しむ」という目的は同じなのに、それに至る手段が共有できていないと、「楽しむ」という一見かんたんな目的すら達成できなくなるのだ。
手段を共有しないことでトラブルになるのは仕事でも同じ
こういったすれ違いは、仕事でもごくごくふつうに起こる。
たとえば、「毎月100万人に読まれるメディアをつくる」という目標があったとする。
多くの人に読まれるメディアをつくるため、みんな自分なりに「どうやったら目標を達成できるか」を考えて努力するだろう。
そのなかで、「毎日10記事アップして量で攻めよう」と考える人もいれば、「著名人にインタビューした記事を毎日1記事公開しよう」と考える人もいるし、「炎上を狙ってとりあえずメディアの名前を広めよう」と考える人が現れる。
目指すところはみんな理解しているけど、それぞれがちがう方向からそこへ向かおうとすれば、当然どこかでズレが出てくる。
「なんでこの質の記事を公開したの?」
「まずは量が必要だから、質はあとで調整していけばいいでしょ」
「そんな適当なことしないで。評判が下がるだけだよ」
「そもそもこんな記事は話題にならないから、真偽はともかくもっと派手にいこう」
「炎上狙いはそのとき良くてもあとで後悔するからやめたほうがいい」
「悪名は無名に勝るって言うじゃん」
と、こうなる。
スタート地点と目的地だけを描いた地図を渡しても、ほとんどの場合、全員でおててをつないでめでたくゴール……とはいかないのだ。
目的が同じだと「みんな同じ手段をとるだろう」とタカを括ってしまう
よく、「チームワークでは目的の共有が大切」と言われるが、目的の共有というのは前提条件でしかない。
利があるほうがいいに決まってるんだから、目的自体に異議を唱える人は少ないだろう(無茶な数字だったら問題だが)。
「みんなで仲良くしよう」という学級目標と同じだ。
そりゃあ仲がいいに越したことはないんだから、だれも反対なんてしない。
でも、手段の共有となると話は別だ。
「ゲームを楽しむ」というのが、「上達するための努力を前提」とするのか、「雑談メインでプレイ内容自体はどうでもいい」のか。
「読まれるメディアをつくる」というのが、「時間がかかっても多くのファンを獲得する」のか、「目標数値の達成を第一にする」のか。
「クラスみんなで仲良くする」というのが、「問題を起こさないように我慢しあう」のか、「対立を厭わずぶつかって理解しようとする」のか。
このあたりは個人の考えによるものだから、認識をすり合わせる必要がある。
でも目的が共有されているぶん、「みんなも自分と同じ手段でやるだろう」「みんなも自分のやり方を理解してくれるだろう」と思ってしまう。
そのうえ、「目的はちゃんと共有できているんだからうまくいく」なんて考える。
そしてその勝手な期待が、対立をうむのだ。
ある程度ルールを設けてメンバーの意思を統一する必要がある
わたしが所属しているとあるゲームグループのリーダーに、「うちはトラブルなくみんな楽しんでやっていて居心地がいいです」と言ったことがある。
そしたら、「うちにはルールがあって、問題が起こったら俺が責任持って判断するからね」という答えが返ってきた。
そう、うちのグループはタブー事項が結構多い。
たとえば出会い厨行為(ゲームを通じて異性と出会おうとする言動)はNGだし、やるのはその場にいる全員が参加できるレベルのステージのみ。
求められていないのに過剰なアドバイスはしない。
装備やアイテムの強制、口出しもナシ。
リアルの生活優先で、引き止めたり無理に誘ったりしない……などなど。
たかがゲームなのに、厳しいと思うだろうか?
でも実際、「遊ぶ方針」がはっきりしているおかげで、問題は起こっていない。
ルールに納得いかない人は立ち去るし、残っている人はみんな、同じ手段で遊ぶことに同意しているからだ。
その方針に賛同している人にとってはむしろ、「自分の楽しみ方が正義である空間」なので居心地がいい。
一方、以前所属していたグループは正反対で、とくにルールがなく「みんな自由に楽しもう」が方針だった。
一見理解のあるグループのように思えるけど、認識がすれちがったとき「どちらが正しいか」を判断する材料がなく、リーダーも「まぁみんなそれぞれの楽しみ方があるから……」なんて煮え切らない態度をとっていたから、結局収拾のつかない事態になった。
「うまくなる努力が楽しい人」と、「努力せず楽しみたい人」が同じ空間にいて、どちらの方法で楽しむかをしっかりと決まっていないのだから、バラバラになるのは当然の結末だ。
目的地だけでなく、道筋を描いた地図が必要
目的はあくまで、ぼんやりとした理想でいい。でもその目的に至るまでの手段ははっきりさせなきゃいけない。
そうしないと、「ゲームを楽しむ」という簡単な目的ですら達成できない。
これはチームスポーツと同じだ。「勝つ」という目的があっても、「どう勝つか」までしっかり共有していないと、目的なんて絵に描いた餅。
そのために、「こういう道をこういう速度で通って目的地に行きます。そのときこれをするのはアリですが、これはナシです」とはっきり示すことが必要になる。
目的に対する手段が共有されてはじめてみんなが同じ方向を向けるし、ためらわずに歩き始めることができるのだ。
目的共有が大事なのはもちろんだが、本当にその目的地に至りたいなら、手段の共有はそれ以上に大事だということも忘れないようにしたい。
そして、目的地到達までの道を示せないリーダーは無能だから、見限っていい。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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(Photo:Kelly Sikkema)