少し前のbooks&appsで、桃野泰徳さんが「娯楽も遊びも休息も、仕事の一部」という記事を書いてらしたのを覚えているだろうか。

 

私はよく覚えている。なぜなら働いていくうえでとても重要な考えだと思うからだ。

機械にメンテナンスが必要なのと同じく、人間には娯楽や遊びや休息が、つまり桃野さんの記事でいう「戦力回復」のフェーズが必要になる。それを怠っていれば仕事能力は次第に低下し、ときには健康を損ねてしまうかもしれない。

 

だからマトモな組織や指揮官は「戦力回復」に十分な注意を払い、メンバーの福利厚生に努める。2004~2006年の陸上自衛隊イラク派遣に際し、厚生センターが現地に設営されたのもそのためだと桃野さんは書いてらっしゃる。

 

牟田口廉也のインパール作戦

ところが戦史を振り返ると、その「戦力回復」に注意を払っていないリーダーや指揮官が案外いたりする。太平洋戦争における旧日本軍は全体的にそうだが、海上補給ルートが寸断されてしまった太平洋戦争後半にはむごい話が多い。

そうした旧日本軍のなかでも、特別にひどい人物と言われがちなのが牟田口廉也だ。

(写真:wikipediaより)

牟田口廉也は佐賀市の士族の家に生まれ、陸軍士官学校を平凡な成績で卒業したという。尉官時代には与えられた仕事をよくこなし、佐官時代には軍内の政治遊泳にも、部下の統率にも優れていたようだ。その後も出世を重ねて、運命のインパール作戦においては中将の職に就いている。

 

牟田口廉也以外にも言えることだが、後世に「無能なリーダー」として後ろ指を指される人物も、そう評されるエピソードが巡ってくるまでは優秀であることが多い。

そもそも、なんらかの優秀さがなければリーダーや指揮官の地位を獲得できないわけで、実力や実績や交渉力などがなければ「無能なリーダー」や「愚将」にすらなれない。

 

他方、人には最適な器のサイズというものもある。平社員の時が一番輝く人、係長の時に一番輝く人、課長の時に一番輝く人、部長の時に一番輝く人がいる。

自分の器をこえた役職は、その人自身にも、周囲の人や組織にも不幸な転帰をもたらすだろう。牟田口廉也という人物と旧日本軍という組織にとって、中将という彼の階級、さらにビルマ方面の司令官という彼の役職が好ましい結果をもたらしたようには見えない。

 

その牟田口廉也が立案・指揮したのがインパール作戦だった。

牟田口は、戦局を打開するといってインドとビルマの国境地帯に侵攻した。補給困難な熱帯雨林を通り抜ける作戦は失敗し、大量の餓死者や病死者を出す結果で終わっている。

このインパール作戦を象徴する言葉としてしばしば引用されるのが以下のセンテンスだ。

皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは、戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。

こんなことを本当に牟田口が言ったのか、私は知らない。がしかし、「牟田口廉也は補給や戦力回復について考えの足りない将官だった」という世評を象徴しているセンテンスだと思う。

牟田口廉也みたいな作戦を立てる親がいっぱいいる

で、ここからが本題である。

世の中には、牟田口廉也みたいな親がいっぱいいると思いませんか。

 

子どもを逆境にさらす親にもいろいろあって、狭義の虐待やネグレクトをやってしまう親はその典型と言える。

それとは別に、子どもに熱心すぎる親、子どもにあれこれさせ過ぎる親もいる。やれ勉強しろ、やれヴァイオリンを練習しろ、やれ英会話を経験しろ……。

 

伸び盛りの子どもにさまざまな経験を提供すること、それ自体は悪くないだろう。勉強だってできるにこしたことはない。

しかし子どもには娯楽や遊びや休息が、つまり桃野さんの記事でいう「戦力回復」のフェーズも必要だ。

 

なかでも遊びは軽視できない。本来子どもは遊ぶのが仕事みたいなものであって、そこからも技能も習得し、自律性や自発性をも獲得していく。

子どもにとってのそれらは「戦力回復」という言葉以上の重要性を含んでいる。

 

だから、子育てをうまくやるにあたっては、「戦力回復」や補給やメンテナンスに相当するもの、それから「遊び」に相当するものへの目配りはどうしたって必要だ。

それらを軽視して子どもに勉強や稽古事を強いているなら、それは牟田口廉也のインパール作戦に似たことを、我が子に強いているも同然である。餓死者や病死者は出ないかもしれないが、子どもの心身の健康な発達にも影を落とすだろう。

 

にも拘わらず、実際には多くの親がインパール作戦のごとき、牟田口廉也のごとき子育てをやってしまっている。

やれ、有名私立学校だ、SAPIXだと高みを目指す一方で、補給や戦力回復を軽視し、子どもから「遊び」の機会を剥奪することが効率的なことだと思いこんでいる親は未だ多い。

そうした親は「我が子のためを思って」と思い込んでおおり、自分のやっていることは虐待やネグレクトの正反対であるとも確信している。

 

だけど、それって「子育てのインパール作戦」じゃないです?

誰も「あなたは今、牟田口廉也をやっている」とは教えてくれない

問題は、そうした戦力回復や補給や「遊び」を軽視しきった親でも、親権があり、そうそう誰も口出し・手出しできないということだ。

 

食事を与えない・身体的虐待を行っているといった、狭義のネグレクトや虐待が行われているなら児童相談所が動くこともできようが、そうでない場合、どんなに子育て指揮官としての親が無能でも、子育てがインパール作戦じみていても、それをどうにかすることはできない。

そして、誰かの子育てを無能であるとかインパール作戦であるとじかに指摘することは、現代社会のシステム下では不可能なことなのである。

 

そういえば最近、そうした「子育てのインパール作戦」に戦力回復を提供する体裁をとった、新しい商売も生まれている。

それは「『受験うつ』にはTMS療法を」といったものだ。TMSとは正式名は経頭蓋磁気刺激法といい、脳の左背外側前頭前野をターゲットとして磁気刺激を生じさせるような療法だ。この療法の進化版であるrTMS療法は、厚労省からうつ病に対する保険適用のお墨付きももらっている。

 

うつ病に対して新しい療法が提供されるようになったのはいい。だが、子どもを受験勉強漬けにして、元気がなくなってきたら「受験うつ」と称して脳に磁気刺激をおくるというのは、なんだかディストピアめいていると私には思える。そもそも「受験うつ」とは一体何なのか? そんな病名や概念は、精神医学の世界のいったいどこにある?

 

厚生労働省の委託を受けて日本精神神経学会が作成したrTMS療法に関する資料によれば、この治療法の対象者は中等度以上のうつ病の患者さんで、十分に薬物療法を実施しても効果が認められない患者さんであるとされている。そして機材とプロトコルも定められている。

 

一方、「受験うつ」に対して行われるそれは、そうした資料内容から逸脱しているようにみえる。

自由診療の領域だからはみ出していて構わないということだろうが、それで本当に補給や戦力回復が期待できるのか、ましてや「遊び」の代用品になるのか私にはよくわからない。

 

誰の指図も受けなくて構わないかわりに、誰からも忠告や警告をもらえなくなった今日の子育てにおいて、自分の子育てがどこまで間違っているのか、どう間違っているのかを自己モニタリングするのはとても難しいことだと思う。

その際には、牟田口廉也とて尉官時代や佐官時代には無能ではなかったことも思い出していただきたい。

人には向き不向きや器の大小がある。たとえば職場では最優秀とみなされている人が、子育てでは最低であることはよくあることだ。

 

だから子育てにおいて「インパール作戦」をやってしまうこと、親として牟田口廉也になってしまうこと、それ自体が恐ろしいだけでなく、それについて誰からも指図を受けないで済むかわりに誰からも忠告や警告をもらえなくなっていることが、また恐ろしい。

 

だから親はたえず自己モニタリングを試みなければならないし、そうしてもなお、自分はそんなにうまくやれるものじゃないと自戒したほうがいいのだろう。

それから何事も極端に走りすぎないこと。少なくとも私は「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」という言葉は子育てにおいても金言だと思う。そうしたうえで、自分の子どもに必要な「補給」や「戦力回復」について常に考えておくことが大切だ。

 

 

 

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo:Darwin Boaventura