ネットに限定される話かもしれないが、最近、企業に体育会系的なノリを持ち込むことが、嫌われているように感じる。

休日に部署対抗のソフトボール大会でもやろうものなら、社員は「休日を潰された」と感じるし、研修でマラソンや、山登りをすることがわかると「こんな会社に入るのではなかった」とまで感じる新入社員もいる。

(とはいえ、この手の研修は自己啓発的な要素を含んでいるので、そっちのほうが問題視されているのだろうが)

 

さて、フリープログラマという一日中部屋に閉じこもる仕事をしている筆者だが、意外にも学生時代は運動部に所属し、あまつさえ部活の部長すら務めたことがあるという、バリバリの体育会系の出身である。

20年以上前の話だが、体育会系のノリや風習には一通り従ってきたので、大体のところは知識として知っているつもりだ。

ここでは、体育会系組織が持つ、集団統治の「システム」を紹介しながら、そこに現代人が抱く「嫌悪感」の源を考えていきたい。

 

先輩後輩の厳格な上下関係

体育会系のイメージとして最も印象が強いのは先輩・後輩の上下関係だろう。

先輩の言うことは絶対であり、練習のメニューや時間も全て先輩が優先される。後輩はその時間、壁当てや筋トレなど、いかにもつまらない練習をしてすごす。

逆に先輩は、ご飯を奢ったりして、後輩の面倒を見ながら、組織の規律を守る役割を負う。

 

これを現代の組織に当てはめた時、一見、「年功序列」と「能力主義」の対立が見えるかもしれない。

しかし、実は体育会系システムの中で、年功序列と能力主義は矛盾しない。

 

部活であっても、後輩のほうが、タイムが良かったり、プレイが上手かったりすることはザラにあるからだ。

このような矛盾を体育会系システムがどのように解決しているかというと、それはもう集団による「空気」としか言いようがない。

体育会系組織の中では、どんなに優秀な人間であっても、先輩には一定の敬意を払うことが強制される。それによって、組織全体の「空気」が保たれるのである。

もし、そのような「空気」に従わない場合は「生意気な後輩」ということで、組織からつまはじきにされてしまうだろう。そのような「例外処理機構」を体育会系システムは備えている。

 

とはいえ、例えば私の知るプログラマの世界にこれを適用してみると、この機構の問題点がよくわかる。

 

この業界では実際のところ、若い技術者のほうが、現代の技術トレンドに詳しく、優秀なことが多い。

先輩はというと、最新技術のキャッチアップを怠り、一昔前の手法に拘泥していて、手は早いが、書いているコードは5年前のままということもよくある。

ここに年功序列といった「先輩後輩」主義を持ち込むと、若手は安い給料とスマートでない昔の手法を強制され、レガシーコードの保守と無駄な残業にすっかり腐ってしまう。

 

若手がこのような組織で生きていくためには、先輩の古臭いやり方に一目置いているように振る舞い、組織の「空気」を良好に保つように強制されるのだ。

品質の高いプログラムをスマートに書いて、残業せずにさっさと帰る、というのが昨今のプログラマの価値観であるので、はっきり言ってしまって、このような「空気」は害悪であるし、面倒なことこの上ない。

優秀でキャッチアップに熱心な技術者ほど、このような風習を嫌うのも仕方のないことだろう。

 

ボトムアップより団結

これは体育会系に限った話ではないが、テニスであれ、囲碁であれ、勝敗のある種目というのは、勝った、負けたという絶対的な指標が存在する。

実際、強豪校などと対戦すると、我が校の誇る絶対的エースが子供のようにあしらわれて、その絶対的な差を痛感することになる。

 

いかに「空気」を重んじる体育会系でさえ、勝敗は別である。

弱い先輩は、強い後輩に空威張りすることは可能でも、実質のところでは頭が上がらないし、他校のような外部組織に敗者として存分に愚弄されても、為す術はない。

 

体育会系システムはこのような結果を「団結力」で解決しようとする。

負けてしまったものはしょうがない。次はもっと頑張ろう、というわけだが、だからといって、練習のやり方が変わったりはしないのだ。

ただ、朝練が追加されたり、練習時の声出しが大きくなったり、先輩からの指導が暴力的な色彩を帯びたりして、がむしゃらに「頑張る」だけである。

 

クレバーな視点で見れば、絶対的な指標で負けているのであれば、異なる領域で戦うか、敗北に至ったプロセスそのものを変更すべきだと感じるだろう。

だが、体育会系のシステムにはそのような機能はない。もし、そのような事がしたいのであれば優秀な顧問やコーチによるトップダウンの改善を待つよりないのだ。

つまり、体育会系システムとは、組織の団結を重視するあまり、現場での改善が精神論に帰結してしまい、結果としてボトムアップがなくなってしまう組織形態であると言える。

 

企業に当てはめれば、ある分野のビジネスに強い弱い、というのは純粋な投下資本の差であることが多い。

そこに体育会系システムの精神論を持ち込むと、人を増やさずに「仕事を取るまで帰ってくるな」的な営業部隊を結成したり、短納期、低単価で、とにかく製品を完成させろという命令が下ったりする。

言うまでもなく、これではただのブラック企業である。

 

責任は全員でとる

高校野球を見ていると、最終回、ある野手が信じられないようなエラーをして、点を取られ、あっけなく負けてしまう。

エラーをした選手が泣き崩れる。

試合終了のサイレンが鳴り響く中、しかし、他のナインは彼を責めるどころか、肩を抱きよせ、ポンポンと頭を叩き、最後の整列に向かうように促す。

このようなシーンを見たことがある人は多いだろう。

美しい光景であると、私も本心から思う。

 

体育会系システムでは、「ミスをしても責めない。みんなで責任をとる」という思想がある。

それ自体は、もちろん悪いことではない。

 

しかし、ビジネスの場で、何かのミスが起きた時、責任者である上司が

「ミスはしょうがない。後で、クライアントに謝罪のメールをしておくように。次はみんなで気をつけるんだぞ」

と、部下の肩をポンポンと叩いて、すまそうとするのは、このような光景とは似て非なるものだ。

 

仕事上のミスには必ず予兆と原因があり、大抵の場合、不適切なプロセスと環境がある。

強い属人性によるリスク、複数人による確認の不備、長すぎる労働時間などなど。

 

少なくともプロセスや環境を改善しなければ同じようなミスはまた起こるし、ミスをしてしまった当人も気の毒である。

 

仕事には「レフトは一人で守らなければならない」というようなルールは存在しないのだ。必要であれば、二人で守っていいし、機械を置いてもいいのである。

少なくとも、そのような施策を怠ったこの上司は責任を感じるべきだし、非難されても仕方がないだろう。

しかし、「みんなで責任をとる」という思想を、なぜか「みんな」からは除外されている上層部が、現場に責任を押し付ける方便にしていることがある。

こうした時、体育会系の良き面もまた、組織の悪しき面に成りうるのである。

 

体育会系組織と時代の変化

特に、それがビジネスに適用された時、体育会系がいかにして組織内部の人間に嫌われうるのか、ということを書いてきた。

しかし、ここにきて不思議なことは、体育会系という部活やスポーツで用いられた統治システムが、なぜ企業というビジネスの場に応用されてしまったのだろうか、という点である。

 

ここからは推測でしかないが、高度成長期からバブル期のとにかくモノが売れまくった時代、おそらくこれらの問題は顕在化しなかったのだろう、ということだ。

 あの時代に思いを馳せれば、

年功序列制度は、社員の人生設計を安定させて、消費を促し、

団結を重視することで、創業者によるトップダウン型の経営判断のスピードアップが図られ、

それによって得た利益は給与や、ボーナスとして、皆に平等に分配される。

という、旧来の日本企業の理想形が、体育会系組織から現れるのである。

 

しかし、グローバル化、あるいは単純に長い不景気によって、時代は変わってしまった。

試合のルール自体が変わってしまったのだ。

 

私は「体育会系」のシステムそのものに罪はないと思う。

しかし、ルールの変化に対応できず、むしろ無駄な同調圧力を生み出すだけとなった、このシステムを、良き時代の夢の中にいる経営者が、変わらず企業という自分のチームに導入し続ける時、

必然的に負けを強いられる選手(社員)たちは、その絶望感と怒りの源を、「体育会系」という統治システムそのものに見出してしまうのかもしれない。

それは、元体育会系の私としても残念なことに思えるのである。

 

【お知らせ】
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。


<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>

第6回 地方創生×事業再生

再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは

【日時】 2025年7月30日(水曜日)19:00–21:00
【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。

【今回のトーク概要】
  • 0. オープニング(5分)
    自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」
  • 1. 事業再生の現場から(20分)
    保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例
  • 2. 地方創生と事業再生(10分)
    再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む
  • 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
    経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説
  • 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
    「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論
  • 5. 経営企画の三原則(5分)
    数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する
  • 6. まとめ(5分)
    経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”

【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。

【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
ご視聴登録は こちらのリンク からお願いします。

(2025/7/14更新)

 

【プロフィール】

著者名:megamouth

文学、音楽活動、大学中退を経て、流れ流れてWeb業界に至った流浪のプログラマ。

ブログ:megamouthの葬列

(Photo:Sangudo)