5月25日、働き方改革法案が衆院厚生労働委員会で可決された。
この法案は賛否両論で度々話題に上っていたが、働き方と関係のない人はいない。内容の可否は別にして多くの人が注目するのも当然だろう。
先日の記事、「日本企業の給料が低いのは、社員を解雇できないから。「雇用」より「人」を守れ。」では金銭解雇を導入すべきと書いたが、幸い多数の反響を頂いた。
概ね好意的な反響ばかりだったが、金銭解雇で給料が上がるわけがない、現に非正規雇用者の給料は正社員より低いじゃないか、といったコメントもあった。
このコメントについてはズッコケるしかないが、アルバイトや派遣社員の業務は正社員と比べてサポート業務であったり、難易度が低いことが低賃金の理由となる※1。解雇の有無だけで給料が決まるわけではない。
では「解雇が可能なことで給料が高くなっている」という状況は実際に無いのかというと、当然のことながら現実にある。
それは派遣社員だ。
会社の払う費用と派遣社員が受け取る給料の差は一体何か?
派遣会社が企業から受け取った費用のうち、どれ位が給料として払われているかは事業所ごとに公開されている。これをマージン比率という。
マージン比率は事業所ごとにことなるが平均で30%程度だ。俗な表現を使えば30%が「中抜き」されている。
例えば企業が時給2000円を払った時は600円が中抜きされ、1400円が平均的な派遣社員の取り分となる。
企業はなぜ時給換算にして2000円で正社員を直接雇わないのか。
それは雇止め(やといどめ)で解雇規制を回避するためであり、実質的に雇止めは解雇と同等の意味を持つ。企業は解雇できないリスクを避けるため派遣社員を雇っている。
もちろん、採用には多大なコストと手間がかかるため、採用のアウトソーシングとして派遣社員を利用している側面もある。
必ずしも解雇規制を回避することだけが目的ではないが、同じ職場で何年も派遣社員として雇っている人であればその目的は解雇規制を避けるためということになるだろう。
解雇オプションと解雇プレミアム
本来であれば1400円よりも2000円を払った方がより優秀な人を雇えるはずだが、企業があえて派遣社員を雇う理由は、雇止めという解雇オプション(解雇の選択肢)を確保するためであり、その差額は解雇プレミアム(解雇権を確保するために必要なコスト)と言える。
解雇規制が緩和されれば派遣会社は不要となり企業が払った費用は全て派遣社員が受け取ることも可能だ。その倍率はざっくり計算して2000÷1400=1.428……となる。
この数字を逆から見ると、企業が解雇オプションに支払っても良いと考えている解雇プレミアムは給料の4割ほどと非常に大きい額であると言える。
解雇が出来ない時給1400円の従業員と、解雇が出来る時給2000円の従業員では、派遣社員を利用している企業にとっては同じ価値だ。
考え方を説明するために簡易的に計算したが、もう少し丁寧に考えてみたい。
派遣社員の雇用コストは派遣会社が負担している。
上記の計算では無視したが、社員を雇用するためには健康保険や厚生年金など社会保険料の負担が必要となる。
派遣社員の場合、そのコストは派遣会社が負担している。先ほどの例で言えば企業が払う2000円と、派遣社員が受け取る1400円の差額である600円が丸ごと派遣会社の売上になっているわけではない。
そして派遣会社が負担する社会保険料のコストは概ね10%程度だという※2。
この数字を当てはめると、企業の払う2000円から200円を差し引いた1800円が給料として払える上限だ。改めて計算すると、1800÷1400=1.285……となり、直接雇用されれば約1.3倍に給料が増える。
現在企業が払っている解雇プレミアムが30%程度であれば、正社員の解雇プレミアムも同程度と推測される(当然、業種・企業により解雇プレミアムは異なる)。
なお、この計算は企業の解雇費用をゼロと見積もった場合だ。例えば金銭解雇の導入で解雇をするには給料の1年分を払わなければいけないと法律で決まれば、先ほどの例ならば1800円から解雇費用を差し引いた分だけもう少し時給が下がる。
企業に「失業保険」を払わせるな。
解雇しやすさは雇用のしやすさとイコールだ。現在は解雇できないから雇用が出来ない。売り上げが減った時に困るからだ。
当然、解雇規制が緩和されれば解雇される人も出てくる。つまり労働市場の需要(雇用)と供給(解雇)の両方が増える。
結果として最低賃金を下限に、需要と供給で最適な給与水準が決まる。景気が良くなれば今まで以上に給料が上がりやすくなり、景気が悪化すれば今まで以上に給料が下がりやすくなる。なおかつ解雇の可能性も高まる。
解雇される人にとってはたまったものではないと思うが、仕事が無いのに解雇されず雇われている状況は、失業保険(雇用保険)を企業に負担させているに等しい。これは健全な状況とは言えない。
失業保険を払うのは国の役目であり、企業はそのために税金を払い、労使双方で雇用保険料も負担している。企業を経由した間接的な失業保険は極めて効率が悪い。
企業に「失業保険」を負担させる現在の仕組みが雇用を歪め、雇用を控えさせ結果として長時間労働や低賃金の原因となる。
企業はいつ消えて無くなるかわからない不安定な存在であり、そんな不安定なモノにセーフティネットの役目を任せることは明らかに間違っている。
失業を「異常事態」と考える、日本の制度的な欠陥。
現在、社会保険料の負担は、給料に対して厚生年金保険料が18.3%、健康保険料率が11.47%だ※3。
いずれも保険料と名前がついている通り、年金は長生きのリスクに備える保険、健康保険は病気やケガのリスクに備える保険だ。
ではもう一つの保険、雇用保険はどうか。雇用保険は失業のリスクに備える保険だが、その料率はわずか0.9%だ※4。年金と比べて1/20以下、健康保険と比べて1/12以下となっている。
別の見方をすれば失業のリスクは長生きや病気・けがのリスクと比べて極端に低く見積もられている。
そして近年、雇用保険料率は資金が余っていることから引き下げられている。それ自体は失業が減ったことによるもので歓迎すべきだが、ますます失業が存在しないユートピアのような妄想の世界が前提となりつつある。
現実には企業業績や景気は常に大きく揺れており、そのリスクへ備える雇用保険は極めて重要なセーフティネットである。
したがって、解雇規制を緩和する際には雇用保険料率を大幅に引き上げ、「安心して失業できる仕組み」を作る必要がある。守るべきは「雇用」や「企業」ではなく「人」だ。
解雇を無理に避けようとすれば別の箇所でリスクが爆発する。それが少人数で長時間労働、低賃金という現在の状況だ。
株式市場、為替市場、商品市場と、あらゆる市場はビジネスや経済から取り除くことが出来ないリスクを引き受け、リスクを回避するために存在している。
それは労働市場もまた同じだ。解雇が良い悪いといった単純な話ではなく、景気悪化・業績悪化のリスクをどこで受け止めてどのようにケアすればいいか、ということになる。
前回の記事には経営者や株主が責任を取るべき、なぜ従業員だけ解雇のリスクを負うのか?というコメントもあったが、株主は損失が発生すればそのすべてを負担する。働いてお金が減ることは無いが、投資でお金が減ることはごく普通にありうる。
そして経営者に解雇規制は無く、株主の判断でいつでも解任出来る。任期も通常は二年程度で、経営者は「非正規雇用」だ。株主や経営者が大儲けしていたら、その利益にはリスクプレミアムが含まれている。
こういった勘違いの根底には「企業が儲けると従業員が損をする」といった綱引きのような発想がある。実際には儲かっていない企業が雇用を維持したり給料を増やしたり出来るはずもない。
雇用はセーフティネットではない。
解雇規制緩和の話をすると極めて感情的な反発を受けることがある。
解雇されると生きていけない、生活が破たんしてしまう、企業優遇、といった具合だ。
この発想こそが解雇規制の(悪い意味での)産物であり、「雇用がセーフティネット」という勘違いだ。
企業に属さないと生きていけない状況がすでに異常事態である。セーフティネットは雇用が失われても貯金がゼロでも死なないために存在している。失業保険や生活保護が充実していれば解雇されたからといって死ぬような状況にはならない。
大手企業ではコンプライアンス遵守の元で解雇規制がそれなりに機能する一方で、中小企業では無い袖は振れないとばかりに無視されている現状もあるという。
中小企業は給与水準で劣り、なおかつ雇用の安全性でも劣るのであればとてもフェアとは言えない。守れないルールは撤廃して、金銭解雇でルールを統一すべきだ。
解雇規制という見せかけの安全性を保つために発生しているデメリットは非常に大きい。働き方改革が叫ばれる現在、解雇規制の緩和についてもさらに一歩踏み込んで議論すべきだろう。
※1 あくまで「正社員と比較して」という但し書きがつく。アルバイトや派遣社員がどうでも良い仕事をしているから給料が低いということではない。
※2 派遣のマージン率について少し掘り下げてご説明します。 – 『ピンハネ屋』と呼ばれて
※3 いずれも労使合計分。正確には「給料」ではなく「標準報酬月額」に保険料率をかけて保険料が決まる。健康保険は協会けんぽ・東京の数字。地域および加入する健康保険組合により料率はことなる。
※4 一般の事業、労使負担合計分
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