私は会議室で、経営者と役員の話を聞いていた。
彼らは来期の教育研修計画について、話し合っていた。
「私はね、そろそろ、教育研修を社員に提供する必要はないと思っているんですよ。」
と経営者はいう。
「確かに、やる気のない人に、投資をすることの愚かさを、ここ数年、痛感してきました。」
と、教育研修の責任者もいう。
私は「何があったのですか?」と聞いた。
経営者は言った。
「いやね、できる人は「何でも役に立ちます」と素直に勉強してくれるのですが、仕事ができない人ほど、研修プログラムに対しての文句が多いんですよ。これがない、あれがない、って。」
「そういう人は多いのですか?」
「それほど多いわけではないです。ただ、我々は「できない人」にこそ、学んでもらいたいと思っていたのですが、どうやら逆効果のようなんです。」
「具体的には?」
「研修を用意しても、感謝されるどころか、自分の知識が足りないのは、会社がもっと良い研修を用意してくれないから、と思っているフシもあるんですよ。」
「ああ……そうですか……。できない人ほど、研修に文句が多い……。」
*
この時期になると、あちこちの会社で来期の教育研修計画の話が出てくる。
そして、決まって議論になるのが、
「対象者」だ。
つまり、「できる人」を対象とするのか、「できない人」を対象とするのか。
それとも全員「平等」に行うのかだ。
まず前提として、ほとんどの企業は、教育研修を行っている。
(出典:https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/18/dl/18-1-2-2.pdf)
OFF-JT(座学など)の形で、教育研修を行う会社の割合は、300人未満の企業でも50%を超え、300人以上の会社では、8割を超えている。
また、資格取得の支援金を出すなどの自己啓発支援でも、300人以上の会社であれば、54%もの会社が支援をしている。
だが、実際に企業は本当に「教育研修」を重要だと思っているのだろうか?
実は、大変残念ながら、近年では教育投資は、徐々に優先度が低くなりつつある。
実際、そのためのリソースは徐々に絞られつつあるのだ。
企業による人材育成への投資が伸び悩んでいる。厚生労働省によると、従業員への月あたりの教育訓練費は10年前より3割減った。
優秀な人材を確保するには人への投資が欠かせないはずだが、企業は人にお金を回していないようだ。
(日本経済新聞)
とはいえ現状の法律では、企業は能力不足の社員に対しては、クビにしてはならず、能力開発を行う義務がある。
例えば、有名な「セガ・エンタープライゼス事件」の判例では、次のようにある。
セガ・エンタープライゼス事件(H11.10.15東京地決)
【事案の概要】
Y社に平成二年に大学院卒の正社員として採用された従業員Xが、労働能率が劣り、向上の見込みがない、積極性がない、自己中心的で協調性がない等として解雇されたことに対して、解雇を無効として地位保全・賃金仮払いの仮処分を申し立てた事例。(労働者勝)
【判示の骨子】
(1) Xが、Yの従業員として、平均的な水準に達していなかったからといって、直ちに本件解雇が有効となるわけではない。
(2) 就業規則一九条一項各号に規定する解雇事由をみると、「精神又は身体の障害により業務に堪えないとき」、「会社の経営上やむを得ない事由があるとき」など極めて限定的な場合に限られており、平均的な水準に達していないというだけでは不十分であり、著しく労働能率が劣り、しかも向上の見込みがないときでなければならないというべきである。
(3) Xについて、検討するに、確かにすでに認定したとおり、平均的な水準に達しているとはいえないし、Yの従業員の中で下位一〇パーセント未満の考課順位ではある。しかし、人事考課は、相対評価であって、絶対評価ではないことからすると、そのことから直ちに労働能率が著しく劣り、向上の見込みがないとまでいうことはできない。
(4) Yとしては、Xに対し、さらに体系的な教育、指導を実施することによって、その労働能率の向上を図る余地もあるというべきであり(実際には、債権者の試験結果が平均点前後であった技術教育を除いては、このような教育、指導が行われた形跡はない。)、いまだ「労働能率が劣り、向上の見込みがない」ときに該当するとはいえない。
(出典:厚生労働省 https://www.check-roudou.mhlw.go.jp/hanrei/kaiko/kaiko.html)
以上を見ると、従業員の中で下位10%であるから解雇する、という会社に対して、裁判所の見解は
・絶対評価ではないので、能力向上の見込みがないとは言えない。
・能力向上のための教育、指導をするのは、会社の責任。
と、企業側の解雇を無効としている。
これは、能力不足を理由にした解雇が法的に極めて難しいことを意味している。
企業は、「能力不足で使えない」という従業員であっても、使えるようにする責任を負っているということだ。
つまり、法律的には、企業が絶対に教育しなくてはならないのは、
「できない人」
ということになる。
*
しかし、そういった会社は、昨今、減っている。
一旦雇った以上は面倒を見よう、ということで、「できない人」にリソースを割いて、一人前にするという発想を持つ会社は、減っている。
なぜかといえば、長期雇用を前提とした高度成長期モデルが、すでに崩壊したからだ。
つまり、未熟な労働者を新卒一括採用で雇い、その社員が辞めないことを前提として、ある程度まで全員を平等に育成する、という前提が崩れたからだ。
だから現在、実際の現場では以下の理由で「できない人を教育する」「平等に教育する」は、会社から見れば、不合理である。
終身雇用、年功型賃金制度ではなくなった
前提として、労働者は企業間を転々とし、より良い職場環境を積極的に求めるので、積極的に教育投資をする理由がない。
だが、このような話をすると、「教育投資をしない会社に、良い人材は来ないのでは」という意見が必ず出てくる。
だが、今の企業は「良い人材」にはきちんと教育投資を行い、惹き付けようとする。
それとは逆に、「不要」と思っている人に対しては給与アップせず、教育投資も行わず、辞めてくれるのを待っている。
ポテンシャルの低い人を教育しても、費用対効果が合わない
もちろん、人の能力は上がるが、同時に限界もある。
したがって「ポテンシャルが高い」人には、教育投資を惜しまないが、そもそもベースとなる能力が低い人へは、無駄な投資をしない。
また、そもそも本人の意欲が低ければ、当然、教育訓練の費用対効果は合わないため、教育投資は行わない。
事実として、正社員へ研修を行っている企業の約4割が、人材育成の課題として「人材育成を受ける従業員側の意欲が低い」ことを課題としてあげている。
「言われたことができない人」という人が一定数、存在している
例えば「労働政策研究・研修機構」が発行している「日本の雇用終了」という書籍においては、会社側が再三の指導をしても改善がなく、クビにした、と主張する事例がいくつも載っている。
例えば、以下のようなものだ。
肉団子の製造ラインで、「何度説明しても手順通りできず、次工程に不良品が混入するなど、指導内容を理解する能力が低い上、指導を受ける姿勢も横柄で、採用取り消しとした。」
医薬品の運転手で、「試用期間中に、不注意による自損事故5回、営業業務において伝票記入ミスによる代金入金ミスが多数発生。また置き数確認を怠ったことによる商品過不足数の多さから、取引停止が3〜4件あった。また、遅刻、無断欠勤は再三柱しても繰り返し、これ以上会社への損害を防ぐために、退職を勧告した。」
デパート販売員は、「先輩社員の話をキチンと聞いておらず、釣り銭違いが頻繁に発生し、レジで違う商品を会計し、お客様指定と違う商品を販売しそうになるなどミスが多く、改善が見られないため契約満了とした。」
彼らを「教育訓練」する合理性はどこにあるのか、といえば、おそらく、あまり見当たらないのが、実際のところではないだろうか。
冷たいようだが、彼らは「会社で働く」という上で、必要な根本的な能力が欠けており、教育を施したからといって、どうにかなるものでもない。
*
結局、冒頭の会社の経営者と役員が言うように、
「会社への依存心が強く、仕事ができない人」ほど、企業の研修プログラムに対する文句が多くなるのは、必然かもしれない。
彼らは、高度経済成長期の「会社が全てあなたの面倒を見ましょう」という状況を夢見ているため、
「私が仕事を十分にできないのは、会社の教育が足りないせいだ」
という主張になりやすい。
そしてそれは、全く筋が通っていない、というわけではないのである。
しかし、現実的にはそのような時代は遠い過去のものとなった。
現在、会社は社員の生活を丸抱えすることはできないし、ポテンシャルが高く、費用対効果の高い人にしか投資をしない。
残念ながら、仕事ができない人ほど、企業の研修プログラムに対しての文句が多いのは、企業の力不足の結果でもあり、時代の流れでもあるのだ。
「斜陽の国」では、仕方ないことなのかもしれないが。
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